“踊るように”
ジュウジュウという音に合わせて踊るように、フライパンの上で薄いベーコンが跳ねる。時刻は午前10時。朝ご飯を作り始めるには少し遅い時間だけれど、日付を跨いでからしばらくして帰ってきた不眠気味の同居人が起きてくるには少し早い時間だ。
BGMとして付けたテレビからは、気象予報士の抜けるような青空が広がり、絶好の洗濯日和ですとこの時間帯に告げるには少し遅いようなコメントが聞こえてきた。もしかしたら三連休初日の今日はどの家庭ものんびり過ごしているのかもしれない。カリカリのベーコンを2枚ずつお揃いの皿に乗せて、残った油の上に卵を落とす。ジュウっと少しだけ油が跳ねて、白身が歪な形になる。
ゆで卵の黄身の具合には口うるさい同居人は、なぜか目玉焼きには頓着がなく、焦げない程度に火を落とし隣のコンロに火を付ける。小さい鍋には野菜のたっぷり入ったミネストローネが入っている。
チラチラと目玉焼きを確認しつつ、テーブルのセッティングをしているうちに洗面所から水が流れる音が聞こえてきた。どうやらやっと同居人も目を覚ましたらしい。テレビをちらっとのぞくと、最新の映画情報が流れていた。
今日はゆっくり家で映画を見るのも悪くないな。しっかりと火が通った目玉焼きをベーコンの上に落とす。もう一つ卵を落としたところで思いの外しゃっきり目を覚ました様子の同居人が顔を出した。
ちょうど、今話題のホラー映画の予告映像が流れたせいかちょっとびっくりしている同居人に少しだけ笑いつつおはようと声をかける。おはよう、って時間じゃないけどね。同居人はちょっとだけバツが悪そうに口を尖らせてそう言った。
もうすぐできるから、ちょっと待っててとバケットの入った皿を渡す。口を尖らせたままの同居人は子供扱いするなと言いながらも大人しく皿を持ってテーブルの方へ歩いていった。そのままいつも通りのイスに座って仕事用の端末を覗いている様だ。やっと取れた休暇だというのにワーカホリックも大変だ。
目玉焼きをテーブルに置きがてら、仕事も程々にねと寝癖のついたままの頭を軽く小突くとすぐ終わる!と拗ねた様な声が聞こえた。
“きらめき”
お前の髪は夜空みたいだな。ずっと月みたいに綺麗だと思っていたヒトの有明月の様な唇から、ほろりと零れ落ちた言葉にどきりとした。夜明け前の空気みたいな、透き通って優しい声色だった。そんな優しい声を出すヒトだなんて、思いもよらなかったから他の人の声だったろうかなんて目線を彷徨わせてしまった。けれど、深夜の河川敷には、僕と彼女の二人以外誰もいるわけがなかった。
向かい合う彼女の白い指先が、俺のコンプレックスである重たい癖のある横髪を梳いているのが視界の端に映っていた。彼女がやけに楽しそうにしているから僕はただ彼女が満足するまで立ち尽くす他なかった。
真夏の夜にしては、涼しい風が吹き抜けていく。ふくふくと月みたいな白い頬を膨らまして彼女は笑っている。
十年以上前、友達の友達みたいな関係だった彼女と唯一、二人きりで話したのは引っ越しをする前日の帰り道ことだった。
憧れの彼女と二人きり、という事実に浮かれきった僕は、何を話そうかと考えすぎた結果、気づけば空に浮かぶオリオン座を指さしてオタクの早口語りを披露していた。今、こんなことを言いたいわけじゃなかったのに!どうにか軌道修正をしようと試みたものの、彼女が心地よい相槌を打ってくれるものだから結局別れ道まで僕の口は止まらなかった。
また、話を聞かせてね。そう言って背中を向けた彼女に、僕は何も言えずに引っ越してしまった。
二度と会うことはないのだろうとしまい込んだはずなのに、淡い恋心はまた鼓動を刻み始めた。
どうしようと見上げた夜空には、夏の大三角がキラキラと瞬いている。一人で見上げてきたどんな夜空より、彼女と二人見上げたあのオリオン座より、ずっときらめいているように見えた。
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“星空”の続き?みたいなもの
“香水”
聞き慣れないヒールの足音と、嗅ぎ憶えのある香水の香りにキーボードを叩く手を止める。隣で仕事をするふりをして、ゴシップニュースを見ていた同期も画面をしれっと仕事用のエクセルの画面に戻して顔を上げた。
私と同期の視線の先では先ほどの足音の主と私達の上司とが火花を散らしながら睨み合っていた。うわ、始まったよと通路を挟んで背中合わせに座る先輩が呟く声に同期と二人で振り返った。
今年の春から配属された新入社員の私達よりずっと前からここにいるその先輩いわく、あの二人の睨み合いは恒例行事らしい。物腰の柔らかな王子様的なあの上司が、あんなに他人に感情を剥き出しにしているところを見たことがなかったが、昔はよくバチバチしていたらしい。今は部署が離れて日常茶飯事とまではいかないものの、じきに慣れるさと渋い顔をして先輩はそう言った。
物腰柔らかで顔が良く、死ぬほどモテるが故に女性とは距離を取りがちなあの上司が。あんなゼロ距離で女性とメンチをきりあっている構図のシュールさについつい眺めてしまう。
「なによ、あの女……」
隣の同期がご自慢のはずの綺麗に整えられたピンクの爪をパチパチ弾きながら呟いた言葉にそういえば、このミーハーな同期は配属されたその日からずっと上司を狙っていたっけと思い出した。そりゃあ狙っていた男に、やけに距離の近い女が突然現れたらそんなドロドロ三角関係ドラマに出てきそうなセリフも吐きたくなくなるか、と少しだけ同情する。
最初こそ私も少しはあの顔面にドギマギしたこともあったけれど多分私のことも他の人も総じてジャガイモにしか見えてないんだろうなと思った辺りで私はリタイアしてしまったから、未だに本気で狙っている同期の執念には感心していたのだ。
今日は朝まで愚痴に付き合わなきゃいけないかもしれないなあ。ちょっと買い物したかったんだけどなあ。愛用しているブランドの秋限定の香水を試してみたかったんだけど、まあ明日でも良いか。
そういえば、さっきの匂いを最近良く嗅ぐなと思ったけれど、どこだったっけ。
案の定、今日は朝まで飲むわよ!と唸っている同期にはいはいと相槌を打ちながら、未だにメンチを切り合っている二人を眺める。
……あれ。あの香りって……。なんだか気づいてはいけないことに気づきそうになった気がして頭を振る。
今日は私も結構飲みたい気分かもしれない。
“言葉はいらない、ただ・・・”
怒声、悲鳴、破砕音、それからひっきりなしに耳元をかすめる銃声音。暗くてせまい建物内での戦闘で目は使い物にならず、聴覚ばかりが研ぎ澄まされていく。滴り落ちる汗の音すら聴こえてくるような気がして煩わしい。
敵の銃弾をやりすごしながら汗を拭うと思ったよりもぬるりとした感触がして、やっと自分が怪我をしていたことを思い出した。少し前の銃撃の際、後ろの民間人を庇ってかすめた銃弾がこめかみの皮を持っていった時の痛みも今はほとんど、感じられない。アドレナリンのせいだろうか。
ゲリラ的に始まった戦闘は、こちらは民間人を守りながらの応戦で、どちらかといえば不利な状況であるはずだった。なのに、どうしてか俺はこの戦闘の中で高揚感を覚えていた。表情にも出ているのだろう、隣で一緒に戦う後輩が変な顔をして何かを言いたそうにしているが見て見ぬふりをして俺は銃を構えた。
滴り落ちる汗の音すら聞き取る耳が、微かに拾い上げた聞き覚えのある足音に、自分の口角が上がるのがわかる。多分、俺はこの時が来るのがわかっていたんだと思う。
次第に荒々しく近づいてくる足音が一瞬止まって、そしてすぐに砂利だらけの床を蹴り上げこちらへ飛び込んでくる。
飛び込んできた人影に目がいく敵に銃口を向けて引き金を引く。横に立つ後輩が、突っ立ったまま息をのんだ。ちょうど敵と俺達とのど真ん中に飛び込んできた丸腰の人間に向かって俺が発砲したように見えたのかもしれない。なんの打ち合わせも説明もしていないからそう見えても仕方ないだろう。
例外なく頭を撃ち抜かれ倒れていく敵には目もくれず死体の山の前に立つ男は、傷一つついていない純白の軍服を翻してこちらに歩いてくる。その彼の肩越しに新たに現れた敵を撃ち抜いて、俺も一歩彼に向かって踏み出した。
彼との間に言葉はいらない、ただこの高揚感を共有するだけでどんな状況でも乗り越えられると信じられるのだ。
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お題全く活かせてません:(
“突然の君の訪問。”
扉の前に、人の気配がした気がした。手にしていた荷解き途中のキャリーケースを音がしないようにそっと床に置き、右手を忍ばせていたハンドガンへ伸ばした所で扉を爪先でそっと引っ掻くような音が聴こえてきた。その聞き覚えのあるリズムに、無意識に詰めていた息をほうと吐く。
ハンドガンを備え付けのサイドテーブルに置いて、そのまま目の前の鏡で少し身だしなみを整える。彼に最後にあってから少し痩せてしまった気がする。目の下にくっきりと彫り込まれた様な隈はもうどうしようもない。
軽く手ぐしで髪を整えながら鏡に向かって苦笑する。まるでデートに行く学生みたいじゃないか。今扉の前できっと仁王立ちしてる彼女とそういう関係だったのはもう10年以上前だというのに、いつだって彼女の前ではしゃんとしていなきゃいけない気分が抜けないのだ。
シワの寄ったシャツを軽く伸ばして、気持ち背筋を伸ばして扉を開けるとやっぱり目の前の彼女は眉間に深いシワを寄せて、仁王立ちして俺を睨みあげてた。
「……遅い」
「まさか人が訪ねてくるなんて、思わなかったんだ」
言外に匂わせた、連絡もなく来るのが悪いという俺の反論をしっかり汲み取った上でしっかりと無視をした彼女がズカズカと部屋に入っていく背中を追いかける。
「きったない部屋だな」
「ついさっき到着したばっかりなんだよ」
ハイヒールの尖った爪先で容赦なく床に放り出された荷物を蹴飛ばしていく彼女はやっぱり容赦なく着ていたロングジャケットを鏡に投げかけて、そのままベッドに座り込んだ。置きっぱなしだったハンドガンも、鏡に映っていた冴えない俺の立ち姿もロングジャケットの下に隠れて見えなくなった。