白眼野 りゅー

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6/30/2025, 1:54:39 AM

 生命の根元的な安堵感を呼び起こすような、同時になにか、本能的な恐ろしさを掻き立てるような。君の瞳は、そんな深い深い青色をしていた。


【青く深く沈んでゆく】


「ねえおばあさん」
「誰がおばあさんだ」
「おばあさんのお目目は、どうしてそんなに綺麗なの?」
「……心が澄んでるからじゃない? 自分の彼女をいきなりおばあさん呼びする君と違って」

 電灯の光を反射させて僕にぶつけるみたいに、君はその瞳を僕に向けた。

「おばあさんのお目目は、どうしてそんなにぱっちりしてるの?」
「昨日睫毛サロンに行ったから。気づくなんてやるじゃん」

 さらりと長い君の睫毛は、世界一美しい青を飾る額縁にこれ以上なく相応しい。

「おばあさんのお目目は、どうしてそんなに深い青色をしているの?」
「目の話ばっかりだねさっきから!? 赤ずきんってそんな感じだったっけ!?」
「別に赤ずきんごっこはしてないよ」
「じゃあなおさらなんでおばあさんって呼ぶんだよ」

 青色の瞳。君がまばたきをすると、一瞬世界に夜が訪れたと錯覚する。空と同じ色をしているから、こんなにも安心するのだろうか。

「ねえ、どうしてそんなに深い青色をしているの?」
「うーん……」

 一歩。君が詰め寄るようにずいと僕に近づく。僕の視界を、青色で埋める勢いだ。

「海みたいでしょ」

 僕が空と思っていたそれを、君は海と呼んだ。少し想定外で、返答が思い浮かばない。

「海の青に、君が浮かんでいる」

 言葉通り瞳の中に僕の困惑顔を映し取って、言葉を継ぐ。

「たとえば、私の目に映る君が後ろ姿になっても。たとえば、その背中が離れていっても。私が君を見つめる限り、君の姿は私の海の中にある」

 君の目に映る僕の像が、君のまばたきで閉じ込められるようだった。

「そして、君が私から離れれば離れるほど、君の虚像は私の目の奥深くに沈んでいく」

 海の色。深海の青。遥か昔、僕らの祖先が生まれた、始まりの場所の色。だから、君の持つ青は安心するのかと思った。

 ……今の人間の科学力では完全に暴くことのできない未知の色だから、こんなに恐ろしいのかと思った。

「だからね、私の目が青いのは、君を沈めるためだよ」

 ああ、狼なんかよりずっと、強欲じゃないか。

6/29/2025, 7:09:59 AM

 夏の気配は、白色をしていた。

 それは照りつける太陽光の色であり、君が纏ったワンピースの色であり、僕の失恋の色だった。


【手繰り寄せたい夏の気配】


 夏が来るな、と僕が何となく思うタイミングと、君が春服から夏服に衣替えをし、真っ白なワンピースをはためかせながら教室に入るタイミングは面白いほどに一致していた。教室にはまだ長袖に身を包んでいる人も少なくない中、ノースリーブのそれは妙に涼しげに映って、思わず

「夏ですもんね」

 と声をかけてしまった。

「夏ですからね」

 君は笑って言った。

 涼しそうでいいな、と思ったのはその時が昼間だったからで、下校する時に偶然鉢合わせた彼女は、表情に出さないようにしていたが明らかに寒そうだった。まだ夏は気配だけで、彼女を助けられるほどしっかりこの世に根を張っていたわけではなかった。思わず

「夏前ですもんね」

 と声をかけてしまった。

「夏前ですからね」

 君は苦笑して言った。

「明日は、春用の服で来た方がいいかもですね」

 翌日はさらに寒くなると天気予報で知っていたのでそう言ったが、

「でも、夏の気配はもう来ていますからね」

 と、君はあっさりと返した。明日も同じような服装で来るな、と直感した僕は、お節介と思いつつも

「気配がするだけで、すぐに来てくれるわけじゃないからなあ」

 と、さりげなく暖かい格好で来るよう誘導してみる。

「だからですよ」

 君は笑って言った。

「夏の気配がしたら、思いっきり夏っぽい服を着て、夏っぽいものを食べて、夏っぽい曲を聴くんです。そうして、夏に『来ていいんだよ』って言ってあげるんです」

 彼女は、夏を待っていた。僕が目を惹かれた装いは、夏を歓迎するためのものだった。

 何となく。本当に何となくだけど、君が待っているのは夏だけではないのだな、と納得に近い思いがあった。「来ていいんだよ」という響きが、ただ季節に向けるにはあまりに優しすぎたせいか。白に映える薄紅色の頬が、恋する乙女じみていたせいか。

「……夏が、お好きなんですね」

 それは想像にしか過ぎなかったので、確実にわかる事実だけを口にした。

「ええ。一年で、一番好き」



 ――それ以来、君に話しかけることはないまま学校を卒業し、僕らはそれぞれの進路に進んだ。僕は今でも、夏の気配が世界に忍び寄ると、あの白色を思い出す。そして、夏の訪れを歓迎するように麦茶をグラスに注いで一気飲みしてみたりする。

6/28/2025, 6:10:50 AM

「どう? 私おすすめの映画だったんだけど」
「うーん、僕には合わなかったなあ」
「合わなかったかあ」


【保証書無しのまだ見ぬ世界へ!】


「今度は別ジャンルの映画に連れていくよ。君に見せたい映画、まだたくさんあるから」
「うん、楽しみにしてる」
「……私が言うのもなんだけど、よく付いてきてくれるよね。あんまり映画の趣味合わないじゃん、私たち」
「そうだね、勝率三割くらい」
「本当によく付いてきてくれるね!?」
「君こそよく誘う気になるよね。僕、全然気遣ったりできないのに」
「だからだよ」
「よくわかんないなあ」
「わかんないかあ」

「ちなみにさあ」
「ん?」
「映画に付き合う代わりに、今度僕の行きたいところにも付き合ってほしいんだけど」
「もちろんだよ、どこ?」
「市役所」
「……」
「結婚って僕もしたことないから、君みたいに『おすすめだよ』とは言ってあげられないんだけど」
「いいよ、合わなかったら素直にそう言うから。そしたら、『合わなかったかあ』って笑い飛ばしてよ」
「……よく付いてきてくれるね」
「君こそ、よく誘う気になったね。こういうときに涙を流して喜ぶような女じゃないのに」
「だからだよ」
「よくわかんないなあ」
「わかんないかあ」

6/27/2025, 8:29:37 AM

 ねえ、知ってる? 人は人の存在を、声から忘れていくんだって。

 ……じゃあ、君が死んで一ヶ月が経った今、君の声を覚えているのはもう僕だけかもしれないね。


【最後の声を鮮烈に】


 そっとカーテンを開けると、外は既に夜だった。少し風があるのか、木の枝がゆらゆら揺れている。たまには窓くらい開けた方がいいのかなあ、と不意に思う。もう何日連続で外の空気に触れていないだろう。

 ベッドから降りる。半端に中身の残ったポテチの袋を踏んづけてしまって、それなりに不快だ。台所までごみを足で掻き分けて進み、コップに水を注いで飲んだ。使い終わったコップはタコ部屋のような状態のシンクに無理やりねじ込む。

 最愛の君がいなくなってから、気づけばこの部屋は僕が住んでいるのかゴミが住んでいるのかわからないような状態になってしまった。

 君からもらった最後の声を、必死で思い返す。それによってトラウマがぶり返し、さらに部屋が荒れることになるとしても。僕が忘れるわけにはいかない。この世から、君の声を覚えている人がいなくなってしまう。それだけは駄目だ。

 目を閉じて、君が僕にくれた最後の声を思い起こす。僕にとって、それが一番取り出しやすい、君の声に関する記憶だ。

『嫌っ、殺さないでっ……!』

「……忘れられるわけ、ないか」

 再確認する。あんな、生涯解けることのない呪いじみた声、忘れたいと願ったって忘れるはずもない。君の首を絞めた手の感覚を忘れても、きっとこれだけは忘れない。

 全ては、僕が君の声を覚えているこの世でただ一人の存在になるため。君の最期の声を独り占めするため。

 そのために、「計画通り」心を病んだんだから。

 生きている君が僕なんか気にも留めなかったのと同じくらい当たり前に起こる、忘却という自然の摂理に抗うため。そのために僕は、今日もゴミ山に埋もれる。

6/24/2025, 1:54:19 AM

 幼稚園児の頃、僕は君の旦那さんになりたかった。


【子供の頃の夢なんて、きっと】


 小学生の頃、僕は宇宙飛行士になりたかった。君にかっこいいと思われる宇宙飛行士になりたかった。

 中学生の頃、僕は公務員になりたかった。周りの人と自分自身を安心させられる社会人になりたかった。

 高校生の頃、将来とか夢とかどうでもいいから、とにかく今君の彼氏になりたかった。未来も将来も全部ここで途切れていいと思うほどの、強い願いだった。

 大学生の頃、僕は君と同じお墓に入りたかった。揺りかごからは難しくても、墓場までの旅路を共に歩んでいきたかった。

 ……そして社会人になった今、僕は君の旦那さんになりたい。君のせいで、僕の心は体は小さいくせに夢ばかり大きいような、あの幼き日々に戻されてしまった。

 ――あっという間に墓場までの旅路を終えてしまった、君のせいで。

 ねえ、初恋が叶わないと言われるように、無謀な子供が思い描くような夢なんて、きっと叶わないね。

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