ほねこ

Open App
10/3/2023, 6:34:46 AM

「奇跡をもう一度」

 君に出会えたことは私の人生において最上の幸運であり、不幸でもあった。あの偶然の出会いを、君は運命だ、奇跡だと言った。つまりは偶然と偶然が合わさり、結果として奇跡的に良い方向へと働いたのだ、と。
 それまで私は運命だの奇跡だのというものを信じちゃいなかったけれど。でも、確かにあのことは特別だった。衝撃的とでも言おうか。それによって、私の物の見方もすっかりと変わってしまった。変えられてしまった。世界には常軌を逸したことが起こり得るのだ。私の世界は、突然に広大なものになってしまった。それは喜ばしいことに見えたが、次第に恐ろしさへと変貌した。
 私は、臆病なのだ。それを自覚させた君が憎い。愛しくて、憎くて、堪らない。これが全て夢幻の類であったのだと願いたい。君の存在ごと知らずに、あのままの私でいられたなら、と。今からでもそうなれたのなら、と。君の言う奇跡が再び起こらんことを、請わずにはいられないのだ。

10/1/2023, 11:26:35 AM

「たそがれ」
※百合

 夏が終わって、部活を引退した。それからは早く帰るのもちょっと嫌だったから、受験勉強の為に自習室へ行っていた。
 あの日も同じだった。自習室のいつも使っている席に座って、参考書を開いて、いつも使っているルーズリーフも準備して、イヤホンを取り出そう、とした。ここまではいつも通りだったけど、この時はお弁当箱を机の中に忘れたことを思い出した。それだけ。たったそれだけが、いつもと違った。

 いくら涼しくなってきたって言ったって、お弁当箱を置きっぱなしにするのは嫌だな、と思って私は教室に向かった。遠くから吹奏楽部の練習する音が聴こえた。合奏中じゃなかったようで、色々な音がバラバラに耳に入って来る。それ以外は、校庭の方から運動部の掛け声とか、そんなものだけが世界にあって、どこの教室もガラン、としていた。
 日は暮れかけていて、まだ暗くはなっていなかったけど、なんだか少し寂しいような感じもして。居心地が悪かったから、少し駆け足で教室に向かった。扉を開けて、教卓の正面という何とも嫌な位置にある私の席のところへ、行こうとした。
 教室はオレンジ色に染まっていた。机たちの足元の影が長く伸びていた。視線を下げていた私は、影が無機物のものだけじゃないことに気がついた。そちらを辿ると、半分閉められたカーテンの下に、ふたり分の脚が見えた。ふたりとも私の気配に気がついたのか、カーテンの後ろからこちらを見ようとしたようだった。
 いけないものを見てしまった、と思って、咄嗟にその場を立ち去ろうとした。だけど、慌てた私は手に持ったお弁当箱を、落としてしまった。
 カシャン、と音がする。それがまるで、世界を崩してしまった音のような気がして、私は逃げるように走った。自習室までの道のりで先生に走るな、と怒られたような気がしたけれど、とにかく急いで戻って、荷物をまとめて、家に帰った。

 その日は早く寝た。早く、寝ようとした。スマホを見たくなかったから。お願い神様、今日見たことは全部幻だったことにしてください、なんて祈ってみたりして。あのふたりが誰だったか、なんて、私は見てない。だからわからない。知らない。誰かなんて、検討もつかない。一瞬片方の人と目があった気もしたけれど、夕日の逆光で、何も見えてない。見えていなかったんだ、と思いながら眠りについた。
 翌朝、隣の席のあの子が「昨日これ忘れていった?」と笑顔でお弁当箱を差し出してくれた。「ありがとう」と受け取りながら、私の中で恋が終わる音を聞いた気がした。

 誰そ彼、なんて嘘なんだ。嘘なんだよ。だって私も、あの子も、お互いがわかっちゃったんだから。

9/30/2023, 11:14:32 AM

「きっと明日も」

 さよなら、と手を振って。
 また明日、を誓い合って。
 繰り返し、繰り返す。
 漫然としながらも、粛然とした様子で、当然のように。

9/29/2023, 3:36:55 PM

「静寂に包まれた部屋」

 ここも寂しい場所となりました。持ち主を失った家具たちには払われるのことのない埃が積もり積もってその輪郭を滲ませています。それでも彼らは懸命に、主人の帰りを待ち続けるのでしょう。じっと耐えて、耐えて、耐えて。いつの日かもう一度、あの人が戻ってくる日に備え、今のままの形を残してゆくのでしょう。
 なんて涙ぐましい懸命さ! ちっとも堪えられなかったわたくしと大違い。わたくしは、自ら望んだ孤独にこれっぽっちも耐えられなくて、すべてを捨てて逃げ出しました。何せここは、煩いくらいに静か過ぎるから。

9/28/2023, 11:47:15 AM

「別れ際に」

 君の微笑みが頭から離れない。いつまで経っても思い出してしまう。あの時の君は、とても輝いていたから。僕は眩しくて、目を閉じてしまった。でも本当は君のことをもっとちゃんと見ていたかったんだ。そんなことに気がついたのは、随分と後になってからだった。僕の手はもう二度と君には届かない。もしかしたら、君に触れられたことなんて一度たりともなかったのかもしれない。それでも、やっぱり。僕は君とお話ししたあの時を、あの空間を、そして君の柔らかな表情を、忘れることはないのでしょう。あれは確かに存在したものだったから。
 穏やかな時を過ごせて良かったのだ、と。僕は自分に言い聞かせるのです。君の為に。僕自身の為に。それでは、また。

Next