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4/30/2024, 12:56:15 PM

「なぁ今度旅行にいかないか?」

こちらを伺いながらも幾分か弾んだ口ぶりに
僕は反射的に頷いた。

彼は僕の後ろの席に荷物を置きながらスマホを取り出す。
直に置かれた折りたたみ傘が机を濡らした。

彼は僕の反応に弾みをつけたのか、少し大きくなった声で
「見て。推しが旅のキャンペーンをするらしい。」

スマホの画面には、彼の好きな作家と旅行会社のコラボ企画が表示されていた。

「オリジナルストーリーがあるんだって」

彼の心底楽しそうな声をききながら、雲間から差す陽の光に目を細める。

推しが1番だと公言してはばからない彼。
それを隣で一緒に楽しめる幸福を噛み締めながら
「それは楽しみだな」
と零した。

(テーマ:今日の心模様)

4/29/2024, 10:46:00 AM

帰り道。最近できた大きな二世帯住宅。
その家からはどこか懐かしい香りがする。

どんな人が住んでいるんだろう。駅近にこんな大きな新築。二世帯ということは親の出資なのか…?
などと下世話なことを思うこともしばしば。

地元を離れ、友人も恋人もいない。噂話に興じるわけではないのだから考えるくらい許して欲しい。

俯き加減歩く帰り道、その家の木は間接照明で明るく照らされている。

歩を緩める。

横を過ぎる人の気配。黒い革靴がコツコツと音を立て、迷いなく進む。

彼が揺らした風に乗って、あの香りが鼻腔をくすぐった。
まさか。
僕はいつのまにか歩みを止めていた。

彼はあの家の前に立つと、スーツを整えインターホンに手を伸ばす。
その時ふと、僕の方を向いた。

目があう。時が止まったかのような間。
徐々に相手の目が見開かれた。

(テーマ:風に乗って)

4/28/2024, 11:37:58 AM

私は自分の名前が嫌いだった。

お母さんもお父さんもきっと気付いていないんだろうな。

私だって、からかわれるまで気付かなかった。

「え!おまえ、"刹那な身"じゃん!」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。

思いのほか響いたその声に、教室が静まり返った。
頭に疑問符を浮かべながら、みんながその子に注目した。

その子もそれを感じたのか、
「だって、お前の名前、世津 七海だろ?ほら!刹那な身じゃん!」

その子はみんなに分かってもらおうと、声を張り上げた。
その子の手には名簿表が握られていた。

膝を打ち
「あー!え!まじじゃん!」
と声を上げながらその子に近づく子と、

興味を失い、
また友達と話し出すグループ内にわかれ、

教室は元の喧騒を取り戻した。

私は、友達と話の続きをしながらも、ずっとその子に言われた言葉が頭を巡っていた。

その日の帰り道も。そして今でも。

名前以上の意味がこの名前に宿っているような気がして、

(テーマ:刹那)

4/28/2024, 8:40:35 AM

「なんの本読んでるんですか?」

まだ肌寒い夜、バスを待っていると隣から声を掛けられた。

そちらに目をやると、
5分後には忘れていそうな顔。また声を掛けられても分からないだろうな。

このバス停で待っているということは同じ大学だろうか。

「ハイデガー」

咄嗟にタイトルが思い出せなかった。

「あ〜…有名な哲学者ですよね。『存在と時間』ですか?」

まさにその本だった。

「そうそれ。知ってるんだ。」

「タイトルだけですけど」

はにかむようなその笑みに肩の力が抜ける。

ちょうどバスが近づく音が聞こえてきた。

「あのバス?」

「いえ、僕は次のバスです」

「そう、じゃあまた。」

会釈を交わしながらバスに乗り込む。

席に座り、本を開く。
この本の重さが増した気がした。

(テーマ:生きる意味)