ヒロ

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3/27/2024, 1:13:28 AM

ぐすっ、ずびっ。
部長が隣で泣いている。
事の起こりは三十分ほど前。
いや、彼女の想いの始まりを考えたら、とっくの昔に始まっていたことなのか。

「プレゼントして来るわ!」
そう言って彼女は、部活動で出来上がった菓子を手に、意気揚々と家庭科調理室を飛び出して行った。
今日はバレンタインデー。この日にチョコ菓子を持ってプレゼントと言ったら、告白しに行ったに決まっている。
ワンチャン本当にお友達へのプレゼントも考えられるが、いつになくそわそわウキウキ。頬まで染めて出て行った姿を思い返すに、その可能性はまず無いだろう。
部長、好きな奴いたのか。
料理しか興味ないと思っていた。
どこの誰だよ羨ましい。
料理部エースの手作りお菓子だぞ。
部長は可愛いし、そんなの貰ったらどんな男もイチコロだろう。
部活で一緒に居られることに胡座をかいて、ズルズルと告白する勇気を出さなかった俺が悪い。
唐突に終わった片思い。
呆然と動けずにいる俺を置いて、他の部員たちもそそくさと教室を離れて行った。
泣きたい気持ちのはずなのに、戸惑いが強くて涙も上手く出てこない。
漸く頭が働いて、帰ろう、と荷物を手に出入り口に立ったとき。部長が独り帰ってきた。
ぽろぽろと、俺が流せなかった涙をこぼしながら。

予想外の展開に驚きつつも、取り敢えずは泣き止まない部長を椅子に座らせた。
そうして、ありったけのティッシュを差し出して今に至る。
どうしたの、と問いかけるなんて野暮なこと。
ただ、問題点がひとつある。大問題だ。
どうして部長はあの菓子を持ったままなのだ。
彼女の力作を受け取らなかった馬鹿はどこのどいつだ。
「誰からも、受け取っていないんだって」
手元に向けられる視線に気が付いたのだろう。ぽつりと彼女が教えてくれた。
「気持ちに応えられないのに、物だけ受け取るのは期待させるようで不誠実だからって。そこまで言われたら、仕方ないよね」
自分に言い聞かせるように言って、不器用に笑う。
彼女は相手の名前を伏せたけれど、今の話でピンと来た。
その聖人君主のような口振り。あいつか。学年トップの王子様か。部長は案外面食いだったらしい。
相手の顔が分かった途端、無性に腹が立ってきた。
奴は充分真摯に応えている。
あいつがオーケーしていたら俺の方は失恋確定だし、俺が怒るのはお門違いなのも分かっている。
けれども、こんなに泣かせなくたって良いじゃないか。
俺が欲しくても手に入れられなかった彼女の恋心。それをこんな形で終わらせるなんて。
憎たらしい気持ちを紛らわせるようにして、部長が抱えていた袋をひょいと取り上げた。
部長が驚いて、「え」と声を上げる。
「勿体無いよねー。部長が作ったお菓子なんて絶対美味しい奴じゃん。これ食べないなんて絶対損したよ、そいつ」
相手には気付いていない振りをして、手の中の袋をしげしげと見つめた。パステルカラーの控えめな袋に、キラキラとしたリボンがよく映える。
男の俺から見てもセンスの良いラッピング。そんなことからも彼女の本気度が伺えて。
「あ~。羨ましい~」
と、うっかり本音が漏れてしまった。

やべ、と気が付いて顔を上げれば、案の定涙も引っ込んでキョトンとした部長と目が合った。
傷心の彼女に余計なことを。
あ、いや傷心なのは俺も同じなのだけれど、えっとそうじゃなくて。
今の言葉、部長はどういう意味で受け取った?

「――ねえ、これ一緒に食べちゃわない?」
有耶無耶にするように、またはそうと感じさせないように言葉を繋ぐ。
結局俺は意気地がない。
でも、今はもうそれで良い。
結果振られたけれど、勇気を出して告白した部長の方が何倍も偉い。
傷心につけ入る資格など有りはしないのだ。
砕けた俺の心より、今は彼女に少しでも笑ってほしかった。
「俺が作ったのもあるしさ。何なら交換する?」
鞄に入れたタッパーを取り出し、「ほらほら」とちらつかせておどけてみせた。
いつもの俺にしては強引だ。
あいつのために作ったものを交換だなんて、無神経だったかもしれない。
でも、こんなものがいつまでも目の前にあるから彼女の心は鎮まらない訳で。
だったらいっそ食べて無しにしてしまった方が良いじゃないか。
部長は黙って俺とタッパーを見比べている。
破れかぶれで、「俺の作ったもの、好きでしょ?」と駄目押しすると、やっと少しだけ笑ってくれた。
俺の好きな、あの笑顔だ。
「ありがとう」
部長は小さな声で続けた。
「今、あなたが側に居てくれて、良かった」

お互いに曖昧な言葉。
部長の心は分からない。
けれども今はそれで良い。
気持ちまでほしいなんて、ないものねだりはしないから。
ただの友だち、ただの部活仲間で構わない。
共に料理を作って、一緒に食べる。その楽しみを分かち合う仲で丁度良い。

けれどももし、まだ俺にチャンスがあるのなら。
決心がついたその時には、今度こそ君に好きだと伝えさせて。


(2024/03/26 title:017 ないものねだり)

3/26/2024, 3:44:29 AM

毎日のご飯なんて、食べられれば何でも良いつもりだった。
けれども残念なことに、親父に任せていたらお世辞にも美味いものなど出て来やしない。
だから仕方無く俺が台所に立つ事が多くなって、親父の腕はすぐに越した。
今日は何を作ろうか、なんて考えながら帰るのも苦ではなくて、今ではもうすっかり毎日のルーチンに組み込まれている。
必要に駆られてやっているだけで、特技と呼ぶにもきっとおこがましい。
習慣にこそなっているが、きっと俺の料理スキルなんて自慢するほどでもない。そう思っていたし、人様に披露するつもりも毛頭ないものだった。

だから、びっくりしたんだ。
家庭科の授業で、彼女が俺の料理を手放しで褒めてくれたときは。親父以外に喜んでくれる人がいるなんて思いもしなかったから。
「料理好きなの?」と食いつく君に恥ずかしくて、別に、なんて無愛想に答えたのに、「好きじゃないのにここまで出来るなんて凄いよ!」とさらにベタ褒めしてくれたのが嬉しくて。
「ねえ、料理部に入部しない?」
と、端から見ればなかなか強引な勧誘にも、思わず「うん」と頷いてしまったのだ。
だって、しょうがないだろう。
俺の料理を「美味しい」と食べてくれた君の笑顔を、もう一度見たいと思ってしまったのだから。

女ばっかりの部なんて、正気だったら絶対に入らない。
案の定、クラスの仲間は早速茶化してきた。
だけど、後悔はしていない。
部長の君は、俺のことなんて何とも思っていないのだろうけれど、そうやって、純粋に俺を褒めてくれた君だからこそ好きになったのだ。

不純な動機を許してくれ。
部員が欲しかっただけなのも分かっている。
もう料理が好きじゃないなんて言わないから、部活の時間くらいは隣に居させて欲しい。

花より団子の君だから、まずは胃袋から掴ませて。
そしていつかきっと、俺ごと好きって言わせてみせるよ。


(2024/03/25 title:016 好きじゃないのに)

3/23/2024, 11:56:41 PM

仕事を続けていて目指すところを考えたとき、一番に思い浮かぶのは、入社した当初に店長を務めていた先輩の姿だ。
新人教育の担当をしてくれた先輩も別にいたが、目標のようなものを描くとき、どうしても必ずあの店長の背中がちらつく。

出勤してからの朝の準備に始まり、仕事終わりの清掃のポイント。
器具の扱いや、機械の電源を入れていく手順。
各工程での注意すべき点に、効率良く仕事を回す知恵。
患者さまとのコミュニケーションの取り方や、さらにはクレームが入ったときの対処の仕方まで。

そのすべてを手取り足取り教えてくれた訳ではない。
凛々しくてきぱきと仕事を裁き、間違いや苦情があれば、本人へ的確にびしっと指摘し情報共有。
私語や笑いも挟まない様を怖いと周りのスタッフは敬遠することもあり、斯く云う当時の私も注意される度に縮こまっていたものだ。
けれども、そうやって鋭く指摘してもらえることで次への対策を自分でもしっかり意識できたし、おかげで成長を重ねられたのも事実だ。
店長だから、という面も彼女に働いていたかもしれないが、オンオフはっきりさせてクールに仕事をこなす姿は今でも色濃く印象に残っている。

私の社会人歴も来月四月で早 十年となる訳だが、医療現場で働いていくその心構えと姿勢を示してくれたのは間違いなく彼女であろう。
残念ながら共に働けたのは一年と少しという短い期間であったが、今尚、事あるごとに思い出す憧れの人だ。
もしまたお会いする機会があれば、あの頃の感謝を改めて伝えたいものである。


(2024/03/23 title:015 特別な存在)

3/23/2024, 9:07:51 AM

好きか嫌いかで選ぶなら、どちらかと云うと掃除はそこまで好きではないと思う。
ただ、片付いていれば活動しやすいし、使ったものは元の場所に戻して、ものが増えたら収納場所を確保する。
どうしてもすぐに片付けられなければ、一時的に机の上や部屋の隅に寄せたりして邪魔にならないようにする。
掃除というよりも整理整頓の域ではあるが、「取り敢えず綺麗にする」レベルの術を何とか持てているのは、子供の頃から事あるごとに綺麗好きな母の指導を受けたのと、その手際と手腕を間近で見てきたおかげだろう。
まあ、未だに母の御眼鏡に適うほどでないのはお恥ずかしい限りだが。

しかしながらその未熟な整頓術も、世間的に見れば「綺麗好き」の部類に含まれるものなのかもしれない。自意識過剰にも、そう思えるようになったのは最近のことだ。

良くも悪くも昔からくそ真面目な性分なもので、学生時代の清掃時間も割り振られた分はきちんとこなしていた。
社会人になってからの業後の後片付けも、手本を見せる先輩に倣い、共に一通り綺麗にし終えてから帰宅して、それが当たり前のことだと思っていた。

それなのに、その当たり前も今ではそうでもないらしい。
一緒に勤めていた先輩も転居を機に退職して去り、残ったのは私と同僚や入れ替わって入社した後輩たち。
彼らに声をかけては仕事終わりの閉めに掃除を続けているが、如何せん習慣付いてくれず、今や率先して片付けているのは私と極一部のスタッフのみだ。

そしてそれは業後の清掃だけに留まらず、昼間の業務中からして人任せ。
広げた資料は机に開いたまま棚へ返さない。
折角納品したものも、誰かが収めてくれるまで触らない。
翌日がゴミ収集日で、ゴミ箱が満杯でも袋の交換もせずに知らんぷり。
さらにはポケットから出した私物のボールペンまでもが、使った机に転がして置き去りのままという有り様である。

片付けや清掃はスタッフ皆でやることとして特に当番などは割り振ってはいない。
それで本当に、手が空いた者から順当に皆で当たっているのならば文句も出ないだろう。
しかしながら、皆でやること即ち、
「誰がやっても良いこと」
「誰かがやってくれること」
「自分がやらなくても良いこと」
と認識して、意識を向けないのはまた違うことのように思う。

個人のデスクは無く、仕事は共有の作業台で行うので、そこが物で溢れていては仕事もやりづらい。
だから目についたものは片っ端から戻したり捨てたりしてスペースを確保している訳なのだが、最近はそれもちょっと馬鹿らしくなってきた。
何故に私ばかりが片付けねばならないのか。
私だって冒頭で触れたように、掃除はそこまで好きではない。
それでも職場でせっせと日々片付けをしているのは、医療機関であるから清潔と衛生面を保つというのは大前提として、自室と違って皆で使用する共有空間だからこそであるのに、その結果私や同調してくれるスタッフに負担が偏ってしまっているのは何だか可笑しなことのように思う。
いっそ掃除当番でもシフト上に振って回してくれた方が、気持ちとしてもまだ楽になれるのに。

過去にその旨を店長に異見してみたこともあるが、まさにぬかに釘打ち、暖簾に腕押しの返答で呆れ返ってしまったものだ。
「そんな独りで背負い込まなくても大丈夫ですよ」
「下手に当番割り振ると、当番があることにこだわって動けなくなる人が出てくるから振りたくないんですよねー」
「ヒロさんがまめに片付けてくれてるのは皆分かってますから」
「流石に荒れてきたら僕らもやりますよ」
「逆にヒロさんがやってくれないときとかは、僕らを試してるんだなって受け取ってますから大丈夫です!」
くそ真面目の癖に遠慮して一旦一歩引いてしまうところが私の駄目なところだと分かっているが、予想外の受け答えに渇いた笑いしか返せなかったのを覚えている。
大丈夫じゃないからわざわざ言ってるんだよ。
試してるって何だ。
そんな余裕ありませんよ。掃除できない日は単純に手が回らなくてやれていないだけさ。
私が動けてないのに気付いているなら代わりに掃除をしておくれ!

これが某法医学ドラマの中堂さんだったら「糞が!」とか、チコちゃんの相棒のキョエちゃんだったら「バカー!」と叫んでいるところであるが、ハラスメントにも配慮しなければいけないこのご時世、波風立てずに声を上げると云うのは中々に難しいものである。
いや、負担やストレスに感じている点で言うならば、寧ろこちらがハラスメントを受けているとも言えるのか?
何にせよ、店長の云う荒れた状態にまで店舗を放ってはおけないので、これからも私は妖精さんのように掃除し続けるのだろう。
――クソがぁ!


(2024/03/22 title:014 バカみたい)

3/21/2024, 9:57:18 AM

昨年末に夢を見た。
どんな夢だったか思い出すとちょっと笑ってしまうが、 家の中で失くした家族のマイナンバーカードを両親と必死になって探す、というもので。
現実にもひょっとしたら起こるかもしれない辺り、身に迫る感じが何とも可笑しい夢だ。
けれども、とにかくその時は大真面目で。
心当たりのところから始まり、寝室に和室、客間を順々にごそごそと探して回ったものだ。
しかしながらカードは見付からず。
粗方探し尽くし、それじゃあ次はどこを探そうか、と皆で頭を捻ったときだ。
「あっちの方にあるんじゃないの~?」
いつの間にか家捜しに加わった祖母が前を横切って行った。

腕を背中に回して組んで腰を曲げ、杖も使わずにスタスタと。
初夏に大腿骨を折る骨折をして、「車椅子になるかもしれない」とまで言われたのが嘘のよう。
こんなに元気に歩けるようになって良か――。

「――おばあちゃん?」
はっとして呼び止めた。
客間を出て廊下へ、そして台所へ向かって歩いていく後ろ姿を追いかけ手を伸ばす。
あと少しで腕が掴める。
――そこで夢は唐突に終わったのだ。

祖母は昨年の夏に亡くなった。
通夜に葬式、四十九日とあれよあれよという間に時は過ぎ。
年も明けて今は三月だから、あれからもう半年以上も経ったのか。
ひい、ふう、みいと改めて月日を数え、時の流れの早さに驚かされる。
それだけの時が経っても尚、未だに気持ちの整理がつかないところがある。
亡くなる前一ヶ月の出来事を思い返すと、今でも心がざわつくからだ。
「しゃべり、たいこと、ある、のに。はな、せん」
最期の一ヶ月は会話もままならず、お見舞いへ出向いたとき、絞り出すようにしてたどたどしく紡がれた祖母の言葉が忘れられない。
骨折して入院した際に持病も悪化し、そのまま最期まで住み慣れた我が家へ帰ってくることはなかったのが悔やまれる。

祖母が亡くなった朝方も、夢を見た。
ふわふわと、夢か現か。
浅い眠りの中、風になびく草原の中に祖母が居り、病んでしまう前のふっくらとした顔つきで、にっこり微笑んで立っているだけ。
こちらから話しかける間もなく夢は静かに終わり、近くに聞こえる、慌ただしく発進する車のエンジン音で目が覚めた。
遠ざかる音と入れ替わりに母がやって来て、早く起きるよう私を急かした。
先んじて父が家を出たから、私も後を追うように、と。
それが、祖母、危篤の知らせだった。
まるで最期のお別れに会いに来てくれたかのようで。
そんな不思議な夢に、病院から帰ってきた後は零れた涙が止まらなかった。

年末の夢のときも、ひょっとして、あの時のように会いに来てくれたのだろうか。
そうだとしたら、夢とはいえ、久しぶりに一言でも声が聞けたのが嬉しい。
また会いに来てくれるだろうか。
次があるなら、今度は会話を繋ぎたい。
夢から醒める前に、少しでも長くお喋りをしようね。おばあちゃん。


(2024/03/20 title:013 夢が醒める前に)

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