「海へ行きたい」
私の何気ない一言が発端だった。
今日も今日とて暑いことに辟易し、思わず口に出してしまったその一言。
今年はバタバタしてて、結局海に行けなかったなあという、ただの愚痴である。
言ったところで、普通は何も起こらない。
だから、特に意味もなく口に出した。
けれど今なら思う。
軽率だったと……
愚痴を言った時、私は友人の沙都子の部屋に遊びに来ていた。
億万長者の友人の家に、である。
私の愚痴を耳ざとく聞いた沙都子は、私を見るとニヤリと笑う。
コレまでの付き合いから、『碌でもないイタズラを思いついたのだろう』と高を括る。
何か変なこと言い出したら逃げよう。
そう思っていたのだが、意外にも沙都子は何も言わず、ゆっくりと腕を上げるだけだった。
次の瞬間、沙都子は指を鳴らす。
私は『やっぱりお金持ちって指パッチンするんだな』と呑気に考えていたのだが、それがいけなかった。
いきなり、部屋に屋敷の執事やメイドが入って来たのである。
突然の出来事に驚いて固まっていると、入って来たメイドの数人がこっちに一直線に向かってきて、私を取り囲む。
「失礼します」
メイドの一人がお辞儀をしたかと思うと、急に体が浮き上がる感覚を覚える。
数人のメイドたちが私を担ぎ上げたのだ。
「待って、何これ!?」
抗議の声を上げるが、誰にも答えてもらえないまま、屋敷の外まで運び出される。
抱えられて体の自由が利かないのだが、なんとか体をねじって進行方向を見る。
すると屋敷の庭にヘリコプターがあるのが見えた。
さすが金持ち、ヘリコプターも持っているのか!
……もしかしてアレに乗るの?
そう思っていのも束の間、私はヘリコプターに押し込まれる。
自分に何が起こったのか何も分からないが、気持ちを落ち着かせるために深呼吸していると、沙都子が優雅に乗り込んできた。
乗り込んですぐ沙都子は、ヘリコプターのパイロットに指示を出して、ヘリコプターはそのまま離陸する。
そして離陸して数分、ようやく気持ちが落ち着いた私は、沙都子に質問をぶつける。
「沙都子、これは何?」
「何って……
決まってるじゃない。
海へ行くのよ」
「海!?
なんで海!?」
私が叫ぶと、沙都子が不思議そうな顔をする。
「あなた、『海行きたい』って言ったでしょ。
それを聞いて、今年は私も海に行ってないことを思い出してね。
それで海に行く事にしたの」
「いやいやいや」
確かに海へは行きたかった。
だけど! こんな急に! 誘拐みたいな形で行きたいとは一言も言ってない!
沙都子は金持ちだからなのか、ときおり突拍子の無い事をする。
「沙都子、いい機会だから言っておくけど、海に行くのは入念な準備と計画がいるの。
こんなに急に連れてこられても、泳げないよ」
「まさか、泳げないの?」
「違うわい!
水着を持って来てないの!」
「ああ!」
沙都子は納得がいったのか、両手を叩く。
さすがに分かってくれたらしい。
ここまで来て海を見て帰るのだけは避けた――
「そこは心配いらないわ。
途中でデパートによって買いましょう。
今回は私が連れ出したから、買ってあげるわ」
「は?」
沙都子の発言に間の抜けた返事をしてしまう。
そこで、『買ってあげる』っていう発言が出る辺り、沙都子は金持ちなんだと思い知らされる。
私の方は、新しい水着を買うかどうか迷って、結局買わなかったくらいにはお金が無いというのに……
これが広がる貧富の差か……
あまりの境遇の差に腹が立も立たな――
腹が立つから、うんと高い水着を買わせよう。
「ところで……」
沙都子が歯切れ悪く、声をかけてくる。
やましい事を考えていることがバレたかと思って身構えるが、沙都子の顔はこちらを気遣う表情だった。
「今思い出したんだけど……
あなた高所恐怖症だったわよね。
大丈夫なの?」
「へ?」
沙都子に言われて窓の外を見る。
いや見てしまった。
ヘリコプターから、私たちの住む町がはるか下に見えた。
「うわあああああ。
下ろしてえぇ」
「ちょっと、暴れないで」
「ああああああ」
「悪かったわ!
だから少し落ち着いて!
計画変更よ、近くに降りれる場所で降りて!」
「了解!」
私は地獄の数分を耐えたのちに、ヘリコプターから下ろされる。
降りたすぐそばには、当たり前の様に高そうな車が停まっており、私は促されるまま車に乗り込む。
もう突っ込む気力が無い……
行くだけでもコレなのに、海に着いたらどんなイベントが待っているのだろうか?
ビーチ貸し切りとかしてないよね……
一行は、私が抱く不安と若干の吐き気を知らず、車はまっすぐ海へと向かうのだった。
8/24/2024, 3:02:22 PM