「休憩入りまーす」
店舗の混み具合もピークを過ぎた昼下がり。
業務の回転に目処がついた頃合いを見計らい、早番の先輩が一番乗りで休憩へ出て行った。
――と、思ったのも束の間に。
五分も経たない内に、先輩が休憩室から帰って来た。
「あれっ。どうしたんですか? お昼は?」
白衣を脱いで舞い戻ってきた先輩の手の中には弁当箱が一つ。
先輩はそれを申し訳なさそうにおずおずと差し出すと、苦笑いを浮かべてこう言った。
「誰か、この蓋を開けられる人、居る?」
先輩曰く。大慌てで用意してきた手作り弁当は、粗熱が冷めきる前に蓋をしたことが祟ってしまい。
いざ食べるこの時になって、全然開かなくなってしまったらしい。
皆の前で、ダメ元で再度先輩が蓋に手をかけてみせたが、冷えてしっかり閉じた蓋はびくとも動かなかった。
これでは、折角のお昼が食べられない。
丁度待合室の患者さんははけて、順番を待つ人は誰も居ない。
図らずして、「この聖剣を抜ける勇者は居らぬか」と言わんばかりの緊急ミッションが発生した。
「じゃあ、僕が開けますよ!」
いの一番に、お調子者の後輩が名乗り出た。
意気揚々と件の弁当を受け取って力を込めるも、敢えなく撃沈。
頑固な弁当箱は開かなかった。
そこから代わる代わるに皆の手に弁当箱が渡っていくが、器とぴったり張り付いた蓋はちっとも開かない。
そうして弁当箱は開かないまま。とうとうそれは私の元まで回ってきた。
「おお~。最後の砦来た!」
「先輩の命運はあなたにかかってる!」
「いやいや、期待はしないで下さいよ?」
「お願い! よろしくお願いします!」
これだけ皆でトライしてダメだったものが、非力な私の手で開くのだろうか?
先輩を筆頭に、皆からのプレッシャーと視線が集まる中。
半信半疑のまま、破れかぶれで、えいっ! と手元に力を込めてみた。すると、
――パカッ!
「え。開いた?」
「おーっ! やったあ!」
「すげえ! ゴリラじゃん!」
「わ~。ありがとう! これでお昼が食べられるよ~」
無事に開封されて先輩は大喜び。
喜んでもらえて何よりだ。
――が。おい。お調子者の後輩くんよ。
君はいつも口が軽いなこの野郎。
誰がゴリラだ。どさくさに紛れていてもばっちり聞こえていましたとも。
君がいつかお昼に困っても、絶対助けてあげないから。
覚悟しておきなさいよ。ふん!
(2024/10/07 title:057 力を込めて)
ひそひそ、ひそひそ。
笑い声を交えながら囁かれる悪巧み。
暗く長い廊下をゆっくりと進むごとに、その内容が徐々にはっきりと聞こえてくる。
角を曲がってその先を見遣れば、一連の怪異の犯人たち、ビルに住み着くお化けたちが輪になって騒いでいた。
真っ直ぐに僕が近付いているのも構わずに、大胆な悪戯会議が続けられる。
うん。全く以て、警戒ゼロ。
これは完璧になめられているようだ。
そちらがそういう構えなら、やっぱり遠慮は要らないか。
「こんばんは。お楽しみのところ、邪魔してごめんね」
ぴたりと歩みを止めて声をかける。
そこで初めて彼らの雑談が止んだ。
漸く僕の気配に気が付いたか。
呆気に取られた彼らの視線が集中する。一斉にぎょろりと向いた目玉の迫力に、同類の僕もうっかり怯んでしまった。
けれども、気圧されている場合ではない。
へらりと笑い、気色ばむ彼らを静止した。
「いやあ、驚かせてごめんね。気配を消すのは得意なものだから。友人にもそれでよく叱られるんだよ。僕の悪いところだよね~。長年染み付いた癖は簡単に抜けなくって」
愛想を振り撒いたところで、一度強ばった彼らの緊張は解かれない。
いいさ。今更警戒されたところでもう遅い。
僕の接近を許した時点で、彼らの命運は決まっているのだから。
「君たちも、楽しいことはなかなか辞められないよね~。驚かせて、良いリアクションが返って来るのなら尚更だ。――でもね」
曇っていた夜空が晴れて、雲の切れ間から月が顔を出す。
その光が窓から差し込んで、闇に紛れていた僕の羽が大きく照らし出された。
薄く微笑めば、口元から覗く八重歯も光を受けて白くきらめいた。
「お遊びでも、怪我人出しちゃ、駄目でしょ?」
僕の怒りを察知して、勘の良いものは素早く逃げ出した。
遅れた他の物の怪たちも、続いて方々へ散って行く。
良いね。鬼ごっこはもっと得意さ。
何せ僕は吸血鬼。正真正銘の鬼ですから。
「やり過ぎたよね。僕の友人まで傷付けたの、許さないから」
その日、明け方近くまで。逃げ惑う物の怪たちの断末魔が、建物中に響き渡った。
ばっちりお仕置きが叶って、僕はとっても満足だったのに。
無線でその様子を聞いていた友人が、「おまえの方こそやり過ぎだ」と呆れてくれるから困ったものだ。
まったく。お化け相手にまでお人好しなんだから。
お互い様ってことで、良いじゃんね?
(2024/09/22 title:056 声が聞こえる)
クラスではあまり皆と話さない。
部活は入っていなくて、授業が終わるとすぐさま帰っていく。
がさつに見えるけど、実は料理がとても上手い。
持ってくるお弁当は彼が自分で作っている。
幼い頃に母親を亡くして、今はお父さんと二人暮らし。
だから料理だけじゃなくて、家事も一通り出来るすごい男の子で。
勢いで誘った料理部の活動にも、「皆と騒いで作るのも楽しいから」と欠かさずに参加してくれる。
私がばっさり失恋したときも、深くは聞かずに側にいてくれて。
悔しくて悲しい気持ちを一緒に消化してくれた。
心強い部活仲間で、友人で。
彼をさらに知る度に、好きな気持ちも膨らんだ。
この好きは、恋? それとも熱い友情の延長なの?
どちらなのかは自信がないけれど、貴方を映画に誘っては駄目かなあ。
部活の連絡事項では散々メッセージのやり取りをしてきたけれど、いざ純粋に遊びのお誘いとなると、何だかとても緊張してしまう。
『観たい映画があるんだけど、受験勉強の息抜きに一緒に行きませんか?』
何回も消して迷った文面は、ちょっと他人行儀になってしまった。
それでも他に良い文面も思い付かなくて、えいっ! と勢いに任せて送信した。
数分待って。
貴方から届いたのは「オッケー!」の可愛いスタンプ。
ぶっきらぼうな彼の印象からは意外だったけれど、彼は返信にスタンプを多用する。
前に理由を聞いたら、「簡単に済むから」と、これまた彼らしい理由に笑ってしまったっけ。
まだ映画のタイトルも伝えていないのに即答してくれたのが嬉しくて、うじうじ躊躇っていた心が晴れ渡る。
スマホを握ったまま、小さくガッツポーズを決めていれば、追って彼から今度はメッセージも送られてきた。
浮かれてすぐさま画面を開いた。
けれども、その内容を確認して固まってしまう。
『他の三年にも声かけようか。王子とかも誘う?』
彼の優しさに、がっくり項垂れる。
違う。違うよ!
確かに。学年一番の優等生、あの王子のことは好きだったけれど、バレンタインで振られてちゃんと諦めがついたんだから。それも、貴方のお陰で。
そりゃあ、今でも格好いいなあって。アイドルを応援する憧れの気持ちみたいなのは残っていて。
王子が料理部に参加したいって聞いたときは思わずはしゃいでしまったけれど。
そんな橋渡しみたいなこと、してくれなくても大丈夫なのに。
王子と彼が親しくなって以来、私が好きだった人を察していた彼は、時々こうして仲を取り持つような真似をしてくれる。
けれどもその度に、彼の優しさと勘違いに心がぎゅっと締め付けられて、実はちょっと辛い。
こんなに悩んで。やっぱりこれは恋する気持ちなの?
ああでも。彼の言うように、皆で出掛けるのも楽しそうだ。
提案を断るのも何だか変だし。ああもうどうしよう!
名前の付かない気持ちと、ワクワクする気持ちを抱え込んで。
トーク画面を見つめたまま。再び頭を悩ませる私は、すっかり恋する乙女なのかもしれない、と。
彼には内緒で、こっそり赤面した。
(2024/09/15 title:055 君からのLINE)
バチーン!
ドラマやアニメの効果音よろしく派手に叩かれた。
避けることも出来たさ。
けれども、今までに類を見ない彼女の剣幕に、ここは敢えて受けて終わりにするのが得策と考えた。
だから、迫る右手の勢いそのままに、彼女渾身の平手打ちを甘んじて受け止めたんだ。
思惑通り。叩いた本人は、徐々に赤く色づく頬に怯んで勢いを失った。
「――ごめんなさい!」
そう言って走り去る姿に安堵する。
何度経験しても、寄せられる好意を断るのは心苦しい。
一度クラスメイトにそう気持ちを吐露したら、何を贅沢な。と呆れられた。
でも、仕方ないじゃないか。
好きだと伝えられても、心が動かないんだから。
仮初めで付き合ったところで、今動かない気持ちが変わる保証なんて無いだろう?
だったら初めから心を鬼にして、すっぱり断った方がお互いのためになる。
ため息を吐いて痛む頬を擦っていれば、ポケットに入れたスマホがぶるりと震えた。
画面を開くと、クラスメイトからのメッセージが届いている。
『まだ来ないのか? 肝心のおまえが居ないと、俺が下準備しても意味ないんだけど』
添えられた不満顔のスタンプに笑ってしまう。
そっか。今日は彼に料理を教わる日だ。
予定より時間がかかったお陰で、部活の開始時刻を過ぎていたことに気が付いた。
家庭科調理室に向かって歩き出せば、追加でもう一件メッセージがやって来た。
『部長も待ってるし早く来いよ』
頓珍漢な催促に思わず吹き出す。
打たれた頬がひきつってチクリとしみた。
何を言っているんだ。
どこをどう見たって、君がご執心の彼女は、僕への恋心はもう持っていない。
寧ろ君へ心が向いているのは明らかじゃないか。
いつまでも彼女が僕を好きだと勘違いして、まったく世話の焼ける師匠である。
頬はまだ痛かったが、笑っている内にいつしか足取りも早くなった。
廊下ですれ違う人たちが、僕の頬に驚いてぎょっと振り返ったが構わない。
憂鬱な気分も何処かへ吹き飛んでしまったようだ。
鈍感な彼のように、夢中になれる思い人はまだ居ないけれど。
いつかそんな恋に出会えたら、その時は彼に相談してみようか。
こっそり希望を託しながら、調理室へと急ぎ駆ける。
そうして漸く辿り着き、扉を開けるや否や。
メッセージ上での不機嫌はどこへやら。
慌てふためいて頬の怪我を心配する彼を見て、やっぱり今は友人がいればそれで良いや、と再び笑った。
(2024/09/12 title:054 本気の恋)
何で。何でだよ。
勇者だの何だのと、一世一代の大舞台に引っ張り上げられて。
皆のためになるのならと、こうして魔王も打ち倒したのに。
急転直下。青天の霹靂。
故郷へ帰って呆然とした。
大役を終え、いの一番に会いたかった幼馴染みは、とうの昔に亡くなっていたらしい。
僕が旅立ってすぐのこと。急襲した魔物にやられたのだと。
嘘だ。そんな大事な話、どうしてずっと黙っていたんだよ。
世界を救えば、また大切な人と笑って過ごせると信じていたのに。
何ですぐに知らせてくれなかったんだ。
今更になって、こんな裏切り許せない。
些細な願いも叶わない。
君が居ない世界なら、平和な世界に意味もなければ興味もない。
慰めてくれる誰も彼も、何食わぬ顔で僕を騙し続けた嘘つきで、人の面を被った鬼だらけ。
今までなら曇って濁った心でも、君の笑顔で晴れたのに。
いくらあの眩しい笑みを思い描いても、すべて黒い感情に飲み込まれ、奥底の闇へと沈んでいく。
最期に浮かんだ灯火も、虚しく揺らいで消え失せた。
ああ。もう、どうでも良い。
さようなら。僕の愛した美しき世界よ。
これから先は、僕がこの世の魔王となろう。
新たな勇者が顕るその日まで、僕と一緒に戯れようか。
遠慮は要らない、さあ共に。
地獄の扉を開けるとしよう。
(2024/09/02 title:053 心の灯火)