【ファム・ファタール】
運命は、最初から決まっていた。
あの日、君が消えた日、その日から年月が経っていった。
未だに忘れられない。
彼女の笑った顔、名前を呼ぶ声、特徴的な瞳、
最後の言葉。
ずっと、呪いのように心臓を握っているのだ。
これも、最初から決まっていたことなのか?
日々は、当たり前に進んでいく。
しかし、自分だけは、あの日から何もかも動いていないのだ。
それは壊れた時計みたいに。
それはホルマリン漬けのように。
何気ない日々にヒビが入ってから、自分がどんどんおかしくなるのを感じた。
忘れられなくて、悔しくて、怒りがあって、寂しくて。
どんどん、壊れていく。
皆が言う「幸せ」から外れていく。
これは、神様が決めたプラン通りである。
だけど、思うのだ。
神様が決めたプランの中で、君はよくも絵の具をかき混ぜてくれたね。
君は立派なファム・ファタールだよ、と。
【12時の鐘が鳴る前に】
12時の鐘が鳴ると、私は消えるんだ
今日でさよならだね。
彼女から打ち明けられたとき、僕は「どこかに行きたい」と思った。
2人で、どこか遠くへ。
誰も知らないところへ
彼女の手を取って走った。
燦々と輝く花火に背を向けて、走った。
神社の階段を走り抜けた。
小さな港に沿って道を駆け抜けた。
2人で自転車に乗って、とにかく遠いところへ行こうとした。
後ろに乗る彼女は、悪戯に笑っていた。
星がよく見える芝生に着いた。
僕達は自転車を捨て、ただひたすら走って、走って、走って、倒れ込んだ。
「あー、楽しいっ!」
浴衣姿の彼女は、心の底から笑っていた。
「星が綺麗だなあ…」
僕は、星など見ていなかった。
隣に寝転ぶ彼女が綺麗だから。
「今日で最後だね、この景色が見れるの」
「違う、まだまだ見てほしい。この世界の、もっと綺麗な景色を見てほしい」
僕はそう呟いた。
彼女は寂しそうに笑って言った。
「私が消えるのはね、不可抗力なんだよ。
どこまで遠い所へ逃げても、12時が来たら私の体ごと消える。仕方ないんだよ。」
彼女は立ち上がって、僕のほうを振り返って言った。
「私は、消えるんだよ。存在ごと。」
彼女は笑っていた。
あの時と変わらない、幼くて大人びた笑顔。
僕は、頬に何か伝うのを感じた。
しょっぱい。
でも、そんなのどうでも良かった。
「本当に、消えるのか…?」
彼女は僕に近づいて、耳打ちした。
「―――」
鐘が鳴った。
彼女の息遣い、雰囲気、全てを咀嚼している間に、
彼女は消えていた。
僕は、彼女の言葉を思い出した。
「私が消えたら、私のことを忘れてね」
【手紙】
山本幸一郎様
拝啓
本年も山茶花がいっせいに咲きだす季節が巡ってまいりました。
先生がお亡くなりになられて約半年が経ちました。
天国ではいかがお過ごしでしょうか。
私は、この手紙を病室で書いています。
というのも、虫垂炎になってしまったのです。
数日前までは酷く痛んでいましたがも、今は少しだけ楽になりました。
心配しないでください。
病室で何日も過ごすのは、やはり慣れないものですね。
毎日同じ景色で、非常に退屈です。
先生は、長くこの景色を見ていたのですね。
私には今、先生の苦しみが少しだけ分かるような気がします。
私にとって唯一の楽しみは、窓越しの外の景色を見ることです。
窓から見える秋の空虚な空が、私は好きです。
淋しいものですが、この人肌の恋しさが堪らなく愛おしいのです。
私も大人になってしまったのでしょうか。
大人は秋が好きですから。
先生が病室から見ていた景色も教えて欲しいです。
他愛もない話になってしまいましたが、これからも私は先生の教えを胸に頑張ります。
そんな私を、どうか天国から見守ってほしいです。
先生のご多幸をお祈り申し上げます。
敬具
11月11日
山本鞠子
【明日、もし晴れたら】
明日、もし晴れたら公園で遊ぼう
明日、もし晴れたらショッピングモール行こう
明日、もし晴れたらデートしよう
明日、もし晴れたら遊園地行こう
明日、もし晴れたらとっておきの場所に連れて行ってあげる
明日、もし晴れたら素敵な結婚式になるね
明日、もし晴れたら映画観に行こう
明日、もし晴れたらマタニティグッズ買いに行こう
明日、もし晴れたら病院行こう
明日、もし晴れたら3人で花畑を見よう
明日、もし晴れたら遊園地行こう
明日、もし晴れたらいい入学式になるね
明日、もし晴れたら運動会観に行けるね
明日、もし晴れたらいい卒業式になるね
明日、もし晴れたら病院に行こう
明日、もし晴れたらお見舞いに行こう
明日、もし晴れたら少しだけお出かけしよう
明日、もし晴れたら病院に来て
明日、もし晴れたら外で写真撮ろうよ
明日、もし晴れたらお墓参りに行こう
明日、もし晴れたら二人で色んなとこに行こう
明日、もし雨が降っても君を忘れないでいよう
明日、もし晴れたら…
【私のヒーロー】
ヒーローが、居なくなった。
蝋燭の火を消すみたいに、姿を現さなくなった。
いつもなら、直ぐに邪悪な怪物を倒しにやってくるはずなのに。
いつまで経っても現れなかった。
幸い、ヒーローは世界各地に何百人もいる。
一人くらい欠けたって、何も影響はない。
しかし、「ヒーロー」という単語を耳にして、人々が思い浮かべるのはただ一人。
そして私は、「ヒーロー」の正体を知っている。
「…なんで来た。」
ドアを開けるなり、和真は開口一番にそんなことを言った。
「いや、心配になって、来ちゃった、というか…」
「来んな。一人にさせろ。」
和真はそう言ってドアを閉めようとした。
「ちょっと!中に入れてよ〜!」
「うるせぇっ!いきなり家凸んなよ!連絡入れろや!」
「そっちが既読つかないんだし、しょうがないじゃんっ!家入るよ!」
私は強引に中に入った。
なんだか変な匂いが鼻を突いた。
ゴミが辺りに散らかっているではないか。
「うわ、臭っ。ゴミだらけじゃん。ちゃんと掃除してんの?」
「ほっといてくれよ。」
「…ちょっと耐えらんないから掃除するよ。ゴミ袋出してー」
2時間後。
ゴミは全部ゴミ袋に入れた。
床やテーブルもちゃんと拭いて、埃も消えた。
本人曰く、クローゼットや物置部屋が汚いらしいが、今回はこれだけにしておこう。
掃除しだすとキリがないから。
「めっちゃ片付いてんじゃん。
おもてなしするから待っとけ。」
「いいよ、そんなに。
おもてなしはいいから、話聞かせてよ。
この1ヶ月の間に何があったの?」
和真は黙り込んだ。
きっと、相当な事情があるんだろうな。
「なんでいきなりヒーロー辞めちゃったの?みんな言ってるよ、寂しいって。」
「……」
「みんな心配してる。それに、辞めちゃうなんてもったいないよ。ヒーローの仕事続ければきっと」
「黙っててくれよ!!」
和真はいきなり声を荒げた。
思わずビクッとしてしまった。
「…ヒーローの仕事なんて、こんなんじゃなかったはずなのに。」
「それって…どういう意味?」
「ヒーローは、正義なんだろ。
なんで知らん奴らの黄色い声援浴びなきゃいけないんだよ。」
「みんな応援してくれてるってことだよ」
「あんなの応援じゃねえよ。
ただ、『推し』とか『有名人』くらいの認識だろ。
俺はそんなの求めてない。
俺なんて、どうせ…、どうせ商業的な消費コンテンツなんだろ。
…それに、ネットでは偽善者とか言われてる。
そんなに俺のやってることが気に入らないのか?」
返す言葉がなかった。
事情を知らない人からしたら、病んでるとかメンヘラとか自意識過剰とか、そう思われるのかもしれない。
けど、違う。
和真は本気で悩んでる。
自分はヒーローだと、おもちゃじゃないと葛藤している。
助けを求めているようにも感じる。
私の知らないところで、そんなに思い詰めていたなんて。
「…ごめん、気づいてあげられなくて。」
「……」
思えば、いくらでもヒントはあった。
最近浮かない顔をしていること。
口調が少しだけ荒くなっていること。
つまらなそうな目をしていること。
他にもたくさん。
なんで、気付けなかったんだろう。
あの時とは、全然別人じゃないか。
思い出すのは学生時代のこと。
学校でいじめを受けていた私にとって、和真は「私のヒーロー」だったのだ。
「何でも言えよ。
あいつらに言い返せる奴なんてそうそういないから、俺のこと頼れよ。
言い返してやるから。」
「今日さ、一緒にカフェ行かない?
それからガチャガチャの専門店とか、カラオケも良いよな。」
「みんな絶対優佳の良いとこ知らないだろ。
めちゃくちゃ優しくて賢くて、一緒にいると楽しいのに。
みんなもったいないよなぁ。」
たまにセンスおかしいけど、いつも私の味方で、唯一楽しませてくれる人なのだ。
一緒に遊んでくれる人なんて、私にはいなかったのに。
「お前ら、次に優佳のこといじめたら、どうなるかわかってるよな?」
「もうやめろよ。
何がそんなに楽しいんだよ。
優佳、嫌がってるだろ。」
「先生、いい加減聞いてくださいよ。
優佳はずっといじめられてるんです!
暴力だって振るわれてます!
それでも知らないフリを続けるんですか?」
和真は戦ってくれた。
同級生に、大人に、全力で歯向かってくれた。
このときから、和真は私のヒーローだったのだ。
「もう、一人にさせろよ。
今日はもう、帰ってくれ…」
和真は泣いていた。
助けを求めていた。
初めて吐いた、ヒーローの弱音だ。
私には、どうすることもできなくて、どうすればいいのか分かんなくて、でも口が勝手に動いた。
「独りには、させないよ。
ヒーローが困ってたら、助けるのが私の役目だもん」
私はそう言って、和真を抱きしめた。
彼の少し冷たい手が、なんだか痛かった。
「じゃあ、帰るね。」
「うん…今日は、ありがとう」
「何も、できなくてごめん。」
「あのさ、」
「ん?」
「また、片付け手伝ってほしい」
「うん、いいよ。」
私は和真の家を後にした。
結局、何もできなかった。
和真の悩みなんて根本的に解決できるものではないと、わかっていたけど。
もうちょっと何かしてあげたかったなぁ。
「ヒーロー」は、復活するのだろうか。
その時は、盛大に祝福するのだろう。
でも、それ以前に「私のヒーロー」なのだから。
彼が「ヒーロー」を辞めても、「私のヒーロー」ではあるのだから。
私のヒーローが居てくれればいいや、だなんて思う午後5時の空が綺麗だった。