俺の名前は、五条英雄。
探偵だ。
といっても、漫画のように難事件を解決するわけじゃない。
専ら仕事は身辺調査やペット捜索をしている、地域密着型の探偵。
それが俺。
今日も浮気調査で、疑惑のある男を尾行していた。
依頼人は男の妻、『浮気の証拠』が欲しいとの依頼だ。
俺と助手は、カップルに偽装して浮気男を尾行する。
助手の下手くそな演技にヒヤヒヤしたが、なんとか浮気相手の密会に立ち会うことが出来た。
俺は浮気男たちに気づかれないようカメラで証拠を残していく。
『成功報酬でトンカツが食える』。
俺の心は、喜びにあふれていた……
だが予想外の事が起こる。
浮気男と浮気女が喧嘩し始めたのだ。
そして浮気女がバッグを投げつけたかと思うと、そのまま走り去っていった。
そして残された浮気男はというと、呆然として雨の中で佇んでいた……
彼の心の中を表すように、雨が強くなり土砂降りである。
……なんでこうなった。
『浮気現場をカメラで撮ってたら破局した』
探偵歴は割と長いが、こんなん初めてだ。
どうすんのコレ。
妻は浮気を疑い、事実として夫は浮気していた。
そこまではいい。
だが今この瞬間、浮気は終わった。
だが依頼人に報告すれば、この男は慰謝料をたんまり搾り取られることになる。
まさに泣きっ面に蜂。
悪いのはこの男なのに、なんだか追い打ちしているよう気分が悪い。
どうすればいいんだ。
そうだ、一緒に来た助手に相談しよう。
そう思い振り返ると、助手はいい笑顔でこちらを見ていた。
親指を立てて。
『浮気男に天罰が下りましたね』と言わんばかりである。
……そうだね。
女性から見たらそうなるね。
浮気男なんて女の敵だし……
だが俺は助手の顔を見たことで、覚悟が決まる。
そう、浮気男は社会の敵なのだ。
そして俺の依頼人は、そこに立っている男ではなく、奥さんのほう。
ありのままを報告し、どうするかは依頼人が決めるべきだ。
俺が勝手に決めていいことではない
一応フラれた報告するために、雨に佇む男を写真で撮ってさあ帰ろうとなった時、、浮気男に近づく女性がいた。
まさか二人目の浮気相手?
驚いたが二人目がいるなら話は早い。
これで依頼人に報告しても、心は痛まない。
俺は手に持ったカメラで写真を撮ろうとして――
しかし、その手が止まる。
なんてこった。
依頼人の奥さんじゃないか!?
なんでこんなところに……
俺が不思議に思っていると、俺たちのいる方をチラリ見て、そして口に人差し指を当てる
なるほど、黙って見てろということか……
よく分からんが、見守ろう。
そのまま依頼人は、浮気男に近づき傘を差し出す。
その時の男の驚きようは半端ではない。
先ほどまで浮気していた現場に、自分の妻がやってきたのだから無理もない。
浮気男は引きつった笑みを浮かべながら、受け取った傘を差す。
遠くから見ても動揺しているのが丸わかりだった。
依頼人の方はと言うと、恐いくらい優しい笑顔だった。
俺は知っている。
あの笑顔は、敵を破滅させることを決めた時する顔だ。
この後、二人の間で話し合いが持たれるのだろう。
どんな凄惨な話し合いが行われるのだろうか……
想像したくもない。
俺が恐怖に震えている間に、二人は去っていった
浮気男よ、達者でな。
「依頼完了ですね」
後ろから浮かれた助手の声がする。
この場に似つかわしくない声だ。
「お前、何か知ってるな!」
「はい、依頼人の奥さんから、浮気相手と会う時になったら連絡をくれと言われてました」
「俺、聞いてないんだけど」
マジで初耳なんですけど。
「聞かれてませんから」
「……ホウレンソウって知ってるか?」
同じ女性と言うことで助手に対応させたのだが、失敗だったらしい
後で説教だな。
「でも先生……
先生は浮気なんてしないですよね」
「何の話だ?」
急に話が変わって俺の頭にハテナが浮かぶ。
なんで俺が浮気する話になっているんだ?
「私、この仕事始めてたくさん人の醜い部分を見てきました……
お互い望んで一緒になったって言うのに、なぜ人は裏切るんでしょうか……
先生は、私の事を見捨てたしませんよね?」
助手の目が涙で潤む。
不安でいっぱいの顔だ。
ならば助手の安心させるために、男としてハッキリ言わねばなるまい。
「俺とお前、恋人関係じゃないよな。
恋人ごっこ、まだ続ける気なのか?」
この前食事奢ったときも似たようなことやられた。
なんなの、コイツの中で流行ってんの?
俺の苦言を聞くと、助手は呆れたようにため息をつく。
「はあ、先生もノリが悪いでですねえ。
遊びなんだから、もう少しロマンチックなセリフ、言ってもいいんですよ」
「やだよ。
どうせ飯を奢らせたいだけだろ」
「ソンナコトナイデスヨ」
「嘘つくのが下手糞すぎる」
前もやったなこんなやり取り。
「こんな美人が頼んでいるんですよ。
奢ってもバチは当たりませんよ」
「ならもう少しいい女になってから出直してこい」
「へえ、そんなこと言うんだ……」
助手は、依頼人とはまた違った怖い笑顔になる。
悪だくみを思いついた顔だ。
コイツ、何をするつもりだ?
「ならなりましょう。
今すぐに、いい女に」
「何言って――」
「『水も滴るいい女』。
今丁度雨が降っているようですし、雨の中佇んだらいい絵になると思うんですよね」
「やめろバカ!」
そんなことされてみろ。
周囲から『あの男は彼女をびしょ濡れするクズ』だと思われるじゃないか!
探偵業は評判が命なんだぞ。
殺す気か。
「では、私をいい女と認めていただけますね」
「それは……
分かったから飛び出す準備するな。
くそ、お疲れ会として何か奢ってやる」
「やった!
じゃあ、一時間後、いつものファミレスで!」
そう言って助手は走り去っていった。
偽装カップルで相合傘をするために一つしかない傘を持って……
「マジか」
俺に濡れろと?
この土砂降りで?
さすがにそこまで考えてないと思うが、いくらなんでもそそっかしすぎる。
助手が気付いて戻ってくることを祈りながら、雨を前に佇むのだった。
私の日記帳は、最新のAI搭載型である
持っているだけで私の行動を記録・分析し、勝手に日記を書いてくれるスグレモノだ。
これで夏休みの日記はバッチリだ。
だが所詮はAI。
たまには変なことを書くので、そのままは出すことは出来ない。
そもそも日記の体裁を保っていない物や、日記だが事実と全然違ったりとか、書かれたりする。
見る分には面白いけれど、こんなものを提出すれば怒られることは間違いない。
なので使えそうな分は写して、駄目なところは適当に書くと言うのが、この日記帳の使い方なのだ。
そんなわけで、新学期を明日に控え、日記を写す作業に勤しんでいた。
とりあえず、パラパラページを捲っていく。
7月は特に出かけていないので、これと言ったイベントは無い。
テレビ見てたとか、マンガ読んでたとか、そんなのばっかり……
だが問題なさそうなので、そのまま書き写す。
だが7月31日の所で手が止まる。
さすがに見過ごせないからだ。
『7月31日
家族みんなでラーメンを食べに行った。
とてもおいしかった』
何の変哲もない夏休みの一日。
だが問題なのは、絵の方。
その日の絵には『鼻からラーメンを食べる』様子が書かれていた。
ラーメンは鼻から食べる物じゃない事は小学生だって知ってる
これだからAIは信用できない。
私はのび太くんじゃないだぞ!
そして次に目が留まったのは、8月13日。
友達と一緒に肝試しに行った日だ。
これにも、一つおかしい事が書いてある。
『8月13日
友達と一緒に肝試し。
めちゃくちゃ暗くて怖かった。
あと、地縛霊に憑りつかれて大変だったです』
馬鹿馬鹿しい。
幽霊は非科学的。
それに何か不幸な事があったわけでもない。
これも書き直す。
次。
『8月14日
風邪をひいて熱が出て、ずっと部屋で寝てました』
風邪をひいて寝込んだことが書かれていた。
今まで忘れていたけど、確かに寝込んでいた……
まさか本当に祟られたの!?
ただ、私の記憶が正しければ、寝込んだのは一日だけ。
それ以外に呪いみたいなのはなにも無い。
私にとりついた悪霊はどうなったのだろう?
私はページをめくり、8月15日の日記を読む。
『8月15日
おじいちゃんの墓参りに行きました。
おじいちゃん、天国でも元気でね』
書かれているのはこれだけ。
悪霊の事は何も触れていない。
絵も墓の絵だけ……
意味ありげに書いておいて、まさかのオチなし!?
これだからAIは……あっ!
よく見たら、絵の端っこの方に小さく、幽霊が連行されてどこかに行く様子が書かれていた。
もしかしてお盆だから?
うろいつていた所を、幽霊の警察?に捕まったのだろうか……
謎が謎を呼ぶけど、面白かったので良しとする。
これだから、日記帳を読むのを止められない。
まあ、書き直すけど。
そしてページをめくっていくが、他の所は特に問題なかった。
今日の分を写して、これで宿題終了。
これで心置きなく新学期を迎えられる――
と思ったら、日記帳にもう一ページ書いてあった。
今日の分はもう見終わった。
と言うことは必然的に、明日の日記ということになる。
まさかこのAI、私の行動を収集・分析し、次の日の私の行動を予測して書いていると言うのか!
まさに未来日記。
正直信じがたい話だ。
未来なんて予測できるはずがないからだ。
けれど、もし事故に遭った事が書かれていたら?
事故を回避できるかもしれない。
もし宝くじの番号が書いてあったら?
私は大金持ちだ!
私は好奇心を抑えられず、明日分の日記を読む。
そこには書かれていたのは――
『登校日を間違えて先生に怒られた』
私はとっさに登校日の書いてあるプリントと、カレンダーと見比べる……
……
…………
………………
私は衝撃の事実に膝から崩れ落ちる。
登校日、今日だ……
なんてこった。
今から行ってももう遅い。
今日は始業式だけで終わりだからだ。
つまり、怒られるのは確定……
未来が分かっているのに、回避できないなんて……
私はがっくり肩を落とし、そのまま布団に入る。
どうにもならない未来を前にして、私は夢の世界に逃げるのであった。
俺の名前は、五条英雄。
私立探偵をやっている。
俺の所には、他の探偵では解決できない難事件が持ち込まれる。
それを解決するのが俺の仕事。
鮮やかに解決する様子に、街は俺の噂で持ち切りだ。
今日も、噂を聞いた依頼人に『あなたしかいない』と懇願された、家出猫の引き渡しを終えたところだ。
喜んだ依頼人から依頼料をたくさん弾んでもらったので、今日は贅沢に外食することにした。
ということで、今日は思い切ってファミレスで食べることにした。
近くにあったファミレスに入り、俺は空いていたテーブル案内される。
今日は何を食べようか?
チャーハン?
それともパスタ?
いや奮発してステーキを……
くそ、腹が空いているからどれもおいしそうに見える……
俺がメニュー表とにらめっこしていた時、不意にテーブルを挟んだ向かい合わせのソファーに誰がが座る気配がした
「相席いいですか?」
聞き覚えのある声に驚き、メニュー表から顔を上げる。
テーブルを挟んで向かい合わせの席に座っていたのは、なんと我が探偵事務所で雇っている助手であった。
今日の助手は休みのはずなのだが、なぜここに?
湧いた疑問をよそに、助手は俺に笑いかける
「先生、食事をご一緒します」
見惚れてしまいそうな美しい笑顔。
こんなのを見せられたら、どんな男もイチコロだろう。
だから、俺の助手の提案の答えは決まっていた。
「ダメだ、どっか行け」
俺はハッキリと断る。
残念だが、もう俺には助手の営業スマイルは効かんよ。
それで何度こき使われたことか……
それにだ。
モノを食べる時はね。
誰にも邪魔されず、自由で なんというか救われてなきゃあダメなんだ。
独りで静かで豊かで……
という訳で、俺は一人レストランで食事を楽しむのであった。
完
「待ってください。
私みたいな美人が食事のお誘いですよ!?
なんで断るんですか!?」
「美人って自分で言うのかよ……
まあいい。
理由だが、俺は仕事とプライベートを分ける人間だから。
以上だ」
「それは私もです」
「だったら声をかけてくんなよ」
「スイマセン、財布忘れてご飯が食べられないんです。
ごはん代貸してください」
助手が両手で拝むようにお願いしてくる。
始めからそう言えばいいのに……
「全く……
奢ってやるから、好きな物を頼め。
依頼料が入って、金があるからな」
「やった。
じゃあ期間限定パスタと鉄板焼きステーキ、サラダ、ドリンクバーに、えーとえーと、あ、デザートもいいですか?」
「奢りと分かった途端、急に調子に乗り始めたな」
「奢りですから。
それでデザートは?」
「いいよ、頼むといいさ」
俺と助手は、互いに遠慮が無い。
気を許していると言えば聞こえはいいが、ただ単に扱いが雑なだけである。
なんだかんだお互いが食べたいものを注文し、ホッと一息。
ひと段落付いて何気なく正面を見ると、助手と目が合う。
そして俺は気づいてしまった。
『これ、実質デートじゃね?』と……
油断していた。
助手を追っ払えばよかった、マジで!
言いたくはないが、俺は女性と付き合った事は無い。
なのでこいう時どうすればいいか、なにも分からん。
名探偵の俺でも、これだけはお手上げだ。
どうすればいい?
考えろ、俺!
「こうして向かい合って、ご飯を一緒に食べるのは初めてですね」
頭を高速回転をさせていると、助手が話を振って来た。
これ幸いにと俺は話に乗っかる。
意識していることがバレないよう、話を合わることにする
「そうだな。
結構長い事一緒にいるが、こうして店で一緒に食べるのは初めてだ」
俺と助手は昼飯のスタイルが違う。
俺は事務所で簡単な料理を作るかコンビニ弁当。
助手は近所の食べ物屋で食事。
中で食べる派と外で食べる派で平行線。
今日は珍しく交わったが、今後は無いだろうし、合わせる気もない。
俺はそう思っていたのだが……
「あの、先生……」
助手の歯切れが急に悪くなる。
何事かと助手の顔を見れば、頬も赤く染まっている。
体もモジモジしているし、まさかこれは……
「あの、また食べに来ませんか?」
やはり次のデートのお誘い!
まさかのモテキ到来に動揺するが、ここで答えを間違えてはいけない。
うかつな発言は火傷するだけ……
俺はゆっくりと自分の気持ちを伝える。
「俺は嫌だ。
なんか副音声で『奢れ』って聞こえたから」
「ソンナコトナイデスヨ」
「お前、探偵舐めんな。
そんくらい分かるわ」
焦ったのか、いきなりぶっこんで来たから、逆に冷静になったわ。
だが、ジワリ来られたらどうなったか分からない。
正直助かった……
助手が「くっそー」と悔しがっていると、店員が料理を持ってやってきた。
「お待たせしました。
ご注文の品です」
テーブルの上に料理が並べられる。
なお、テーブル上の料理の8割は助手の物だ。
……頼み過ぎである。
「「いただきます」」
俺たちは目の前の料理に手を付ける。
目の前のたくさんの料理を前にして、目を輝かせる助手。
今までの色っぽい雰囲気はどこへやら。
女は魔物って本当だったんだな
だがまあ……
「おいしー」
おいしそうに食べる助手の顔を見たら、俺も嬉しくなってしまう。
男もまた、単純と言うのは本当らしい。
自分のバカさ加減に呆れる。
だが、助手と食事はなかなか楽しい。
今度食事に誘うのもいいかもしれない。
そう思う、俺なのであった。
――ただし、次は奢らないがな
「ねえ沙都子、いい機会だから前から言うね?
思い付きで行動するのは、ほどほどにしたほうがいいよ」
「奇遇ね、百合子。
私もちょうどその事で反省していたところよ……」
私は今、クルーザーの甲板に椅子並べて海を見ていた。
隣に座っているのは、友人の沙都子。
このクルーザーの持ち主兼船長である。
沙都子はお金持ちの家の娘なのだ。
私は、クルーザーに乗って仲のいい友人と一緒に海を眺めておしゃべりする事に、少しだけ憧れていたりする。
だってエモいじゃん。
昔映画かドラマで見て、そのころから夢だったんだよね。
なのだけど、私の気持ちはどんより沈んでいた
夢が叶ったと言うのに、全然嬉しくなかった
本当に、夢のままだったらよかったのに。
「本当にごめんなさい、百合子。
私のミスで……」
「いいからいいから。
ほらジュース飲もうよ」
「……ええ」
沙都子は心底申し訳なさそうに謝って来る。
私はそんな沙都子を励まそうと、無理矢理テンション高めで話す。
けれど、逆効果なのか沙都子はさらに落ち込んでしまう。
それも仕方ないことなのかもしれない。
私たちは今、海で遭難しているのだから
■
事の発端は、私が『海へ行きたい』と言った事から始まる。
未だに強い日差しに対するただの愚痴だったのだが、それを聞いた沙都子が自分も行きたくなったらしい。
お金持ちの沙都子は加減を知らないらしく、お金と人員を駆使して、私が言い出した30分後には港に来ていた。
住んでいるところは海から結構遠いんだけど、ヘリを飛ばしたり車で秘密の地下通路を通ったりしてあっという間に海に着いた。
お金持ちって怖い。
海に行くのはいいけれど、もう少し落ち着いて行動できないだろうか……
ちなみに私は有無を言わされず連れてこられた。
確かに「海行きたい」っていったけどさ。
一度は確認を取って欲しかった
まあいいけど。
そして海に着いた私たちは、沙都子の案内されクルーザーに乗り込む。
てっきり海水浴をすると思っいた私は肩透かしを食らったけど、初めてクルーザーに乗ると言うことで、私はこれ以上なくウキウキしていた。
そして沙都子の護衛用の船の準備に時間がかかると言うことで、私たちが先に出ることになった。
そこまでは良かった。
陸地が小さな点になった所まで出たところで、急にクルーザーのエンジンがストップ。
慌てて原因を調べたところ、原因はただの燃料切れ。
沙都子が急いで海に出たがるあまり、出航前の点検を怠ったためらしい。
予備の燃料も無いから、護衛が来るまで待っていよう。
そう言って周囲を見渡せばさっきまで辺り一面海しかなく、私たちは遭難したことに気づいたのだった。
「ごめんなさいね。
海に来てはしゃぎ過ぎたみたい。
燃料の確認をしておけば良かったわ」
「ホントホント。
本当に、海はノリだけで行動するもんじゃないね」
私は努めて明るい調子で話す。
本心では沙都子に言いたい事があるがぐっと抑える。
たしかに遭難は沙都子のミスである。
けど、文句を言っても何も解決しない。
だから、せめて最後の時まで、仲良く楽しくいよう。
そう思って、気分だけでも盛り上げようと、明るく振舞っているのだけど上手くいかない。
私がやるせない気持ちでいると、なにかを思い出した沙都子が手を叩いた。
「そうだ!
今思い出したんだけど、私スマホ持っていたわ。
これで助けを求めればいいのよ」
「そりゃ凄い!
……で、電波入る?」
「……入らない」
「だろうね」
遭難したことに気づいた私が真っ先に確認したことだ。
というか真っ先に思いつくことだと思うけど……
沙都子も相当混乱しているようだ。
「意味ないじゃんか!
ああー、私の人生がこんなところで終わるなんて!
せめて船の通信機が動けば」
「それよ!」
「え?」
沙都子が急に大声を出して立ち上がる。
「どうしたの?」
「船の通信機で助けを呼べばいいの」
「……はい?」
助けが呼べないから困っていると言うのに、沙都子はいったい何を言っているのか……
追い詰められて、沙都子はおかしくなったのだろうか?
「どういうこと……?
あ、もしかして遭難したって嘘!?」
「エンジンが止まったのは本当よ。
遭難したのも本当。
ただ……」
「ただ?」
「ただ普通にクルーザーの通信機で助け呼べばよかったなって……」
私は自分の耳を疑う。
通信機?
それ、真っ先に使うべき機器じゃんか!
「最初に言ってよ!
メチャクチャ焦ったじゃんか!」
「私も焦って忘れてたのよ。
今から連絡するから」
沙都子は急いで操縦室に入っていき、機械を操作し始めた。
しばらくガラス越しに見ていていたが、連絡がついたのか、沙都子は私に向かって手で大きな丸を作る。
それを見て私は、ホッとして椅子に深く腰掛ける。
良かった。
本当に良かった。
助かったのはいいけれど、沙都子も慌て過ぎである。
それにしてもと思う。
クルーザーに乗らなければこんなトラブルに巻き込まれなかっただろう。
文句を言ってやろうとも思ったが、遭難するまでは楽しかったのも事実。
どうしたものかと悩んでいると、沙都子が私のそばまで寄って来る。
「私たちの船のGPSはずっと把握してて、護衛がこっちに来てるらしいわ。
これで安心ね」
満面の笑みで報告してくる沙都子。
それを見て私は、考えを改める
そうだよ、助かったんだから別にいいじゃないか。
終わりよければすべてよし、である。
私はやるせない思いを抱えながら、自分に言い聞かせるのだった。
「海へ行きたい」
私の何気ない一言が発端だった。
今日も今日とて暑いことに辟易し、思わず口に出してしまったその一言。
今年はバタバタしてて、結局海に行けなかったなあという、ただの愚痴である。
言ったところで、普通は何も起こらない。
だから、特に意味もなく口に出した。
けれど今なら思う。
軽率だったと……
愚痴を言った時、私は友人の沙都子の部屋に遊びに来ていた。
億万長者の友人の家に、である。
私の愚痴を耳ざとく聞いた沙都子は、私を見るとニヤリと笑う。
コレまでの付き合いから、『碌でもないイタズラを思いついたのだろう』と高を括る。
何か変なこと言い出したら逃げよう。
そう思っていたのだが、意外にも沙都子は何も言わず、ゆっくりと腕を上げるだけだった。
次の瞬間、沙都子は指を鳴らす。
私は『やっぱりお金持ちって指パッチンするんだな』と呑気に考えていたのだが、それがいけなかった。
いきなり、部屋に屋敷の執事やメイドが入って来たのである。
突然の出来事に驚いて固まっていると、入って来たメイドの数人がこっちに一直線に向かってきて、私を取り囲む。
「失礼します」
メイドの一人がお辞儀をしたかと思うと、急に体が浮き上がる感覚を覚える。
数人のメイドたちが私を担ぎ上げたのだ。
「待って、何これ!?」
抗議の声を上げるが、誰にも答えてもらえないまま、屋敷の外まで運び出される。
抱えられて体の自由が利かないのだが、なんとか体をねじって進行方向を見る。
すると屋敷の庭にヘリコプターがあるのが見えた。
さすが金持ち、ヘリコプターも持っているのか!
……もしかしてアレに乗るの?
そう思っていのも束の間、私はヘリコプターに押し込まれる。
自分に何が起こったのか何も分からないが、気持ちを落ち着かせるために深呼吸していると、沙都子が優雅に乗り込んできた。
乗り込んですぐ沙都子は、ヘリコプターのパイロットに指示を出して、ヘリコプターはそのまま離陸する。
そして離陸して数分、ようやく気持ちが落ち着いた私は、沙都子に質問をぶつける。
「沙都子、これは何?」
「何って……
決まってるじゃない。
海へ行くのよ」
「海!?
なんで海!?」
私が叫ぶと、沙都子が不思議そうな顔をする。
「あなた、『海行きたい』って言ったでしょ。
それを聞いて、今年は私も海に行ってないことを思い出してね。
それで海に行く事にしたの」
「いやいやいや」
確かに海へは行きたかった。
だけど! こんな急に! 誘拐みたいな形で行きたいとは一言も言ってない!
沙都子は金持ちだからなのか、ときおり突拍子の無い事をする。
「沙都子、いい機会だから言っておくけど、海に行くのは入念な準備と計画がいるの。
こんなに急に連れてこられても、泳げないよ」
「まさか、泳げないの?」
「違うわい!
水着を持って来てないの!」
「ああ!」
沙都子は納得がいったのか、両手を叩く。
さすがに分かってくれたらしい。
ここまで来て海を見て帰るのだけは避けた――
「そこは心配いらないわ。
途中でデパートによって買いましょう。
今回は私が連れ出したから、買ってあげるわ」
「は?」
沙都子の発言に間の抜けた返事をしてしまう。
そこで、『買ってあげる』っていう発言が出る辺り、沙都子は金持ちなんだと思い知らされる。
私の方は、新しい水着を買うかどうか迷って、結局買わなかったくらいにはお金が無いというのに……
これが広がる貧富の差か……
あまりの境遇の差に腹が立も立たな――
腹が立つから、うんと高い水着を買わせよう。
「ところで……」
沙都子が歯切れ悪く、声をかけてくる。
やましい事を考えていることがバレたかと思って身構えるが、沙都子の顔はこちらを気遣う表情だった。
「今思い出したんだけど……
あなた高所恐怖症だったわよね。
大丈夫なの?」
「へ?」
沙都子に言われて窓の外を見る。
いや見てしまった。
ヘリコプターから、私たちの住む町がはるか下に見えた。
「うわあああああ。
下ろしてえぇ」
「ちょっと、暴れないで」
「ああああああ」
「悪かったわ!
だから少し落ち着いて!
計画変更よ、近くに降りれる場所で降りて!」
「了解!」
私は地獄の数分を耐えたのちに、ヘリコプターから下ろされる。
降りたすぐそばには、当たり前の様に高そうな車が停まっており、私は促されるまま車に乗り込む。
もう突っ込む気力が無い……
行くだけでもコレなのに、海に着いたらどんなイベントが待っているのだろうか?
ビーチ貸し切りとかしてないよね……
一行は、私が抱く不安と若干の吐き気を知らず、車はまっすぐ海へと向かうのだった。