8.『羅針盤』『明日に向かって歩く。でも』『あなたへの贈り物』
「念願の羅針盤を手に入れたぞ!」
僕はようやく手に入れた羅針盤を愛しくなでる。
今まで不幸続きの人生だったが、これで僕にも運が向いて来るだろう。
なぜならこれは、魔法の羅針盤。
持ち主にとって有益なものまで案内してくれる、凄いシロモノなのだ
『あなたへの贈り物を探しに行きましょう』
そんなキャッチコピーと共に発売されたこの羅針盤は、とんでもなく売れまくった。
友達が話しているのを聞いて、僕も噂の羅針盤を手に入れようと店に行くが時すでに遅し。
どの店でも売り切れで、ようやく見つけても偽物だったりと不幸続き。
最終的には一年待ちの予約となった。
そして待ちに待った一年後、ついに手に入れることが出来た。
相変わらず不幸続きだったが、ようやく幸運な未来が開けてくる。
僕は幸せな未来を掴むため、説明書を読む。
『羅針盤には二つの針があります。
赤い方角は幸運があり、もう一方の黒い方角には不幸があります』
なるほどね。
原理はよく分からないが、赤い方に向かって歩いて黒い方を避ければ、幸運が訪れるらしい
あまりの簡単さに不安になるが、今日は日曜日。
効果があるのか試してみよう。
僕はアパートの部屋から出て、近所の公園のベンチに座って羅針盤を見る
赤い針は、近所のスーパーの方を差していた。
「そういえばチラシでタイムセールやるとか書いてあったな」
僕はウキウキな気分でスーパーに体を向ける。
今までタイミングが悪く、一度もも遭遇したことがないタイムセール。
もしかしたら初めて遭遇できるかもしれない。
「行こう」
ついてない人生にはさようなら。
僕は幸せな明日に向かって歩く。
でも、何だろう。
何かを忘れているような感覚が、胸の中にある
僕はその不安を見逃すことが出来ず、少し考える
「家のカギを閉めてない気がする」
もちろん気のせいで、ちゃんと鍵を閉めたかもしれない。
これまでそんな事は一度も無かったし、きっと今回も閉めただろう
そう思うのだけど、どうしても不安が拭い去れない。
僕は悩んだ末、決断をする。
「帰ろう」
この先に幸運があるとしても、心残りがあったら純粋に楽しめないだろう。
閉まってたらまた出かければいいだけだ。
幸い部屋はすぐそこである。
僕はベンチから立ち上がり、家に向かおうとして、ちらと羅針盤が視界に入る
「あれ、黒い方が家に向いてる……」
しかし羅針盤の黒い針は家を向いて、不幸があることを指し示していた。
これはおかしい。
家の施錠の状態を確認すれば少なくともホッとするので、少なくとも僕にとってはプラスの出来事だ。
なのに、『このまま向かうと不幸になる』事を羅針盤は示している。
どういう事だろう?
タイムセールに遅れる?
確かに残念だが、それって不幸か?
考えても分からない。
どういう事だろう……?
幸運のスーパーに行くか、不幸の自宅へ戻るか……
選択を迫られる。
僕はまたしても悩み、さっきより長めに悩んだ末、一つの決断を下す。
「スーパーに行こう」
何があるかは分からないが、とりあえずスーパーに行けば不幸避けられる。
僕は納得しないながらも、スーパーに向かうのであった。
◇
30分後。
「いやー、運がよかったなあ」
僕はたくさんの戦利品を手に、いい気分で家路についていた
あのままスーパーに入るとタイムセールが行われていた
売られている商品すべてがお買い得で安いのだ。
初めてのタイムセールに、僕は興奮してたくさん物を買ってしまった。
買いすぎて買い物袋が手に食い込んでいたいけど、、そんな事が気にならないくらい僕は幸せな気分だった。
いい買い物に、羅針盤の性能も確認できた。
有意義な時間であった
そして、一応確認したのだが黒い針はもうアパートを向いていない。
それどころか赤い針が差している。
不幸は過ぎ去り、幸運が待っている
今夜は戦利品でパーティだ!
鼻歌を歌いながら近くまで行くと、アパートの前に人だかりができていた。
何かあったのだろうか?
出かける前の黒い針の事を思い出して、嫌な予感がよぎる
「あっ、無事だったんですね!?」
恐怖に駆られていると、誰かに声をかけられた。
振り向くと、そこにいたのは隣の部屋に住んでいる隣田くんだ。
隣田くんは非常に慌てた様子で、事態の説明をしてくれた
「アパートに隕石が落ちてきて、アパートが壊れちゃったんだ。
みんな怪我がない事が分かったけど、君だけ連絡がつかなくて心配していたんだ。
でも出掛けてて良かったよ。
特に君の部屋がひどく壊れて、家の中にいたら死んでいたかもしれないからね。
不幸中の幸いだ」
『たった一人の君へ』『風のいたずら』『手のひらの宇宙』
「大当たり〜」
カランカランとベルの音が鳴る。
目の前にあるのは金色に輝く小さな球。
まるで夢のようだと、僕はぼんやりベルの音を聞いていた。
けれど右手にぶら下げている漫画の入ったずっしりと重いビニール袋が、これが現実だと主張していた。
ここは商店街、福引会場。
漫画を買った時に貰った一枚の福引券で、きっと当たるまいと思って引いた福引が、まさかの特賞を引き当てる。
未だに夢だと疑っている。
「準備しますので少しお待ちください」
僕が人生について考えていると、スタッフの人が景品を準備し始めた。
そういえば、特賞が何かを知らない。
当たらないと決めてかかったので、景品のリストを全く見ていない。
一体何が貰えるのだろうか?
ちょっとワクワクする。
「特賞は――これ!!
『手のひらの宇宙』です!」
「『手のひらの宇宙』!!」
『手のひらの宇宙』。
それは黒い宝石の中でも、特殊な輝きを持つ宝石がそう呼ばれている。
大変珍しく、価値の高い宝石だ。
それは一見黒いビー玉のようにしか見えない……
しかしよく見てみれば、球の中には無数の光の粒が瞬いている。
圧倒的に目を惹いている強く輝く星から、目を凝らさなければ分からない程に弱く瞬く星。
様々な星々が煌めいて、まさに宇宙であった。
「大事にしてください」
スタッフにそう言われて、慎重に受け取る。
たしかテレビで数千万すると見た覚えがある。
こんな寂れた商店街の福引の景品にするなんて……
商店街、勝負に出たなあ。
しかし同時に罪悪感も芽生える。
僕が特賞を当てたという事は、目玉商品が無くなったという事。
きっと客寄せのために奮発したというのに、これでは客が来なくなってしまう。
(せめて一等が凄い商品であれば!)
僕は祈るように、景品の一覧を見る。
そこに書かれていたのは――
一等:金の延べ棒、一ダース
二等:ダイヤモンド、100万円相当
三頭:温泉旅行、一週間の旅
…………
外れ:商店街で使える商品券、一万円分
商店街の誰か、宝くじでもあたったんだろうか……?
それはともかく、僕が心配するような事じゃなくて良かったよ。
そんな形容しがたい複雑な気持ちでいると、急に突風が吹いた。
余計なことを思っていたからだろう。
風のいたずらによって『手のひらの宇宙』がころりんと手から落ちた
「待って!」
咄嗟に手を伸ばすも『手のひらの宇宙』は逃げるように遠くへ転がって行く。
だが僕は追いかける。
なんせ数千万のお宝だ。
無くすわけにはいかない。
絶対に取り戻す!
『手のひらの宇宙』との鬼ごっこを覚悟した、まさにその時だった。
それをひょいと拾い上げる人物がいた。
「これ、あんたの?」
そういうのは恋人のカレンだ。
カレンは僕の答えを待たず、『手のひらの宇宙』をまじまじ見ていた
「綺麗だね」
「ああ、そこの福引で当たった」
「え、もしかして特賞の奴!?
ちょうだい!」
「なんでだよ!
ダメに決まってるだろ!」
カレンはたまに突拍子もない事を言う。
まあ、気持ちはわかるけど……
なんせ数千万円の物だからな。
だけどダメなものは駄目。
僕はハッキリと断るが、諦めきれないカレンは宝石を返そうとしない。
「どうしてもだめ?」
「だめ」
「どうしても?」
「どうしても」
「可愛い彼女からの、お・ね・が・い」
上目使いに僕を見るカレン。
その様子に僕の心臓の鼓動が速くなる。
こういうのに男は弱いんだ。
「分かったよ。
あるから大事にしろよ!」
「え、マジで!?
本気なの!?」
「欲しいって言ったのそっちじゃん。
いやあ、そうだけどさあ。
本当にくれるとは思わなくて……
これ高いんでしょ」
「いいよ、どうせ結婚したら共有財産だし」
「な!?」
カレンの顔が赤く染まる。
どうやら僕の仕返しは成功したようだ。
カレンはぶっきらぼうに見えて、意外とウブなのだ。
「はー、君がそこまで本気だったとは。
そりゃ、これをくれるハズだよ」
「何のことだよ」
「知らないの?
『手のひらの宇宙』の宝石言葉」
「知らない」
僕がそう言うと、カレンは意地の悪い笑みを浮かべる。
「宝石言葉はね……
『たった一人の君へ』。
いやー、私って愛されてるなあ」
今度は僕が赤くなる番だった
6.『そっと』『あなたのもとへ』『透明の涙』
『そこのあなた!
最近の物価高、辛いですよね?
ガソリン、米、野菜……
どんどん高くなって家計を圧迫し、収支が赤字という方も少なくないでしょう
節約しても生活が楽にはならず、給料も少しも上がりはしない
こんな日本に誰がした?
どれだけ政治家にに文句を言っても、生活は楽になりません。
もはや政府は信用できず、お先真っ暗です……
しかし絶望するにはまだ早い。
私たちにはこのパワーストーンがあるから!
この、透明な涙と呼ばれるパワーストーンを身につければ、あら不思議。
あなたの元へ、お金がどんどん集まってきます。
これを見逃さない手はありません。
お金持ちになりたい方はすぐ連絡!
今なら期間限定で、キャンペーンで――』
モニターに映し出されている画面を、そっと閉じる。
インターネットでよく見かける、いかにも胡散臭く安っぽい広告。
おそらく多くの人に見向きもされないであろうが、買う人もいるのだろう。
長い事、こうして広告を出している。
きっと金銭的に追い詰められた人が救いを求めて購入するのだろう。
そして、業者は毒にも薬にもならない石を売りつける……
貧乏な人間はさらに貧乏になり、あくどい商売をする奴がもうける……
現代社会の闇である。
と言いつつも、実は自分は偉そうなことが言えなかったりする。
非常に言いにくいのだが、俺はこの広告に引っ掛かり、先日パワーストーンを購入してしまったのだ。
そのパワーストーンを買うお金で、どれだけの贅沢が出来たであろう。
貧乏ながら、ささやかな幸せなを味わえたはずだ……
本当に後悔しかない。
本当になんで買ってしまったのか……
コレのおかげで、私の元に金が集まって来るようになったのだ。
いや、嘘じゃない。
本当だ。
本当に金が集まって来るんだ。
『なら問題ないだろ』と言いたいだろう。
しかし自分に言わせれば酷い詐欺としか言いようがない。
普通お金って言ったら、一万円札とかそんなんだろ?
でも俺の元に集まってくるのはお金(マネー)じゃない
集まってくるのは金――原子番号79番、元素記号はAu。
希少金属の金(ゴールド)である。
『お金』が集まるって聞いたのに、なんでこんなものが集まって来るのか、全く意味が分からない。
そして集まり方にも文句がある。
なんというか雑なのだ。
食べ物の街を歩けばティッシュの代わりに金で出来たプレートを渡されるし、病院に薬を貰いに行けば、粉薬の代わりに金粉が出て来る……
俺は風邪薬が欲しいんだよ!
もう金なんていらねえ!
おかげで三日も経たないうちに、部屋中金だらけ。
金ぴかすぎて、まったく落ち着かない。
自分の部屋なのにどうして……
もう我慢の限界だ。
このままでは、金ぴかに押しつぶされて死んでしまう
俺はこのパワーストーンを返品を決意した。
しかし、向こうも商売だ
なかなか返品を受け付けない。
渋る販売会社だが、俺も引くわけにも行かない。
長い交渉の末、不良品という名目で交換することに落ち着いた。
お金は帰ってこないがそれでもいい。
とりあえず、あのとんでもないパワーストーンから解放されればそれでいい。
数日後、これと言ったトラブルもなく、新しいパワーストーンがやって来た。
新しいパワーストーンが来てからというもの、俺の人生はいたって平穏だ。
前みたいに金(ゴールド)は集まってこないが、お金(マネー)も集まってこない。
でもそれでいい。
部屋は相変わらず金ぴかのままだけど、何も問題ない。
これ以上金(ゴールド)が増えないなら、これ以上言う事は無い。
部屋にある金(ゴールド)を考えないといけないけど、それはそのうちに……
平和万歳!
ピンポーン
俺が人生の幸運に感謝していると、玄関のベルが鳴り響く。
誰だろうと思いつつ、インターフォンの応答ボタンを押してみると、画面には美人の女性が映し出された。
「どちら様でしょう?」
「今日隣に引っ越してきたものです。
引っ越しの挨拶に来ました」
「わざわざありがとうございます」
俺は内心ガッツポーズする
問題が片付いた途端に、こんなに美人の女性が隣に引っ越してくるなんて!
なんて運がいいんだ。
俺は彼女とさらに親密になるべく、名前を聞くことにした
「お名前を伺ってもいいですか?」
「ああ、名乗ってませんでしたね
名前は金(キム)です。
よろしくお願いします」
4.『あたたかいね』『あの夢の続きを』『まだ見ぬ景色』
<読まなくてもいいあらすじ>
五条英雄は探偵である。
彼は、浮気調査やペットの捜索といった雑事をこなし、日銭を稼いでいる。
刺激は無いが、楽しい人生を送っていた。
そんなある日のこと、彼の助手が依頼を持って来る。
内容は『知り合いのVチューバーが五条を取材したいと言っている』というもの。
かなりイレギュラーな依頼に悩む五条だが、最終的に了承。
Vチューバーの事は名前しか知らない五条だが、仕事がないため受けることにしたのだ。
それに動画で紹介してもらえれば知名度が上がり、仕事が増えるかもしれないという下心もあった。
少しだけ困惑を感じつつも、
かくして五条は、人生で初めてVチューバーと邂逅するのであった
彼らの命運や如何に。
◇ ◇ ◇
俺の名前は、五条英雄。
探偵だ。
依頼があれば、法に触れない限り何でもする主義だ。
と、偉そうなことを言っているが、基本的に雑用ばかりだ。
ペット捜索、庭の草刈り、電灯の交換、ああトイレ掃除をやらされたこともある。
まるで便利屋だ。
けれど不満はあまりない。
普通は出来ないような事も出来て、意外と楽しいからだ。
けれどもう少し刺激が欲しい。
近頃そんな事を思っている。
そんな俺は、今回変わった依頼を受けた。
雇っている助手の知り合いからの紹介だ。
なんでもVチューバー<ステラ>とやらが、俺の仕事を取材したいというのである。
自分で言うのも何だが、別に俺は有名な探偵というわけではない。
ただ依頼人と助手が知り合いであり、その繋がりで回ってきた仕事だ
助手の紹介でなければ、話すら聞かなかっただろう。
無名の俺に取材だなんて、胡散臭すぎるからな。
……言ってて悲しくなってきた。
それは置いといて。
この仕事を受けるに当たり
取材の前に一度顔合わせをしようという話になり、近所のファミレスで会うことになったのだったのだが……
◇ ◇ ◇
「始めまして。
今回依頼させていただいた琴吹と言います。
聞いているとは思いますが、Vチューバーでステラを演じています。
今回、私の無茶なお願いを聞いてくださってありがとうございます」
琴吹を名乗る老婦人が、上品に恭しく頭を下げる。
まるでここが社交界の場かと錯覚してしまうほど綺麗なお辞儀。
さらに所作には一つ一つ気品があり、いいところのお嬢様であることは間違いない。
こんな機会でもなければ会う事は無かったであろう人種である。
さらに、かなり年を召しているはずなのに、全くそれを感じさせない。
それどころか、その辺にいる若者よりエネルギーに満ちている。
『老いてますます盛ん』を体現したような人物だ。
歳を取ってもこうありたいと思わせる人である
その一方で俺は困惑もしていた。
初めて会うタイプの人間で、どう接すればいいか分からないのだ。
俺は気迫に飲まれまいと、なんとか言葉を絞り出す
「は、はい。
俺の名前は五条です。
探偵をしています。
よろしくお願いします」
あまりの気高いオーラに気後れしてしまい、若干どもってしまう。
くっ、今までにないタイプの依頼人との遭遇にどうしたらいいか分からない。
アタフタしている俺を見て、助手が横でニヤニヤしているのが見える。
こんなはずでは……
「あれー、先生。
もしかして緊張してます?
まったく美人には弱いんだから」
ケラケラ楽しそうに笑う助手。
普段ハードボイルドぶっている俺が慌てる様子はさぞ面白いだろう。
通りで助手が、依頼人の詳しい話をしないわけだよ。
あとで覚えてろ。
あと、勝手に男だと思っていたのもある。
前もってステラの動画を見たのだが、根拠なく男性だと決めつけていた。
こういった人を疑う仕事をしているからだろうか。
先入観って怖いな。
まあ、それよりも気になる事はあるのだが。
それはともかく。
「では、えー話をする前に聞きたいことがあるのですが……」
「ふふふ、当ててみようかしら。
それは、私みたいなお婆ちゃんがVチューバーしているのが不思議なんでしょう?」
「はい、その通りです」
「そうね。
それから話そうかしら。
この子もVチューバーの事を言ったら、とても驚いていたもの」
そう言って、チラッと助手を見る。
肝心の助手は、いつの間にか頼んでいたメロンソーダを幸せそうに飲んでいた。
見られていることに気付いた助手は、キョトンと首を傾げる
こいつ、話聞いてなかったな。
「私、若い頃は女優になりたかったの」
突然、告白をする琴吹さん。
何の話かと思ったが、多分Vチューバーの話だ。
「でもその頃は、戦争の直後でなにも無い頃でね。
誰もが生きるのだけでも必死な時代だったわ
だからワガママを言えはずもなく、家計を助けるために仕事に出て、女優の夢を諦めたの」
琴吹さんは昔を懐かしむように話す。
結構お年を召しているとは思っていたが、想像より上だった。
戦後の話をされても、若い俺には想像もできない。
俺や助手の様に、好き勝手出来るのはきっと幸せなことなのだろう。
琴吹さんの話はまだまだ続く。
「その後、いい人に巡り合えてね。
彼は貿易会社の幹部だったわ。
一緒に世界中を回って、いろんな世界を回ったわ。
そして子を産み孫も生まれ、今はひ孫もいるわ」
そう言って、琴吹さんは助手を見る。
なるほど、『知り合い』と聞いていたが親族か。
言われてみればどことなく雰囲気は似ている。
中身は似ても似つかないが。
「幸せな人生だったわ。
けれど私の心の中にくすぶっていたものがあった。
でも死ぬまでくすぶるんだろうと、諦めていたの。
でも5年前だったかしら。
その子にVチューバーの動画を見せてもらったの。
衝撃だったわ。
ネットという舞台で、自分の理想を演じているの。
性別もなく、年齢も関係なく、いろんな人が
そのとき思ったの。
『若い頃の夢をもう一度、あの夢の続きを』ってね」
Vチューバーなんて浮ついたものだと思っていたけど、酷い思い違いだ。
少なくとも俺の目の前にいる琴吹さんは真剣だ。
きっと俺が知らないだけで、ほかのVチューバーも切実な事情があるのだろう。
やはり、先入観で物事を決めつけては駄目だな。
反省せねば。
「という事で五条さん!」
「はい!」
突然呼ばれ、言葉が裏返る
急に何?
俺の動揺に気づかず、琴吹さんは言葉を続ける。
「有名な探偵である五条さんとコラボしていただけるなんて、本当に光栄です」
俺は琴吹さんの言葉に耳を疑う。
有名?
誰が?
俺は『何のことだ?』と助手に視線を送る。
すると、気まずそうに目線を逸らす助手。
「ペットの捜索では有名だし」と言い訳がましく呟いているのが聞こえた
あ、こいつ琴吹さんに見栄を張ったな?
多分喜んでもらえたくて、事実を脚色したと見える
「そして五条さんは今の境遇に満足せず、さらに上を目指していると聞いています。
私もやるからには頂点を目指したいと思ってます!
一緒にまだ見ぬ景色を見に行きましょう!」
琴吹さんは、俺の前に手を差し出す。
きっと俺からの握手を待っているのだろう。
俺は琴吹さんの手を見ながら、頭をフル回転させる。
これ、想像以上に面倒くさい事になっているよな。
助手がどこまで話を盛っているかは分からないが、少なくとも琴吹さんが思っているほど有名でないことは断言できる。
もし、今ここで『俺は無名ですよ』と言ったら琴吹さんはどんな反応をするのだろうか……
縁起でもない想像が頭を過る
「ええ、共に頑張りましょう!」
俺は琴吹さんの手をがっしりと握る。
全てを棚上げして、全力で乗っかることにした。
それに今有名じゃないだけで、有名になる予定だし。
上を目指すというのは、間違っていないし。
うん、何も問題ない。
俺は琴吹さんを騙せたことを確認した後、この面倒な状況を作った元凶に振り返る
「このコーヒー、ほどほどにあたたかいね。
猫舌の先生でも飲めそうだよ?」
いつの間にドリンクバーに行ったのか、両手にはコーヒーのカップを持っていた。
どうやら俺にくれるらしい。
ありがたく受け取ることにする。
だが――
「助手、後で話がある」
助手にだけ聞こえるように呟くと、助手はバツが悪そうな顔をするのだった
『Ring Ring...』『星のかけら』『未来への鍵』
俺の名前は五条英雄。
探偵だ。
町の一角に事務所を構え、街の人々から依頼を受けて活動している。
依頼はどれもこれも難事件ばかり――と言いたいところだが、依頼されるのはペット捜索や浮気調査しかない。
平和なのはいいことだが、俺にとっては退屈だ。
だが、それは仕事を怠ける言い訳にはならない。
依頼された仕事はこなすし、依頼人がやってくる事務所の内装には気を使っている。
とくに一押しなのが、まるで昭和からタイムスリップして来たかのような黒電話。
近所のリサイクルショップで見つけたものだ。
スマホが主流である令和に、あえて化石級の黒電話を置く。
これによって、事務所全体の雰囲気が落ち着き、さらに一周回ってオシャレになっている。
もちろん、この黒電話は使える。
自分で電話をかけて確かめたから間違いない。
Ring Ring... Ring Ring...
おっと、そんな事を言っている間に電話が鳴り始めた。
どうやら俺に助けて欲しい人間がいるようだ。
期待に応えるとしよう。
「はい、こちら五条探偵事務所。
ご依頼ですか?」
黒電話の受話器を取って口上を述べる。
この時のコツは、はっきりとゆっくり話す事。
自信に満ちた声は人を安心させる。
不安に苛まれる依頼者を、少しでも楽するためだ。
『あ、先生ですか?
私です、私』
だが俺の予想とは裏腹に、場違いなまでに明るい声が聞こえてきた。
追い詰められた人間の出す言葉じゃない。
というか、この砕けた口調。
ウチの事務所で雇っている俺の助手だ。
今日は休みのはずだが……
「助手よ、この電話に掛けてくるなと言っただろう。
お前が電話している時に、依頼人から電話が来たらどうする?」
『スマホにもかけたんですけど、取ってくれないじゃないですか』
スマホに着信がある事は知っていた。
しかし取らなかったのは、どうせ碌でもない用事だろうと思ったからだ。
だってこいつ、『暇だから』という理由で電話をかけてくるんだぞ。
相手してられるか!
『それに、依頼はいつもメールじゃないですか?
固定電話に掛かってきた所、見たことありませんよ』
「くっ、痛いとことを……
だが、今からかかって来る可能性まで否定できまい!
という訳で切るぞ」
『待ってください。
先生に用事があって電話したんです!』
コホンと、電話の先の助手は咳払いする。
『実はですね。
知り合いのVチューバ―から、先生を取材をしたいという話があるんです』
「断れ」
『最後まで聞いてください。
最近依頼が少なくて来てるでしょ。
だからここで宣伝して、知名度を上げて依頼を増やしましょう』
助手の提案に言葉が詰まる。
面倒そうだったので何が何でも断ろうと思っていたが、依頼が減少傾向にあるのは事実。
俺は最近の収入の少なさと出費の多さのバランスを考えて、とりあえず話を聞くことにする
「……即答は出来ない。
話を聞いて判断する」
俺がそう言うと、電話の向こうで助手は嬉しそうに笑う気配がした
『私の知り合いのVチューバ―の名前は『ステラ』です。
彼女は遠い星に住む宇宙人なんです。
でも故郷の星が滅びそうになって、それを防ぐために地球に『星のかけら』を探しに――』
「待て待て待て。
そういうの良いから。
設定より詳しい依頼の内容をだな」
『設定ではありません。
事実です』
うぜえ。
そう思ったが、口に出さない。
助手はアレで頑固だから、絶対に話がこじれるに決まっている。
早めに話を終えるため、それっぽい建前を述べる。
「さっきも言ったが依頼の電話がかかってくるかもしれないんだ。
長電話は避けたい。
詳細はメールで送ってくれ」
『うう』
今度は助手が言葉に詰まる。
多分俺の言ったことは建前と気づいているだろう。
しかし反論も出来ないようで、助手は不承不承口を開く
『分かりました。
詳細はメールで送ります』
「おう、頼む。
じゃあ切るぞ」
レオは受話器を置いて、溜息をつく
確かに助かるが、休みの日まで仕事の話をしなくてもいいだろうに……
あいつも変なところで真面目だな
Ring Ring... Ring Ring...
と物思いにふけっていると、再び黒電話が鳴り始める。
依頼の電話だ
ほら見ろ。
やっぱり俺が正しい。
「はい、こちら五条探偵――」
『あ、先生。
言い忘れたことが』
またお前かよ。
「なんだ」
『先生、機嫌悪くありませんか?』
「別に。
それより用事はなんだ?」
『そうでした。
これだけは口頭で伝えないといけないと思って』
口頭じゃないといけないこと?
仕事内容はメールで十分だとおもうが、なにがあるんだ?
俺は疑問に思いつつ、助手の言葉を待つ
『今回の案件の紹介をくださいね。
来月の給料に期待してます。
では』
と、俺の返事を待たず電話を切る
俺は痛くなる頭を押さえながら、受話器を下ろす。
まったく、ちゃっかりしている事だ。
だが助かるのは確かだ。
実際に知名度が挙がれば仕事は増える。
ああは言ったものの、取材を受けることには前向きなのだ。
仕事がたくさん来て、依頼料をたくさんもらってウハウハな未来。
どんとこい!
ただ不安があるとすれば、助手が明るい未来への鍵を握っているっていう事。
あいつの仕事ぶりは信頼しているが、Vチューバーが絡んだ助手は全く信用できない。
本当に不安だ。
「まあは、なるようになるか……」
俺は半ば悟りつつ、助手から送られるメールを開くため、苦手なパソコンと格闘を開始するのであった