人に落ちていく瞬間というのは、割と身近にあって、本当に一瞬なんだと思う。
週末の夕方。
電車の中にいるのは、目が死んでいながらも休みに希望をもつ人々だ。私もそのうちの一人なのかもしれない。
就職が決まった時に母が買ってくれた鞄。
そこには私のたくさんのミスと、誰かの怒号が詰まった書類が山のように入っている。
私が家に帰るのは、1ヶ月ぶりだった。でも、会社ではそれがなかったことになる。残業代も、残業記録も残っていないからだ。
『次は〜』
電車のアナウンスは聞こえず、私は最寄りより少し遠いところで電車をおりてしまった。
何も考えず、真っ暗な道をフラフラ歩いていた。それがなんか面白くなってきて、
「ははっ、は、ふはは。」
笑いながら歩いていると、急に人とぶつかった。
「あっ、すいません。」
ぶつかった人は、そういう私を気にせずスタスタ歩いていった。
東京の人は言わないのか、そういうこと。
そう思いながら顔を上げる。そこに広がっているのはキラキラした照明に囲まれた街だった。就職する前から絶対行かないと決めていた街。でも、体はその街へと足を進めていた。
ボロボロになった街。でも、輝いていた。
[あの、すいません。]
突然、男性から声をかけられた。茶髪で、何もセットしていないボサボサの髪だった。
「は、はい。」
[あの、ハンカチ、落としてます。]
「あ、ありがとう、ございます。」
[あと、、あの、靴擦れしてます。]
「え?」
足元を見ると、足には赤い靴擦れが出来ていた。
[あの、よかったら、手当します。僕、お店近くなんで。]
「あ、え、いや。大丈夫です。あの家近いんで。」
[でも、お姉さん、結構歩きづらそう、]
不意に目が合ってしまった。前髪の向こうから見えたのは、何も知らないような目だった。就職したばかりみたいな、。
[とりあえず、行きましょう。あの、靴も余ってると思うんで。]
「は、はい」
[あの、利用しよう、とか、思ってないんで。ただ、心配で、]
「え、、、はい。」
ボロボロだけどキラキラした街で私はこの人に落ちてしまったのかもしれない。落ちてしまっても、いいのかもしれない。
【落ちていく】
『歪んだ世界』
あの子は変わった。
丁度、大学に入って2回目の紅葉を見た季節だった。初めは化粧が濃くなったなと感じるだけだった。おかしいなと思い始めたのは、いつも出ていた一限に出ていなかったことからだ。LINEの返信も遅くなった。
「ねぇ〜、みさとぉー。今日、ランチ行かない?」
『え、いいけど。』
講義が終わったあと、あの子から電話が来た。
カフェに行くと、彼女はヒラヒラと手を振った。久しぶりに会ったあの子の眼は、闇に堕ちていた。
「久しぶりぃー。」
『久しぶり…。』
気まずいながらも、久しぶりに沢山話した。話をしてくれるのが嬉しかった。
「あぁ〜。やっぱみさとおもしろー笑。
あ、あのさ話変わるんだけどさ…お金貸してくれない?」
巻いた黒髪を指でいじりながらあの子はそう言った。
『え?なんで、?』
「いやぁ、明日締め日でさ。担当NO.1にしたいから。」
『…は?』
「あ、担当って、ホストね。…あたしの担当見る?ちょぉかっこいいんだよねぇ。」
「将来、、結婚するの。だからお願い。貸して。」
『…いくら?』
「じゅぅまん…だめかな?」
お願いって手を合わせてお願いされた。
締め日って…きっとホストのことだ。
目の前で目をキラキラさせて見つめる彼女。
キラキラした瞳と相対的にあの子の顔が歪んでいく。私じゃダメなんだろうか。
【可愛い子猫】なんていわれなきゃ、あなたの心は満たされないのだろうか。それほどまでに、あの子はこわれていたのだろうか。
「私がやらないと、、、。」
目の前で全部がぼろぼろになった子猫は、暗転したであろう世界で、笑っていた。
穏やかなあの子の日常はもう、狂っているようだ。
【子猫】
『粧』
いつものバイト先に出かけるために私は化粧をする。
鏡に映る自分は今日も汚れている。化粧は私にとって、汚れた私を綺麗に見せるための作業だった。自分を隠す手段でもある。私は“美麗”。私は“美麗”
「ふぁ~、美麗おはよぉ〜。」
[玲奈おはよ。今日早いね。]
「うん。今日ね、ソラくんとのアフターなんだぁ!」
[そっか。楽しんできてね。]
「美麗もバイト頑張ってね!」
玲奈と住み始めてからおよそ半年。お互いに苗字も知らない。それがお互い心地ちょうど良かった。
玲奈は世に言うホス狂というものらしい。
1人の男性とご飯に行くために。派手な装飾の着いたシャンパンボトルを開けるために。一体、何枚のお札が飛んでいくのだろうか。
私には玲奈が“ソラくん”にすがっているようにしか見えなかった。でも、それが羨ましい気もする。
ドアの前で自分の顔を確認する。バイトはどんな格好で行ってもいいので気が楽だ。
大丈夫。言い聞かせるように頭の中で唱える。
「行ってきます。」
本当の私を知る者は誰もいない。隠し通してやる。
覚悟を決めて私はドアノブを捻る
誰も知らない、おねぇちゃんのために。
【鏡の中の自分】
「画面の向こう」
あの後、私はいつも以上に早歩きで帰った。バックの中に入る1枚のディスクに私は気が気ではなかった。
普通ならつけるはずのポータブルプレーヤーもつけるのを忘れていた。
妹の部屋で私は急いでDVDを入れた。四角い画面には一人の少女が映っていた。
黒髪でメイクもしていない。髪もコテで巻くには短い。西野カナの真逆のようなイメージだ。
それでも、何故か私は見入ってしまった。
『えーっと…。今これを見ているあなたへ。
こんにちは…。私、高橋紬です。突然ですが、私のお願いの代行をあなたへお願いしたいです。とりあえず、図書室。夏目漱石の[こころ]。牛みたいにゆっくりでいいから。』
そこで映像は途切れてしまった。妹にバレないようにディスクをきちんとケースにしまって私の部屋に向かった。ふとケータイを見ると、レナから連絡が来ていた。コムにも連絡が来ている。でも、なんか連絡する気になれなかった。
今日はメイク落として寝ちゃおっかな。今日盛ってなかったし。自堕落な私はそれしか浮かばなかった。
紬…さん?、誰なんだろ。夏目漱石の[こころ]忘れないように私は手に油性ペンで[こころ]と書いた。
眠りにつく前に私の頭の中は紬さんでいっぱいだった。
【眠りにつく前に】
〇あとがき
こんにちは。NNです。
前回の投稿のお話の続きを書きました。
よかったら読んでみてください。
『放課後』
一日の終わりを示すチャイムが人の声に包まれた教室に鳴り響いた。
[はい。じゃあ、気をつけて帰るよーに。]
[あ、中野はちょっと残って。じゃあさよーなら。]
え、嘘。えぇ…まじかぁ….。
何かしたかなぁと思いながら、私は散りゆく人を掻き分け先生の元へと向かった。
「なんですか?」
[ぁあ中野。お前さ、この前の図書委員サボっただろ。]
「あ。すいません、忘れてました。」
[司書の神田先生が資料渡したいって。]
「分かりました。ありがとうございます。」
口ではそう言いつつもわざわざ別の校舎の図書室に行くのはめんどくさかった。重たい足を動かし、私は窓から見える校舎に向かって歩いていた。
「し、しつれいしまぁす。」
中に入ると、中には誰もいなかった。先生を待つついでに、暫く本棚を眺めていた。
普通の人なら行けない受付にも行ってみた。
コロコロつきの椅子でぐるぐる回ってみたりもした。
あれ?何これ。
カウンターの下の方に、DVDのようなものが落ちている。ケースが茶色くなっているから長い時間ここにおいてあったのだろう。目をクラクラさせながら、私はケースを拾った。DVDにはキレイな字で〈あなたへ〉と書かれていた。
『あ…中野さん?放課後に来て貰っちゃってごめんね。』
「あ、いえ。暇だったので、全然。」
先生に言えばよかったのだが、私はDVDをカバンの中に入れていた。
――私が貴方と図書室で出会ったのは、きっと運命だと思う。