ヒロ

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相手に尽くせるかどうか。
誠心誠意対応できるのか。
そのラインはどこで決まるのか。

「愛があれば何でもできる?」

この問いに二択で答えるならば、それはNOじゃなかろうか。
「愛」など大層な言葉を掲げると、何だかこそばゆくて判断の勢いが鈍る。
けれども、その言葉を分解すれば、そこは自分の寛容さだとか、譲れない逆鱗のポイントだとか。
そういった色んな判定基準をクリアして初めて、実際の行動に移せるものだと私は思う。

分類するのも変な話だが、愛にも種類がある。
身近な人たちに対する家族愛に始まって。友人へ向ける友愛や、職場の同僚や訪れる患者さんに対する博愛や慈愛であったりと、場面場面で様々だ。
愛を向けるその相手が誰かによっても先の質問の答えは変わるだろう。
まあ、この手の問いかけならば、対象は最愛の人に限定されるのだろうけれど。
ぶっちゃけ。さほど相手に愛はなくとも、例えばいざ仕事ともなれば、普段家族にもしないようなことだって出来てしまうこともあるのだから。
最愛の人に限らずとも、似たようなジャッジは無自覚の内に繰り返されているように思う。
そんなことをうだうだ考えてしまうのは、つい昨日、職場であった出来事がちらつくからだろう。

沢山の患者さんと話をしていれば、同じお話でも、要約すれば話はシンプルなのに、自分の頭の中で順序立ててからでないと話せない患者さんもいらっしゃる。
私はそのスピードに合わせて根気よく話を聴けるけど、片やそれが待てずにイライラと態度に出して対応するスタッフも、残念ながら実際にいる。
そこは私と彼女でジャッジのポイントが異なるからだろう。
訪れる全ての患者さんに対して大きな博愛や慈愛の精神を向ける必要は無いし、カスハラのような無理難題に応える必要も勿論ない。

しかしながら、ここは医療機関なので。
患者さん側がマナーを守った上での相談ならば、親身にお話を聴くのは別に構わないのではなかろうか。
ましてや、まだ対応中のところへ端から横槍を入れて、嫌な空気をぶつけて来るのは違うように思う。
イライラは心の内に納めて、もう少し思いやりを持って仕事をすれば良いのに。

話が逸れてしまい申し訳ない。
お題に触発されて、ついつい思い出してしまった。
何れにせよ、相手に心を傾けられるかは場合に依りけり。
その見極めは、間違えないようにしたいものである。


(2024/05/16 title:035 愛があれば何でもできる?)

5/16/2024, 11:19:09 PM