誰も知らない秘密
ずっと気になってたんですけど、それなんなんですか?他愛もない世間話が途切れたタイミングで、目の前の後輩がそう切り出した。雑談がてら目を通していた書類から顔をあげると、机の端に置いてあるクイーンの駒を指さしていた。
「ずっとそこに置いてますよね、他の駒はないんですか?」
指をさしつつも、一定の距離を保って触れないようにしている後輩の気の利きっぷりに見習わなければなあと感心しつつ、駒を手に取る。別に触られて困るものではないよと手渡そうとしたけれど丁重に断られてしまった。
「絶対大事なものじゃないですか、なんか嫌です」
「本当にたいしたものじゃないんだ。ただ、なんとなく記念みたいなもので」
「記念……ですか」
駒の代わりに、先程まで目を通していた書類を渡すとまだ名残惜しそうにしつつ、後輩は部屋を出ていった。
誰もいなくなったところで手の中の駒を日の光に当てると駒の底に彫られたアルファベットが透けてみえる。誰も知らないこの駒の秘密。元々のこの駒の持ち主はきっとこの駒たちは宇宙の塵にでもなったと思っているだろう。まさかこの俺がひっそり抱えているなんて、そしてこのアルファベットの意味に気づいているなんて、思いもしないだろう。
誰も知らない俺だけの秘密
heart to heart
深夜にふ、と目が覚めた。目覚ましもかけずにゆったりと眠れるなんてそうそうない、貴重な日だというのに。こういう時に限って目が覚めてしまう。どうせ今日はいつまでだって眠れるのだから夜中にちょっと起き上がったって支障はない。やけにはっきりと覚醒してしまった頭でそう割り切って起き上がる。
時刻は午前4時を迎えたばかりで、あと少しすれば外が明るくなるころだろうか。オーバーサイズすぎて外では着られないからと他人(ひと)に押し付けられたカーディガンを羽織り、立ち上がる。
寝室のドアを軽く開けたところで、リビングの明かりが目に飛び込んできて、どうやら誰かがいるらしいことに気がついた。相変わらずの神出鬼没ぶりに溜息をつく。そのほんの少しの空気の揺らぎに気がついたのか、ひょっこりと電気をつけた張本人が顔を覗かせた。
「やあ、早起きだね」
「……ああ、誰かさんが起こしてくれたおかげでな」
本当に気が利かないだけなのか、気づいていた上で嫌味を言っているのか。何年側にいてもわからない。逆光で表情はぼやけているが、どうせいつもと同じスカしたとぼけ顔をしているのだろう。相手にするだけこちらのストレスが溜まるばかりだ。
「嘘つけ、さっき起こしにいった時は爆睡してたくせに」
「こんな時間に起こそうとするやつがいるかよ!」
リビングに立ちふさがるデリカシーのない大男の肩を押しのけ、椅子に腰をおろす。おおげさに押しのけられた肩を押さえてついてきた男のスカした顔に、くっきりとした隈が住みついているのが見えた。
「それで、いつまでいるんだ?」
「……できれば明日の朝まではいたいんだけどね」
コンコンと男が手元の端末を爪で叩く。その端末が一度でもなればそれが一分後でも数時間後でも、すぐにここを出るということで、そしてその端末がなる可能性は非常に高い、ということなんだろう。
そんな隈まで作って、わざわざここまで来なくたって。そんな言葉は飲み込んで、そうかとだけ短く答える。そんなことはこいつだってわかってて、それでも俺が爆睡しているとわかっていても、それでもここに来たのが全てだ。
インスタントのコーヒーを淹れる背中にそっと近づいて寄りかかる。重いよ、と彼が笑うのに合わせて、広い背中が小刻みに揺れる。
「ミルク多めに入れろよ」
「あれ、ミルク入れるの好きだっけ」
「……ブラックじゃ眠れなくなるだろ」
「そっか」
彼が話すたび、背中が揺れる。彼の心臓が動くたび、とくとくと音がする。それが面白くて笑っているとこそばゆいからそこで笑うなと言われて余計におかしくなった。
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永遠の花束
制作中
やさしくしないで
やさしくしないで。君がいなきゃ生きていけなくなるから。もうこれ以上私をだめにしないでよ。
はらはらと涙を流しながら、君がたどたどしく紡ぐ言葉たちに身体中の血が沸騰するような気持ちだった。儚くって弱々しくって愛おしくって、このまま心臓が破裂して死んでしまえれば幸せだって、それくらいの幸福感だった。
やさしくしないなんて、そんなの無理だよ。君を見てたら俺はなんにも考えなくたってついやさしくしてしまうんだから。だきしめて、まんまるの頭を優しく撫でると腕の中の体がふるりと震えた。ごめんね。俺がいなきゃ生きていけないまんまでいてほしいよ。そう囁くとばか、とやっぱり舌っ足らずな声がした。
絶対にもうにどと、君の前からいなくなったりしないから。もう一人にはしないから。きっと君より長生きしてみせるから。だから、ねえ。やさしくさせてよずっとずっとずっと。
バイバイ、
バイバイ、と手を振って見送った母は帰ってこなかった。バイバイまたね、と手を振りあった親友との間にはもうどうしようもないほど深い溝ができてしまった。
だから手を振るのは好きじゃない。愛想よく笑えとは言わないけれど、手を振るくらいはできるだろうがと人のことを言えないくらいに愛想のない不機嫌面でのたまう目の前の男にそうぼやくと、バコンと頭を叩かれた。
なんて女々しくバカバカしい、子供じみた屁理屈だろう。自分でも自分の間抜けさにうんざりする。自分でだって自分の湿度の高さに辟易するというのに、目の前のこの竹を割った様な性質の男にとっては耐え難い土砂降りレベルの発言だったろう。力いっぱい叩かれた頭を擦りつつも腹部への追撃に備えて腹に力を入れるけれど、追撃の代わりに振ってきたのは心底呆れ返った様な声色の言葉だった。
「お前との間にバイバイしたからって崩れる様な関係性ないだろうが、バカ」
「……それでも、君が死んだらさみしいよ」
「じゃあお前が先に死ねばいいだろ」
腹の力を抜いて、目の前の男の目を見つめる。初めて会った時からずっと馬が合わず喧嘩ばかりしてきたこの男の真っ直ぐな目と目を合わせるのがずっと苦手だったけれどよくよく見るととてもキレイな目をしていた。
空色の瞳の中に、曇天みたいな顔をした俺が映っている。確かに、俺が死ねばいいのか、とつぶやくと空色がわかりやすく不機嫌に歪んだ。
「お前が死んだら俺が嫌な気持ちになるだろうが!」
「でも君は俺のことが嫌いだろう」
「勝手に死なれたら、嫌えなくなるだろ」
とんでもない屁理屈に思わず笑いが漏れる。じゃあ、君に嫌われ続けるためにも生きなきゃね。と伝えたところでアラームがなった。
苦手だったこの男と、もう少しだけ話をしてみたいと思った。またいつか会えたら、その時はもう少しだけ目を見て話がしたい。そう思えたら自然と手を振ってしまっていた。
空色の瞳を瞬かせて、男はにやっとしながら手をふりかえしてくれた。
「バイバイ、またね」
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♥が1000いきました
普段、他人の目があるところに創作物をあげないので、こうやって目に見える反応がいただけるのが嬉しいです
ありがとうございます<3