ヒロ

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ぐすっ、ずびっ。
部長が隣で泣いている。
事の起こりは三十分ほど前。
いや、彼女の想いの始まりを考えたら、とっくの昔に始まっていたことなのか。

「プレゼントして来るわ!」
そう言って彼女は、部活動で出来上がった菓子を手に、意気揚々と家庭科調理室を飛び出して行った。
今日はバレンタインデー。この日にチョコ菓子を持ってプレゼントと言ったら、告白しに行ったに決まっている。
ワンチャン本当にお友達へのプレゼントも考えられるが、いつになくそわそわウキウキ。頬まで染めて出て行った姿を思い返すに、その可能性はまず無いだろう。
部長、好きな奴いたのか。
料理しか興味ないと思っていた。
どこの誰だよ羨ましい。
料理部エースの手作りお菓子だぞ。
部長は可愛いし、そんなの貰ったらどんな男もイチコロだろう。
部活で一緒に居られることに胡座をかいて、ズルズルと告白する勇気を出さなかった俺が悪い。
唐突に終わった片思い。
呆然と動けずにいる俺を置いて、他の部員たちもそそくさと教室を離れて行った。
泣きたい気持ちのはずなのに、戸惑いが強くて涙も上手く出てこない。
漸く頭が働いて、帰ろう、と荷物を手に出入り口に立ったとき。部長が独り帰ってきた。
ぽろぽろと、俺が流せなかった涙をこぼしながら。

予想外の展開に驚きつつも、取り敢えずは泣き止まない部長を椅子に座らせた。
そうして、ありったけのティッシュを差し出して今に至る。
どうしたの、と問いかけるなんて野暮なこと。
ただ、問題点がひとつある。大問題だ。
どうして部長はあの菓子を持ったままなのだ。
彼女の力作を受け取らなかった馬鹿はどこのどいつだ。
「誰からも、受け取っていないんだって」
手元に向けられる視線に気が付いたのだろう。ぽつりと彼女が教えてくれた。
「気持ちに応えられないのに、物だけ受け取るのは期待させるようで不誠実だからって。そこまで言われたら、仕方ないよね」
自分に言い聞かせるように言って、不器用に笑う。
彼女は相手の名前を伏せたけれど、今の話でピンと来た。
その聖人君主のような口振り。あいつか。学年トップの王子様か。部長は案外面食いだったらしい。
相手の顔が分かった途端、無性に腹が立ってきた。
奴は充分真摯に応えている。
あいつがオーケーしていたら俺の方は失恋確定だし、俺が怒るのはお門違いなのも分かっている。
けれども、こんなに泣かせなくたって良いじゃないか。
俺が欲しくても手に入れられなかった彼女の恋心。それをこんな形で終わらせるなんて。
憎たらしい気持ちを紛らわせるようにして、部長が抱えていた袋をひょいと取り上げた。
部長が驚いて、「え」と声を上げる。
「勿体無いよねー。部長が作ったお菓子なんて絶対美味しい奴じゃん。これ食べないなんて絶対損したよ、そいつ」
相手には気付いていない振りをして、手の中の袋をしげしげと見つめた。パステルカラーの控えめな袋に、キラキラとしたリボンがよく映える。
男の俺から見てもセンスの良いラッピング。そんなことからも彼女の本気度が伺えて。
「あ~。羨ましい~」
と、うっかり本音が漏れてしまった。

やべ、と気が付いて顔を上げれば、案の定涙も引っ込んでキョトンとした部長と目が合った。
傷心の彼女に余計なことを。
あ、いや傷心なのは俺も同じなのだけれど、えっとそうじゃなくて。
今の言葉、部長はどういう意味で受け取った?

「――ねえ、これ一緒に食べちゃわない?」
有耶無耶にするように、またはそうと感じさせないように言葉を繋ぐ。
結局俺は意気地がない。
でも、今はもうそれで良い。
結果振られたけれど、勇気を出して告白した部長の方が何倍も偉い。
傷心につけ入る資格など有りはしないのだ。
砕けた俺の心より、今は彼女に少しでも笑ってほしかった。
「俺が作ったのもあるしさ。何なら交換する?」
鞄に入れたタッパーを取り出し、「ほらほら」とちらつかせておどけてみせた。
いつもの俺にしては強引だ。
あいつのために作ったものを交換だなんて、無神経だったかもしれない。
でも、こんなものがいつまでも目の前にあるから彼女の心は鎮まらない訳で。
だったらいっそ食べて無しにしてしまった方が良いじゃないか。
部長は黙って俺とタッパーを見比べている。
破れかぶれで、「俺の作ったもの、好きでしょ?」と駄目押しすると、やっと少しだけ笑ってくれた。
俺の好きな、あの笑顔だ。
「ありがとう」
部長は小さな声で続けた。
「今、あなたが側に居てくれて、良かった」

お互いに曖昧な言葉。
部長の心は分からない。
けれども今はそれで良い。
気持ちまでほしいなんて、ないものねだりはしないから。
ただの友だち、ただの部活仲間で構わない。
共に料理を作って、一緒に食べる。その楽しみを分かち合う仲で丁度良い。

けれどももし、まだ俺にチャンスがあるのなら。
決心がついたその時には、今度こそ君に好きだと伝えさせて。


(2024/03/26 title:017 ないものねだり)

3/27/2024, 1:13:28 AM