生きる意味
とある放課後。音楽室には、優しい夕日が差し込んでいた。
「ケイ先輩、先輩の生きる意味ってなんですか?」
俺は、トランペットをケースにしまいながら、ケイ先輩に尋ねた。ケースのロックをカチャリと閉める。
「急にどうしたユキト。なにか悩みでもあるなら、俺で良ければ聞くが」
トランペットをクロスで磨く手を止めたケイ先輩が、真剣な顔で、こちらを見てくる。
「あ、違うんです。ただ、クラスメイトと文国の授業で、そういう話になって。不意に気になってしまって」
質問に深い意味はなかった。
「どんなクラスメイトなんだ。まあ良い、生きる意味か。部活だな」
「さすが先輩。即答ですね」
「ああ」
先輩は、いつものように眼鏡のブリッジを上げた。
こんなにはっきりと言い切れるなんて、先輩はかっこいいな。
そんな事を考えていると、音楽室の扉が開いた。
「ユキト、帰ろう」
そこには、レンの姿があった。俺を迎えに来たようだ。
「ケイ。迎えに来たよ」
続けざまに、ハヤテ先輩も入ってくる。肩にはトロンボーンのケースが。
レンとハヤテ先輩は同じトロンボーンパートだから、一緒に来たのだろう。
「ちょうどいい。二人にも聞いてみたらどうだ」
ケイ先輩の眼鏡が光る。
「そうですね」
「何の話?」
首を傾げながら、レンが俺に近づいてくる。
「生きる意味の話」
「ああ、国語で出てきたやつ?」
「そう、ナツメが言ってたやつ」
レンは、考えているのか寝てるのか、いまいちわからない顔で、顎に手を当てて考え出した。
「うーん。俺は、ユキトがいて、毎日一緒に部活ができて、先輩もいればそれでいいかな」
「ああもう、レン君いい子すぎる!よしよし」
ハヤテ先輩が、レンの頭を軽くポンポンと撫でた。
「撫でないでください」
レンが無抵抗に言った。
「ちなみにハヤテ先輩はどうですか?」
「俺はメグリだよ」
ハヤテ先輩は、幸せそうに口にする。でも、メグリとは人ではない。先輩が相棒であるトロンボーンにつけた名前だ。
「変な人」
レンがボソリとこぼした。先輩に向かって正直すぎる…。
「失礼だねえ。レン君も人のこと言えないでしょうが。さっきの頭撫でたの返して」
「えっと、どうぞ?」
「あっはは、そうじゃない、そうじゃない」
ハヤテ先輩が、手のひらをヒラヒラさせる。
漫才のような会話に、思わず俺も笑いが漏れてしまった。
「もう良い。早く帰るぞ」
楽器をいつの間に片付け終わったケイ先輩が、いつものようにしめた。
俺達は、音楽室を後にする。
夕日はよりいっそう赤さを増していた。
生きる意味。まだ掴めないけど、この日々があるなら、今はこれで良いのかもしれない。
善悪
「鏡介、難しい顔をしているね」
俺が図書室で教科書とにらめっこしていると、夏目が声をかけてきた。
「夏目、課題終わった?」
「『走れメロス』を紹介する文を書くやつかな。終わったよ」
「さすがですね」
無類の国語好きの夏目からしたら、赤子の手をひねるようなものか。夏目漱石が名前の由来なだけある。
「行き詰まってるの?」
「だって、セリヌンティウス可哀想だろ。いや、話として友情の素晴らしさはわかるよ。でもさ…」
セリヌンティウスは悪いことをしていないのに、人質にされているし。なんで殴られないといけないんだよ。
「まあ、そうだよね」
夏目は、おかしそうに、少し声を出して笑った。
「善悪というのは、その場その場で変わる。現に、文学の主人公たちが、いつでも正しいとは言えない。周りに迷惑をかける主人公も、珍しくはないしね。最近は、普通な主人公と少し変わった相棒系が流行っているけれども」
早口でまくしたてられた。いつものことだが。
「お前がそれ言っていいのか?」
夏目は、俺の隣の席に座る。そして、俺の教科書の作者のページを開いた。 太宰治の文字を、指でなぞる。
「『走れメロス』の作者。太宰治は、飲み屋での代金が払えないからと、友人を人質にしたんだ。それでどうしたと思う?」
「払いに戻った、とか」
夏目は、口の端をにっと上げた。
「そのまま、まんまと帰ったんだよ」
信じられない。開いた口が塞がらないとは、こういう時に使うのか。
「そんな人が、走れメロスを書いてるのか…」
「熱海事件と呼ばれていてね。『走れメロス』の元となったという説もあるんだ」
人差し指を振りながら、得意げに語った。
「文豪には、おかしなエピソードも多々ある。四メートルの手紙とかね。どんなに立派な文を書いて、詩を残して、教科書に載っても、残念なところもある」
一息置いて、夏目はすっと目を合わせた。
「でも、それが人間らしさなんじゃないかな」
その目には、不思議な輝きがあった。
「その時正しいか、間違ってるか。善悪なんて、誰にも決められない。強いと言えば、後の人間が客観視した時に、どう思うかだ」
「そうかもな」
歴史の教科書を思い浮かべる。その時の善は、今では悪。なんて、よくある話だ。
「善悪で言うなら、舞姫を読んでみるのはどうかな」
「あれ難しいだろ」
「文体はね。でも、おもしろいから」
また夏目の解説付きで読むことになりそうだ。
「ふふ。俺たちのこの会話も、どこかで聞いてくれた誰かが、善悪を判断してくれるかもしれない」
夏目は、窓の外のどこか遠くを見つめた。
流れ星に願いを
ここは、宇宙の果て。人間が決して知りえない、流れ星の裏側の世界。
多数の星々が、人間の世界へと落ちていく。
あたりには、星型のクリスタルが、無数に散らばっていた。
「ベガ。叶える願い事を決めるのですね」
「来たか、アルタイル。今日は流星群の日だからね」
ベガはこちらに振り向く。
白く長い髪に、白い肌。人間の世界でいう、着物に似た衣を纏っている。
人間のような姿だが、人間ではない。もちろん、俺も。
「人間の想像力には驚かされます。星に、年齢や性別といった人間的な概念は存在しない。なのに、それぞれに物語を与え、願いを託すとは」
くだらない。毎度毎度、よく星なんて不確かな存在に願うものだ。
「ふふ、だからこそ、私たちが存在するのだよ。私たちには、年齢も性別もない。人間たちの願いが創り出した存在だ」
愛おしそうに微笑んで、あたりを見回す。
「どれどれ、美味しそうな願い事はあるかな」
ベガは、あたりに浮遊した星型のクリスタルのうち、一つを手に取る。
「アルタイル、見てごらん。人間たちが星を観察している」
ーーーーー
高校生が、学校の屋上で望遠鏡を構えていた。
「テン、望遠鏡のセットできたか?」
「カイ。早かったね。できたけど、望遠鏡はいらなかったかもしれない」
向こうから見れば、満点の星空に、流星が無数に流れているのだろう。
「たしかに、肉眼で十分だ。でも、自然科学部として、記録はしないと」
カイと呼ばれた少年は、紙に記録を書き留めていた。
「綺麗だな」
「カイ、願い事決めた?心の中で三回唱えるんだ」
「非科学的だな」
「たまにはいいじゃん。信じてみるのも」
二人の少年は、瞳を閉じた。
ーーーーー
「来年も、こうして流れ星が見られますように」
そう。これは、流れ星が願いのクリスタルとなって、こちらへ届いたものだ。
「美味しそうだねえ。まずは、これにしよう」
届いた願いは、こうして、ベガの気まぐれで叶うか否かが決められる。
「いただきます」
ベガは、頬を少し赤らめた。妖しげに目を細める。
大きな口を開けて、ガブリとクリスタルに齧り付いた。細かな破片が舞う。
ガキガキ、という大きな金平糖でも咀嚼するような音が、静かな空間に響く。
喉の上下する動きと共に、嚥下の音が生々しく聞こえてきた。
バキッと音を鳴らし、クリスタルに歯を立てては、口の中へ収めていく。あたりに、破片が飛び散るのも構わずに。
俺は食べたことがないから、本当に美味しいのか、なんなのかは知らないが。
最後のひとかけらまで、愛おしそうに喰らう。
ゴクン、という飲み込む音がして、
「ふぅ…」と熱を帯びた吐息が、空気を揺らした。
最後に、お菓子の粉でも取るように、下唇をぐるりと舐め。親指を軽く舌で触った。
「ご馳走様」
ベガ様の顔には、どこか不気味とも言える、高揚感が見て取れた。
「これで、この子の願いは叶う」
この歪んだ笑顔を見て、いつも思う。人間は、これに願いを託しているのかと。
こうして、流れ星に託された願いは叶うのだ。
だから、本当にくだらない。こんなに不確かなものに、願うなんて。
ルール
「ケ〜イ。練習終了のお時間だよ」
ハヤテの声で、意識が現実に引き戻された。目をやると、トロンボーンのケースを持っていた。片付け終わってから、こちらに来たのだろう。
俺は、トランペットのマウスピースから唇を離す。じんわりとした感覚が、まだ唇に残っていた。
「練習熱心だねえ、部長殿」
ハヤテはトロンボーンのケースに顎を乗せて言う。
「茶化すな」
時計を見ると、針は六時一分をさしていた。俺は、眼鏡のブリッジを軽く上げる。いつものクセだ。
「一分過ぎてしまった。早く帰ろう」
今日は、空調整備が入るからと教室が使えず、パート練ができないため、部活はオフになった。ただ、音楽室は整備が別日というので、俺とハヤテは許可を取って自主練をしていた。今年は、最後のコンクールだしな。
「あ!終了時間を過ぎたから、怨念が出るかも」
少しニヤけた声でハヤテが言った。
「なんだそれは」
「まあ、ケイはこういうの知らないか」
ハヤテは、わざとらしく声を潜めた。
「なんでも、ルールを破ると、どこからか楽器の音が聞こえてくるんだ。昔、事故でコンクールに出られなかった部員の怨念だとか」
よくありそうな、陳腐な怪談だな。
「くだらん。どうせ、ルールを守らせるためにできた、根も葉もない戯言だろう」
「まあ、俺もクラリの人たちが話してるの聞いただけなんだけどね」
あっけらかんと言ってみせた。ハヤテも信じてはないのだろう。女子は噂話が好きだからな。
楽器に軽くスワブを通し終わり、楽器をしまうと、ケースのロックをかける。
「楽器室、鍵閉めちゃったけどいい?」
「ああ、こいつは持って帰る。お前もか?」
「もちのろんよ。メグリは俺と一心同体だから」
ハヤテは、トロンボーンをケースごと抱きしめる。
メグリとは、こいつがトロンボーンにつけた名前だ。いつも、メグリが、メグリが、と話している。まあ、楽器を大切にするのは良いことだが。
音楽室を出て、施錠をする。二人で昇降口へと歩き出した。
「まったく、お前はいつもそれだな」
「えー、お前もかわいがってあげないと、リツが泣いちゃうぞ」
「俺だって、大事にはしている」
俺は、トランペットにリツと名づけた。漢字だと律。リツを買ってもらってから、もう六年目か。
雑談を交わしつつ、歩いていると、昇降口に着いた。目の前の事務室に、音楽室の鍵を返却する。
「ご苦労さん」
いつもの事務員さんが対応してくれた。
「じゃあ帰ろ。お腹すいたなあ」
ハヤテが手を上に上げ、伸びをした。比較的小さいペットならまだしも、長いボーンを毎日のごとく持って帰るのは大変だろう。
外に出ると、まだあたりが明るかった。雨上がり特有の眠たい香りが漂っている。ついさっきまで、お天気雨が降っていたからだろう。
ふと、足を止めた。金管楽器の音がした。気がした。
「どした、忘れ物?」
「今、なにか聞こえなかったか」
「うん?」
ハヤテは首を傾げて、耳を澄ませる。
パーという、高い音。今年のコンクール課題曲の、セカンドパートの旋律。
「トランペットの音」
ハヤテの口から、静かな声がこぼれた。
教室の方から聞こえてくる。誰がこんな時間に。まさか、本当に怨念が…
「いや、これはユキトの音だ」
同じ楽器の同じ音にも、吹き手によって個性が出る。この澄んだ優しいサウンドは、ユキトの音だ。
「なんだユキトくんか、最近根詰めてるもんな」
「頑張るのはいいが、規則違反だ。明日注意しておこう」
後輩のユキトは、最近調子が良くないようで、かなり練習をしている。二年生なのに、よくやっている。だが、やりすぎだ。今度、話を聞いたほうが良いかもしれん。
「でも、今日は教室に入れないはずじゃ」
「あっ」
そうだ。教室の方は、空調整備の業者以外、立入禁止のはず。ユキトが居るはずないのだ。背中から、ゾワゾワとした感覚が全身に這い回ってくる。
俺達は、再び耳を澄ませる。
なにも聞こえて来なかった。静寂が、俺達を包む。
「気のせい、だよな」
自分に言い聞かせるように口に出す。
「きっと疲れてんだ。早く帰ろう、電車がなくなる」
そういうハヤテの口調にも、どこか焦りが滲んでいた。
「そうだな」
きっと疲れているんだ。明日も部活がない。帰ったら、少しゆっくりしよう。
不意に不安になって、その場に腰を下ろし、膝の上で楽器ケースを開けた。カチャリとロックの擦れる音が鳴る。
そこには、ケースの内張りのふわりとした毛に包まれた、いつものトランペットがあった。金メッキが輝く表面を優しく指でなぞる。リツ…いつもの冷たい感触。ほのかに香る、オイルの匂いに、少し安心した。
今日の心模様
気がついたのは、いつの事だったか。
これは、偶然。なのだろうか。
「今日は雨だな」
ハルが、俺の隣を傘をさして歩く。
「そうだな」
こんなこと、信じるだろうか。
天気が、俺の感情と連動している。
「イブキ?どうした」
「なんでもない」
また雨脚が強くなった。雨の匂いが、いっそう重たくなる。
さっきから、胸の中に黒くてドロリとした塊があるようで、気持ちが悪い。
それが、空に浮かぶ、分厚い雲と重なって感じられた。
「天気予報ハズレたな。晴れるって言ってたのに」
それは、俺のせいかもしれない。
確証はないが、俺の気持ちが高まると、天候が変わる。俺の気分が何らかの理由で沈む時、決まって雨が降る。
ただし、かなり大きな気持ちの変化でなければならないようで、映画を観て感動した。くらいでは、天候に影響はしない。だからこそ、偶然なのか俺に原因があるのか、よくわからないのだが。
「やっぱり、なんか考えてないか?」
ずいっと、俺の顔を覗き込んできた。俺以外に、この事を知る人はいない。もちろん、ハルも。
突然、その事を、ハルに話してみたくなった。なぜ、それが今なのかは、わからなかった。それでも、知りたかった。ハルがなんと言うのか。
「もし、感情と天気がリンクしてたらどうする」
「小説みたいな話だな。急にどうしたよ」
呆気にとられた顔をしていた。それもそうか。
「もしも。の話」
「わかった。もしもの話、ね。不便そうだけど、哀しいとか、言わなくても伝わっちゃうんだから。ああ、でも、嬉しい時に晴れるのは、少し楽しそうかな」
ハルは傘をくるりと回した。傘の縁から、水滴が飛び散る。
一呼吸、深く息を吸った。
「それが、俺のことなら、どうする」
ハルは首を傾げる。自分でも変なことを行っている自覚はる。少し、返事を聞くのが怖かった。
雨は、静かに真下に落ちていく。
「そうだな。それなら、楽しい話をしよう」
ハルが屈託のない笑みを浮かべる。心の重しが、とれていく感覚がした。
空の雲が、途切れていく。その隙間から、一筋の光が差した。
「あっ、雨止んだ。でも、最近天気予報ハズレまくってるからな、また降るかもな」
「もう降らないよ」
「え?」
ハルがふと足を止める。
「今日の心模様は、晴れだから」
足元の水たまりには、七色の光が反射していた。