ごろごろ、と空が鳴いたので、僕は顔を上げて雷を探す。空は一面灰色で、僕が見上げるより前にその光は消えてしまったらしい。
足元ばかり見ていないでちゃんと空に意識を配っていれば、曇天を引き裂く光を見られたかもしれないな。僕、雷は割と好きなんだ。もったいない。
【遠雷、……鳴動、…………後悔】
光と音の伝達速度は違っていて、俯いている僕でも気づくくらいの轟音が響く頃にはとっくに光は通りすぎていて、だから、雷が好きだなんて口先だけで言って、ちょっと空が光った程度では気づかない僕が悪いのだ。
LINEを開く。君とのトーク画面。一番下は、通話記録。多分、これが雷の音にあたるものだった。
その上に積み重ねられた何十、何百もの会話のラリー。その所々に挟まる、「送信取り消し」の文字。僕が見逃した雷の光。
雷はとうに落ちていた。別々の大学に進んで、今は新幹線の距離にいる君のもとに。僕は気づけなかった。音が鳴るまで気づけなかった。
あるいは、雨が降っていたことにすら。天気予報を見れば簡単にわかるようなことを、距離を理由に知らず過ごした。
ごろごろごろ。
さっきよりも近い音。仕方がないじゃないか。足元を見て歩かないと、ぬかるんだ地面に足を取られてしまう。……僕がそんな下らない言い訳をしている間に、遠くの雷が取り返しのつかないくらい僕に近づいて、この身を焼き尽くしてしまえばいい。
【!マークじゃ足りない感情】
[じゃあ明日、駅に集合ね♪]
と僕が送ると、すぐに
[わかった、楽しみ]
と君から返信。君のメッセージは、いつもそっけない。♪マークなんて付けた僕が馬鹿みたいじゃないか。少し寂しい。
[せめて「楽しみ!」くらい言えないの?本当に楽しみにしてくれてる?]
大人げないと分かっているが、こんな意地悪をぶつけてしまう。
[ごめんね、でも、!マークなんて付けたら、私は言葉の無力さを思い知ってしまう]
[こんなマーク1つじゃ何も表現しきれないと分かってしまう]
立て続けのメッセージ。あまりに君らしくて、僕の小ささが情けなく思えて、
[僕こそごめんね]
[大好き]
と返す。
小さい頃の君は、食べるのが遅いせいで溶けて地面に落ちてしまったアイスクリームを見て、
「……じめんに、たべさせてあげただけだから!」
と、涙目で強がるような女の子だった。
【こぼれてあふれたアイスクリーム】
「あー、手に付いちゃった……」
今の君は、アイスが目減りすることよりも手が汚れることの方を心配していて、これが大人になるっていうことなのかな、と少し寂しく思う。
「まあでも、溶ける前に食べ切れないくらい食べるのが遅いところは変わってないか」
「何の話?」
「いや? 今はアイスが溶けて減っちゃうことに涙を流して腹を立てたりしないんだなって」
僕が冗談めかして言うと、
「……まあね。食べ切れなくて溢れるほどたくさんのアイスが受け取れることの幸せに、気づいたからかな」
と、思いの外真面目な表情と回答。
「こぼれ落ちて、地面におすそ分けされたアイスは、幸福の象徴だよ」
話している間も君の背後からじりじりとアイスを溶かしてゆく太陽から、思わず目を逸らす。それから、自分の手を見た。綺麗な手。溶け出す前にコーンまで食べ切ってしまったアイスの、抜け殻みたいな紙切れをくしゃりと握り潰す。
溶ける前にと対して味わいもせず食べ切ってしまって、ただ冷たかったという記憶だけがある。こぼれてコーンからあふれるほどのアイス。それを幸福の象徴と言うなら、僕は幸福ではないということになる。
「……ふう、ごちそうさま」
おいしいものを食べ終えた後の、少しの寂しさを含んだこの表情を、僕はもう何度も見ている。それだけじゃない。僕が知らない君の表情なんて、きっともう存在しない。空っぽの紙切れを握り潰すみたいに、「おいしかった?」と空虚な質問。
アイスがこぼれるくらい、手が汚れるくらい、ゆっくり食べてみればよかった。そう思うのに、目を閉じた僕が想像するのは溶けたアイスのために泣いていた君の、溶けるずっと前の顔だ。
夢じゃなくてよかったと思う。君と出会えたこと、君が目を合わせて、言葉を交わしてくれたこと。僕の告白を、受け入れてくれたこと。
【夢じゃない】
初デートで映画館に行ったことも、映画が終わった直後、僕が探るように、慎重に
「……微妙、だったよね」
と言ったら、
「やっぱそうだよね!? よかった、私のセンスがなくてピンと来なかったのかと思った……」
と、お互いの緊張の糸が緩んだこと。どんな名作映画を見るよりもずっと、夢のような時間だった。けど、それだって夢じゃない。
初めて喧嘩をした時のこと。完全に君に嫌われたと絶望したあの時のことは、今でも思い出すのが苦しいくらいだ。
(続き後で書きます……)
「私は、君の心の羅針盤になりたいなあ」
なんて君が言うから、
「無理だよ」
と即答する。
【心の羅針盤は指し示す】
「ええぇー!」
「だって羅針盤ってあれでしょ。針がぐるぐる回って、行くべき方向を示してくれる」
「そう、コンパス」
「じゃあやっぱり、君には無理だよ」
「なあんでえ」
「羅針盤は、誰かにもらうんじゃなくて、自分の中にあるものだから」
……それに。僕は思う。
「そもそも、羅針盤の針がきちんと北を向くのは、地球が強い磁力を帯びてるからでしょ。羅針盤が自分の意思でそっちを向いてるわけじゃない。行き先を示すのは、羅針盤じゃなくて地球自身だ」
「じゃあ、私は君の地球になりたい」
「規模が大きくなった……」
もうなってるよ、とは言えなくて、引き寄せられるみたいに君の目を見て笑うだけだった。