バチーン!
ドラマやアニメの効果音よろしく派手に叩かれた。
避けることも出来たさ。
けれども、今までに類を見ない彼女の剣幕に、ここは敢えて受けて終わりにするのが得策と考えた。
だから、迫る右手の勢いそのままに、彼女渾身の平手打ちを甘んじて受け止めたんだ。
思惑通り。叩いた本人は、徐々に赤く色づく頬に怯んで勢いを失った。
「――ごめんなさい!」
そう言って走り去る姿に安堵する。
何度経験しても、寄せられる好意を断るのは心苦しい。
一度クラスメイトにそう気持ちを吐露したら、何を贅沢な。と呆れられた。
でも、仕方ないじゃないか。
好きだと伝えられても、心が動かないんだから。
仮初めで付き合ったところで、今動かない気持ちが変わる保証なんて無いだろう?
だったら初めから心を鬼にして、すっぱり断った方がお互いのためになる。
ため息を吐いて痛む頬を擦っていれば、ポケットに入れたスマホがぶるりと震えた。
画面を開くと、クラスメイトからのメッセージが届いている。
『まだ来ないのか? 肝心のおまえが居ないと、俺が下準備してても意味ないんだけど』
添えられた不満顔のスタンプに笑ってしまう。
そっか。今日は彼に料理を教わる日だ。
呼び出された用件に時間がかかってしまったお陰で、部活の開始時刻を過ぎていたことに気が付いた。
家庭科調理室に向かって歩き出せば、追加でもう一件メッセージがやって来た。
『部長も待ってるし早く来いよ』
頓珍漢な催促に思わず吹き出す。
打たれた頬がひきつってチクリとしみた。
何を言っているんだ。
どこをどう見たって、君がご執心の彼女は、僕への恋心はもう持っていない。
寧ろ君へ心が向いているのは明らかじゃないか。
いつまでも彼女が僕を好きだと勘違いして、まったく世話の焼ける師匠である。
頬はまだ痛かったが、笑っている内にいつしか足取りも早くなった。
廊下ですれ違う人たちが、僕の頬に驚いてぎょっと振り返っているようだったが構わない。
憂鬱な気分も、何処かへ吹き飛んでしまったようだ。
鈍感な彼のように、夢中になれる思い人はまだ居ないけれど。
いつかそんな恋に出会えたら、その時は彼に相談してみようか。
そんなことを考えながら、調理室へと急ぎ駆ける。
そうして漸く辿り着き、扉を開けた先には、待ちくたびれた師匠の背中。
扉が開いたことに気が付いて、文句でも言いたげに彼はゆらりと僕を振り返った。
けれども、その不満げな顔は一瞬で消え失せた。
「え。ちょ、どうしたんだその顔!」
さっきまでの不機嫌はどこへやら。
慌てふためいて僕の頬に注目し、遅れて周りの部員たちからも悲鳴が上がる。
あれ、もしかして。思っていたより酷い怪我なのか、これ。
しっかりと確認もしないまま走ってきたけれど、近くの窓に映る自分の頬を見て、今更ながらに失敗したと気が付いた。
うわ。結構赤くなってるじゃん。確かに、痛かったもんなあ、さっき。
似たシチュエーションがあるのなら、次はちゃんと避けるとしよう。
呑気に構える僕を置き去りに、周りがばたばたと騒がしくなる。
「部長。俺、保健室連れていくわ」
「あ、待って! 王子。ちょっとの間だけど、これで冷やして行って!」
エプロンを脱ぎ捨て、師匠が僕の腕を取る。
それを部長がすかさず引き留めて。僕の手に、ひんやりとしたものを握らせた。
花柄のハンドタオルにくるまれた、保冷剤が一つ。咄嗟に冷蔵庫の中から用意してくれたのだろう。
「――ありがとう」
小さくお礼を呟けば、部長が青い顔で頷いた。
彼女だけじゃない。師匠に、他の部員たち皆もだ。
「ごめん、ね」
ああ、こんな顔をさせるなら。遅れてでも、きちんと先に保健室へ寄れば良かったよ。
上手く立ち回ってきたつもりが、全然駄目。
僕のせいで、皆の部活の時間が台無しだ。情けない。
保冷剤を握りしめ、うつむく僕を気遣ってか。隣の彼がくしゃりと僕の頭を掻き回した。
「ほら、ちゃんと冷やせよ。まずはおまえの怪我が先だ。行くぞ」
ぐいっと背中を押され、師匠と二人歩き出す。
早歩きで廊下を進み、途中思い出したように、「気分は悪くないか。クラクラするとか」と僕を気にかける彼はやっぱり優しい。
押しかけるようにして近付いた僕なのに。
初めの頃の不信感はなくなって、今ではすっかり部活の仲間として扱ってくれる。
凄いなあ。周りの皆は、外面の良い僕のことを王子だなんて呼んでもてはやすけれど、そんなの買い被りだ。
ひねくれた僕よりも、彼の方がよっぽど王子さまに相応しい。
ああ、勿体ないな。
真面目な彼こそ、早く恋が実れば良いのに。と、頬を冷やしながら、ぼんやり願った。
(2024/09/12 title:054 本気の恋)
(2024/11/03 ※ 加筆修正して改稿)
9/13/2024, 10:24:25 AM