ヒロ

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5/18/2024, 9:59:21 AM

疲れた。ああ疲れた!
あのくそ野郎、チョロチョロ移動しまくって。尾行して追っかけるこっちの身にもなれってんだ。
おかげで浮気の証拠はばっちり揃ったが。
何が休日出勤の出張だ。こんな夜中まで女と遊び回りやがって。
絶対ばれねえと思って安心してんだろうな。
全然振り返りもしねえし。
だいたい、奥さんはとっくに感付いてんだよ。おめでたい奴。舐めんじゃねえよ。
俺が一部始終を見ているとも露知らず。
件のカップルは別れ際にしっかり抱き合うと、互いに投げキッスまで残して漸く側を離れて行った。
「さて、と」
今のもしっかり写真に納めたし、これでこの件も粗方終わりだな。
あとは依頼人と連絡取って、調査結果を報告すれば終了だ。
俺もさっさと帰るとしよう。
二人の後を追っている間に日付も変わって、時刻はもう深夜一時近くとなっていた。

疲れた。すっげえ疲れた。
奴らを追いかけ回った肉体的な疲労も勿論だが、奥さんの気持ちなんか微塵も考えていない、馬鹿騒ぎみたいなデートには吐き気がして、こちらまでごっそりメンタルが削られた。
仕事だからとやりきりはしたが、しばらく浮気の素行調査はやりたくねえな。
報告書のまとめは一旦置いといて、今はとにかく帰って休みたい。
事務所まで帰る道すがら、ただそれだけを考えて暗い夜道を急ぎ車を走らせた。
それなのに。

「おっかえり~!」
事務所に到着して早々。
扉を開けるなり、騒がしい馬鹿と爆ぜるクラッカーが俺を出迎えた。
奴が夜に元気なのは元々だ。吸血鬼の性だから仕方がない。
それにしても、今日は一段と浮かれている。
満面の笑顔の馬鹿の頭の上にはパーティー用の三角帽子。
視線を外してその後ろを伺えば、来客用テーブルにはサラダに始まって肉料理、高い酒までが所狭しと並んでいた。
「――何だこれ」
訳の分からない状況に、疲れでツッコミも追い付かない。
戸惑う俺を他所に、元凶の馬鹿は「え~ノリ悪~い」とブー垂れた。
「いやマジで。何のパーティーだ? 騒ぎたいなら昼間にしろよ。夜中だぞ」
「やだー。ちょっと、何そのリアクション。まったくピンとも来てないの? 人間は短命だけど、流石に呆けるにはまだ早いでしょ。しっかりしてよ探偵さん」
「ちょ、やめろって!」
奴が近付いて、からかうように頬を突っつかれる。
うざい煽りから逃れるため、立ち尽くしていた入り口から中へ進んで遠ざかる。
そうして初めて、壁に掲げた日めくりの日にちが目に留まった。
依頼人から謝礼と一緒にもらって、何となく下げているだけのカレンダー。
めくり忘れることも多いその日めくりが、今はしっかりと更新されている。壁のパーティー飾りと一緒にデコられて、電飾に彩られピカピカと輝いていた。
日付が変わった今日は――。

「俺の、誕生日?」
漸く合点がいった。
振り向けば、にんまりと笑った相棒とばっちり目が合う。
「そうだよー。やっと気が付いてくれた?」
「俺、おまえに教えたか? 誕生日なんて」
「バーのお姉さんに聞いたんだよ。あと、念のため間違ってると恥ずかしいから、君が寝ている間に免許証を失敬してね」
マジか。油断も隙もあったもんじゃない。身内とはいえ、所持品管理には気を付けねえと。
「さあさあ。これで理由は分かったでしょ! いつもお世話になってるし、一番にお祝いしたかったんだ~。早く食べよ!」
呆気に取られている間に背中を押され、テーブル前のソファーに座らされた。
御馳走の匂いに釣られて腹も鳴る。
そういえば、見失わないように尾行するのに必死で、昼から飯を食べ損ねたままだった。自覚した途端に食欲も沸いてくる。
あんなに疲れていたはずなのに、こいつの陽気に引き摺られて、いつの間にか体も少し軽くなっていた。
「――そうだな。食うか」
誕生日パーティーなんて柄じゃねえけれど、たまには誘いに乗ってやるのも悪くない。
珍しく素直にグラスを取った俺に、向かいの相棒もぱあっと笑顔を輝かせた。
ワインをついで、グラスを掲げる。
「誕生日、おっめでとー!」
「恥ずいわ馬鹿」
口ではいつものように毒づいて、グラスを鳴らして乾杯した。
一口飲み干して、ふと疑問が浮かぶ。
「そう云えば、おまえこそ、歳いくつなんだ?」
「えっ今それ聞くの? そこはミステリアスなままで良くない?」
「勝手に免許証見た奴がそれ言うか?」
「ノ、ノーコメントで!」

二人で騒いで酒を煽る。
ずっと独りの仕事だったけれど、こうして笑う相棒が居るのも良いもんだ。
ま、吸血鬼で不老のじーさんだけど。
いつかこいつの誕生日も暴いてやるか。


(2024/05/17 title:036 真夜中)

5/16/2024, 11:19:09 PM

相手に尽くせるかどうか。
誠心誠意対応できるのか。
そのラインはどこで決まるのか。

「愛があれば何でもできる?」

この問いに二択で答えるならば、それはNOじゃなかろうか。
「愛」など大層な言葉を掲げると、何だかこそばゆくて判断の勢いが鈍る。
けれども、その言葉を分解すれば、そこは自分の寛容さだとか、譲れない逆鱗のポイントだとか。
そういった色んな判定基準をクリアして初めて、実際の行動に移せるものだと私は思う。

分類するのも変な話だが、愛にも種類がある。
身近な人たちに対する家族愛に始まって。友人へ向ける友愛や、職場の同僚や訪れる患者さんに対する博愛や慈愛であったりと、場面場面で様々だ。
愛を向けるその相手が誰かによっても先の質問の答えは変わるだろう。
まあ、この手の問いかけならば、対象は最愛の人に限定されるのだろうけれど。
ぶっちゃけ。さほど相手に愛はなくとも、例えばいざ仕事ともなれば、普段家族にもしないようなことだって出来てしまうこともあるのだから。
最愛の人に限らずとも、似たようなジャッジは無自覚の内に繰り返されているように思う。
そんなことをうだうだ考えてしまうのは、つい昨日、職場であった出来事がちらつくからだろう。

沢山の患者さんと話をしていれば、同じお話でも、要約すれば話はシンプルなのに、自分の頭の中で順序立ててからでないと話せない患者さんもいらっしゃる。
私はそのスピードに合わせて根気よく話を聴けるけど、片やそれが待てずにイライラと態度に出して対応するスタッフも、残念ながら実際にいる。
そこは私と彼女でジャッジのポイントが異なるからだろう。
訪れる全ての患者さんに対して大きな博愛や慈愛の精神を向ける必要は無いし、カスハラのような無理難題に応える必要も勿論ない。

しかしながら、ここは医療機関なので。
患者さん側がマナーを守った上での相談ならば、親身にお話を聴くのは別に構わないのではなかろうか。
ましてや、まだ対応中のところへ端から横槍を入れて、嫌な空気をぶつけて来るのは違うように思う。
イライラは心の内に納めて、もう少し思いやりを持って仕事をすれば良いのに。

話が逸れてしまい申し訳ない。
お題に触発されて、ついつい思い出してしまった。
何れにせよ、相手に心を傾けられるかは場合に依りけり。
その見極めは、間違えないようにしたいものである。


(2024/05/16 title:035 愛があれば何でもできる?)

5/13/2024, 1:05:18 PM

スマホを握りしめ項垂れる。
時刻は朝の六時を回ったところ。
今日こそは、早起きしてお昼のお弁当を作ろうと、いつもより早めに目覚ましまでかけたのに。
ぐっすり寝こけた自分が恨めしい。

念のために補足しておけば、普段通りの時間に起きただけで、決して遅刻するほどの影響が出ている訳ではないのだけれど。
アラームの履歴を見るに、ご丁寧にスヌーズまで解除した形跡も伺えるのが情けない。
おかしいな。そんな記憶はないのだけれど。

ベッドの上で後悔したところで、眠り過ぎて失われた時間が巻き戻る訳でもない。
仕方がない。
悔しいけれど、用意した材料は夕飯のおかずにでも回そうか。
――うん。昨日も同じように諦めたっけ。重ね重ね情けない。
まあ、そもそも連日残業で、疲労が溜まっているのが一番いけないんだろうけれど。
まずは早く帰って来ないとな。
夕飯を食べて、お風呂へ入って。
好きなテレビを見て、早寝早起きでリフレッシュ。
明日こそは、お弁当作りを頑張ろう。


(2024/05/13 title:034 失われた時間)

5/10/2024, 12:26:14 PM

春の象徴の一つとして。
蝶がヒラヒラと舞う様を見て、素直に和める幼い時期も確かにあったのだが。
中学の頃だったろうか。
クラスメイトが放った一言のインパクトが尾を引いて。
それ以来蝶を見かけても、単純に春の訪れだと喜べなくなっている節がある。

「小さいときはさ、蝶だ! 可愛い! て好きだったんだけど」
と、前置きの上で彼女は続けた。
「理科の教材のさ、便覧で見たんだよね。蝶の拡大写真」
「頭とか、顔みたいなところとか。あれ見たらさあ。蝶見ても、もうモスラにしか思えなくって。駄目、もう無理だわ」

もちろん、モスラは蛾がモチーフの怪獣で。蝶とは違うものなのだけれど。
彼女が似ていると言うその言い分も分かるけれども。
おかげでこのかた。蝶が飛んでいる様を見れば、彼女の言葉が呪いのように蘇り。
和む時間は一瞬で、浮わついた気持ちがフリーズする。
凍りついたその後には、モスラやら件の拡大写真が頭を過ってしまい、微笑ましくきゃっきゃと騒げなくなってしまったのが残念だ。
十年以上経った今でさえ。未だにしつこく思い出してしまう辺り、自分には無かった着眼点が衝撃的だったと伺える。
そもそもの言い出しっぺの彼女自身は、そんな発言などもう忘れてしまっているのだろうから悔しいな。
まあ、確かに。
花と同列に並べて愛でる言葉もあるけれど、所詮は蝶とて虫なので。
改めて画像検索してみても、蝶の頭はやっぱりモスラ顔で間違いなく。
これは一生忘れなさそうだ。


(2024/05/10 title:033 モンシロチョウ)

5/8/2024, 9:59:29 AM

高校に入学して初めての文化祭。
お祭りの喧騒を離れて訪れた、美術部の展示スペースにて。
ひっそりと飾られていた、そこに広がる作品群に思わず足を止められた。

黒地をベースに彩られた青に黄色。
時折混じる、白と赤がアクセントとなって光り輝く銀河の海。
そんな宇宙の星々を、可愛らしくデフォルメされたキャラクターたちが巡る冒険譚。
漫画のように台詞や言葉はなくとも、絵本のように雄弁に語りかける世界観に魅入られて、絵の中の宇宙へ吸い込まれたかのようにして私は夢中になった。

「気に入ってもらえた?」

不意に背後から声をかけられて、私は驚いて飛び上がった。
慌てて後ろを振り返れば、口元に手を当てくすくすと笑いをこらえる男の子が一人立っていた。
「びっくりさせてごめんね。これ、俺が描いたんだ。すっごい真面目に見てくれてるから、嬉しくって」
そう言って笑う彼は本当に嬉しそう。
一方の私は、突然の作者登場に頭が追い付かず。
食い入るように眺めていた一部始終を見られていたのかと思うと、恥ずかしくて顔から火が出る思いだった。
何とか気持ちを落ち着かせて、
「色使い、とか、あと、宇宙人が、可愛く、て」
と感想を捻り出したものの。
緊張の追い討ちで、途切れ途切れにロボットのような受け答えになってしまったのが悔やまれる。
ああ、何たる醜態。挙動不審でごめんなさい。

けれども、そんな私の間抜けさは、彼にとっては些細なことだったらしい。
焦る私には気にも留めず、彼は満足そうに微笑んだ。
「ねえ。どの絵が気に入ったの?」
彼に問われるまま少し考えて、私は部屋の隅にある絵を指差した。
指差した先を見届けると、彼は短く「へえ」と相槌を打ち、そのままくるりと背を向けて入り口付近の机まで戻って行く。
その途中。次いで「じゃあ宇宙人は?」と質問を投げかけられ、私もまた同じように絵を差して、「あの丸い子」と返して、遠退く彼を目で追った。
「よし分かった」
彼はペン立てからマジックペンを取り出すと、机の上でさらさらと何かを描き出した。
それはあっという間の出来事で。
一分もしない内にそれを描き上げると、彼は一枚のカードを持って私のところへ帰ってきた。
「はい、どうぞ」
彼が手渡してきたそれは、先ほど私が好きだと指差した絵のポストカード。
裏面には同じく好きだと答えたキャラクターが即興で描かれており、その横には吹き出しで「ごめんね」の四文字と、彼の名前がアルファベットで小さく綴られていた。

「――えっ! い、いいの?」
突然の贈り物にびっくりして、手の中のポストカードと彼を交互に見比べる。
慌てる私が面白いのか。彼は「いいよ」と笑って手を振った。
「折角集中して見てくれていたのに邪魔しちゃったから、そのお詫び。どうぞ、受け取って」
「あ、ありがとう」
改めて受け取ったカードを見返した。
丸い宇宙人が、「ごめんね」とぺこりと頭を下げて謝っている。本当に可愛い。
あんなに早く描けちゃうなんて凄いな。
折角なら、描いているところも近くで見させてもらえば良かった。
なーんて、そんなこと言ったら贅沢かなあ。

「え。いいよ?」
「――え?」
まるで心を読んだかのようなタイミングの言葉に、三度驚いて顔を上げた。
見上げた先には、同じくきょとんとして私を見下ろす彼の顔。
首を傾げて彼は続ける。
「描いてるところ、見たいんでしょ? 俺、描いてるとき周りの視線とか気にならないから構わないよ。ほら、こっちにどうぞ」
そう言って踵を返すと、彼は机の方まで戻って行き、今度は椅子まで用意して私を手招きした。
初めは彼の言っていることが分からなかった私も、次第に状況を理解する。
馬鹿な私はうっかり願望まで口に出していたらしい。
は、恥ずかしい!
「し、失礼しました!」
「え? あ、ちょっと待って!」
彼の制止を振り切って、私は脱兎のごとく美術室から逃げ出した。
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!

――その後日。
逃げた私を気にかけて。
美術部の彼が私の教室まで訪ねて来るのを、茹で蛸の私はまだ知る由もない。

絵をきっかけにして知り合って。
お互い初めて恋を知る。
そんな二人の絵描きの、始まりの思い出話。


(2024/05/07 title:032 初恋の日)

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