「バカみたいな事したなあ」
目の前のぬいぐるみをを見て、私はため息をつく。
先日、酔った勢いで注文したもので、本日晴れて届けられたものだ。
その時間違いなく欲しくて注文したもの。
だけど今の私には溜息しか出ない。
別にぬいぐるみは嫌いじゃない。
むしろ好きだ。
私の部屋には、他にもいくつものぬいぐるみがある。
このクマのぬいぐるみも、デザイン『は』好きだ。
だけど一つ不満がある。
唯一にして最大の問題点。
目の前のぬいぐるみはバカみたいに大きいのだ。
私より大きなぬいぐるみって何?
ここ狭い賃貸アパートだぞ。
置くトコねえよ。
どうしてこんなことに……
事の発端は、先週の会社の飲み会。
飲み会が開始されてみんなが酔ってバカみたいに騒いでいた頃、誰かが言った。
『人間より大きいぬいぐるみが欲しいなあ』と……
そこで酒を飲んでいい気分の私。
『そんなぬいぐるみが!?私が買っちゃる!』
とスマホを取り出し、ささっと注文。
『夢みたい』と思いながら次の酒を飲む。
そして今に至る。
……あれ、本当に夢だったらよかったのに。
やはり酒を控えよう。
何度目かもわからない反省をするが、きっと次もやらかす。
それが私。
だが、買ったものはしょうがない。
目の前の現実に向き合うことにしよう。
私はぬいぐるみに抱き着く。
おお、柔らかい。
この包み込むような安心感。
やはりぬいぐるみは良い物だ。
予定外の出費で、来月ピンチという事実がどうでも良くなっていく。
ピンポーン。
現実逃避している私の耳に、玄関のチャイムが鳴り響く。
配送業者くらいしか訪れることのない私の部屋に、誰かが来たようだ。
まさか、私の記憶がないだけで他にも注文をした!?
キャンセルの可能性をも考えながら、扉を開けると先輩が立っていた。
「来ちゃった」
まるで先輩は恋する乙女の様に微笑む。
だが笑顔の先輩とは逆に、私は混乱する。
なぜ先輩がここに?
「えっと、先輩。何か御用で?」
すると先輩はにこやかに笑って、
「うん、アレ届いたかと思って……今日だったよね」
「??」
「覚えてない?デカいぬいぐるみ注文したんでしょ」
その時私の脳裏が高速回転をし始める。
頭に浮かぶ一つの言葉。
『人間より大きいぬいぐるみが欲しいなあ』
「ぬいぐるみ欲しがったの、先輩だったんですか!」
「今気づいたの?」
先輩はおかしそうに笑う。
「で、届いた?」
「届きましたけど……なんで先輩が届く日を知っているんですか?」
「え?聞いたら教えてくれたよ。見せてくれるとも言った。覚えてない?」
覚えてない。
本格的に酒との付き合いを考える日が来たのかもしれない。
それはともかく。
「まあ、入って下さい」
私は先輩を招き入れる。
そして部屋に入った先輩は、置かれたぬいぐるみを見渡す。
「ひえー、バカみたいにでけぇ」
目を輝かせながら、先輩は大きなクマのぬいぐるみに抱き着く。
「ひゃー、すごい安心感。あっ他にも小さなぬいぐるみがある。可愛い~」
今まで見たこともないくらい、先輩のテンションが高い。
こんな一面もあったのか、と先輩を眺めていると不意にこちらを向いた。
「あ、そうだ。タダで見せてもらうのが気が引けたから、お土産あるんだよ」
と先輩はポリ袋からお酒を取り出す。
私はそれを見てニヤリと笑う。
「じゃあ、飲みましょう」
私は急いで、プチ宴会の準備を行う。
「では、この素晴らしきぬいぐるみたちに乾杯」
「乾杯」
そして私たちは缶ビールを片手に、ぬいぐるみに人生相談したり抱き着いたりして、バカみたいな宴会を繰り広げる。。
「このぬいぐるみ可愛くない?」
「可愛いー。買っちゃう?買っちゃう?」
そして、1週間後には新たなぬいぐるみがやってくるのであった。
「こんにちは、佐々木誠人くん。少しいいかしら?」
昼休憩、弁当を持って人気のない廊下を歩いていると、突然呼び止められる。
自分の名前を呼ばれたので条件反射で振り返るが、そこで僕は声を失った。
そこには不審者が立っていたからだ。
顔には漫画でしか見ないような仮面をかぶり、黒いタキシードを着て、その上に黒いマントで身を包んでいる。
マントで体形が分からないが、声から女子だということが分かる。
だからどうしたという感じであるが。
まさに不審者の中の不審者。
僕のこれまでの人生、そしてこれからの人生で遭遇しないであろう不審者。
間違いなく面倒ごとの匂いがする。
ここはスルーが吉。
「違います。人違いです。それじゃ、ぼく」
もちろん、佐々木誠人は僕の名前だ。
だが不審者に正直に答える義理は無い。
あくまで何でもないようを取り繕い、黒マントの横を通り過ぎようとする。
だが、彼女は僕の前に立ちふさがる。
「どこへ行く」
「はい、一人で静かにお弁当を食べられる場所に……」
「ほう、一人ぼっちで弁当を、ねえ」
黒マントはニヤリと笑った――気がした。
「ああ、自己紹介がまだだったな。私は『一人ぼっち撲滅委員会』のものだ」
「『一人ぼっち撲滅委員会』だって!?」
一人ぼっち撲滅委員会。
それは現生徒会が、少子高齢化の解決という壮大な目的を掲げ、作られた組織だ。
『子供が増えないのは、結婚しない人が増えたから。
結婚しない人が増えたのはカップルが減ったから。
カップルが減ったのは出会いが少ないから。
ならば、作ろうじゃないか!
男女の出会いを!
我々の手で!』
という控えめに言って、頭がおかしい理念によって作られた。
そして、交際相手のいないものに、無理矢理相手を宛がうという常軌を逸した活動している。
そしてこれに対する全校生徒の共通の認識は『出会ったら逃げろ』。
僕は即座に後ろを振り返り、来た道を全速力で走る。
もちろん廊下は走ってはいけないが、緊急事態なので許してもらうことにする。
そして僕は陸上部だ。
足の速さには自信がある。
「無駄だ」
にもかかわらず、僕は捕まってしまった。
後ろから引っ張られ、組み伏せられる。
陸上部の僕より速いだと!?
そんな人間居るわけ……
まさか!
「お前、釘宮か!」
釘宮鈴穂、同じ陸上部で僕より速い人間だ。
男子より速い女子として、ちょっとした有名人だ。
信じたくない事実だが、男子はともかく、女子で僕より早い奴はコイツしかいない。
「ご名答」
勝ち誇りながら、黒マントは仮面を取る。
予想とたがわず、釘宮の顔が現れた。
こいつ、委員会の手先だったのか。
全く知らなかった。
「くそ、何が目的だ」
「委員会の目的はご存じでしょう?『一人ぼっちより二人ぼっち。愛を求める人間に恋人を!』。あなたに恋人を用意しました」
「そんな事が許されると思っているのか!お互いの気持ちを無視したカップルが長続きするとでも!?」
「ご安心を。そこは配慮しています」
釘宮は不敵に笑う。
「ふん、僕の事が好きな人間がいるとでも」
言ってて少し悲しくなる。
「ええ、いますよ」
だが釘宮は衝撃の事実を告げる。
僕の事が好きな女の子がいる?
少し期待しつつ、僕は思わず周囲を見渡す。
だが悲しいかな、ここにいるのは僕と釘宮だけだった。
「どこにもいないじゃないか。男の純情をもてあそびやがって!重罪だぞ!」
だが僕の文句にも、釘宮は動じた様子はいなかった。
「佐々木君。安心してください。ちゃんといます」
「ふん、どこにもいないじゃないか。ここにいるのは僕と釘――はっ」
まさか!
「ふふ、やっと気づきましたか」
釘宮は無表情だった顔を崩し、獰猛な笑みを浮かべる。
「はい、佐々木君が好きなのは私です」
突然なされた愛の告白に頭が真っ白になる。
「え、いや、でも。こういうのはお互いを知ってから……」
我ながら何を言っているのか分からないが、言い訳をする。
だが――
「名案ですね。じっくり話し合うとしましょうか?」
「え?」
「私、そこの空き教室のカギを、たまたま持っているので、そこに行きましょう。
ああ、お弁当を貴方のために作ってきています。
それを食べながら、ゆっくりと話しましょう」
「ちょ、ま」
「ゆっくり、じっくり、話しましょう。空き教室で、二人きりで、ね」
私の部屋で飲み会が行われていた。
参加者は私と恋人の聡くんの二人。
私から飲み会をしようと提案した。
この飲み会の目的は二つ。
一つ目は、聡くんに元気を出してもらうため。
仕事がうまくいかず、怒られてしまったらしい。
二つ目は、私たちの関係をもっと先に進める事。
私たちが恋人となってから、もう一か月。
私が臆病なせいで、なかなか進まなかったこの関係。
お酒の力を借りて、これまで言えなかったことを言うのだ!
そしてお酒はほどよく飲んだ。
あとは言うだけ。
聡くんに届け。
私の熱い想い。
「私は王様だぞ。この紋所が目に入らぬか~」
「はい、はい」
私の渾身のがギャグに受けなかったのか、聡くんは適当な相槌を打った。
予想では笑い転げているはずなのだが、どうやら高度過ぎて伝わらなかったらしい。
しかたない、次のギャグを考えるための燃料、もといお酒を飲む。
「純ちゃん、飲みすぎだよ。もうそれ以上はやめな」
「まだ飲むの~。聡くんが笑うまでやめない~」
そう私には使命がある。
聡くんを笑顔にしないといけないのに、未だ彼はずっとしかめっ面なのだ。
「純ちゃん、酒に強いって言ってたのに……
ベロベロに酔ってるじゃん」
「なんてこと言うの~。私はシラフでーす」
「……酔っ払いはみんなそう言う」
聡くんは酔っぱらっているのか、認識に異常がある。
いや、逆に酒が足りないのかも!
「聡く~ん、お・さ・け、飲んでないでしょ。
もっと飲もうZE」
「絡み癖もあるんだ……初めて知ったよ、ハハハ」
「!」
聡くんが笑った!
「じゃあ、私、お酒飲むのやめるね~」
「ええ!?突然どうしたの?」
「聡くんが笑ってくれたから」
「全く意味が分からない」
聡くんが笑顔になった。
私はそのことで胸がいっぱいになる。
笑ってくれたことで、この飲み会は半分成功した。
目的はあと一つ。
彼に愛を伝える。
「好き」
お酒を飲んだからか、私の口から自然と愛の言葉がこぼれる。
「お酒が?」
でも聡くんはニブチンなので、うまく伝わらなかったらしい。
「ううん、聡くんが好き。愛してる。世界中の誰よりも」
「う、うん」
突然の愛の告白に、聡くんはドギマギしている。
そして彼は姿勢を正し、私を見つめる。
「僕も純ちゃんの事が好き。世界中の誰よりも」
「嬉しい」
聡くんが私の想いに応えてくれる。
まるで夢のよう。
彼は私にキスをしようと、顔を近づけてくる。
だが彼の顔を見た時、胸に不快感を感じた。
きっと夢から醒める前というのはこういう事を言うのだろう。
幸せだった気分から、急速に私の中の冷静な部分が呼びこされる。
ムリ。
もう限界だ。
私はすぐそこまで近づいていた彼を突き飛ばす。
そして胸の不快感は、口の中にまで押し寄せて――
🍺 🍺 🍺
「すいませんでした」
私は彼に土下座して謝る。
「反省してるなら、お酒は控えてね」
「はい。すいませんでした」
「怒ってないから、顔を上げて」
そう言いながら、彼は汚れ(オブラート)をタオルで拭きとっていた。
あれだけ夢の中の様な幸福感に包まれていたのに、あっけない終わり……
私の胸の不快感はきれいさっぱり無くなったが、代わりに後悔で胸がいっぱいだった。
彼は怒っていないと言ったが、実際はどうなのだろう。
まさか幻滅されたんじゃ……
「コレで綺麗になった、と。あとで洗濯機も回すことにして――」
聡くんが急に私の方を向く。
「さっきの続けようか?」
私達の夢は、まだ醒めないらしい。
「もう最終日かあ」
「あっという間だったな」
卒業旅行最終日、俺たちはホテルのレストランでのんびり朝食を取っていた。
サークルの卒業旅行で、もっと多い人数で来る予定だったのだが、紅一点の女の子が旅行に来ないと分かった瞬間、キャンセルに次ぐキャンセル、最終的に俺と健吾の二人に。
せっかくの旅行、男二人で回って何が楽しいかと思ったが、思いのほか楽しめた。
知らない土地を回る事が、こんなにも楽しいものだったとは……
キャンセルした奴らは勿体ない事をしたもんだ。
「飛行機の時間までどうする?」
健吾にこれからの予定を聞く。
この旅行は行き当たりばったりで、その日の予定を組んでいた。
本当はスケジュールを組んでいたのだが、みんな来なかったので、ご破算にした。
大人数前提の予定など虚しいだけである。
例えば夢の国とか……
健吾は食事の手を止め、考え込んでいた。
「んー。何かあって乗り遅れても嫌だし、そこらへんの土産屋を覗こうぜ」
「そうすっか」
本日の予定、土産屋巡りに決定。
食事を終えた後、チェックアウトして辺りをぶらつく。
こうやって土産屋巡りもなかなか楽しいものだ。
この土地名産を活かしたお菓子や、工芸品などバラエティ豊かだ。
さて何を買って帰るか……
あ、このクッキーなんておいしそうだ。
家族の分と、サークルの後輩の分と、バイト先の分と……
と土産を吟味していると、健吾が近くにいないことに気づいた。
周囲を見渡すと、アクセサリー売り場で、売り物を熱心に見ている健吾を認めた。
気になる子にプレゼントか?
色気付きやがって。
友人の恋路を邪魔するため、近くに歩み寄る。
気づかれないよう背後を取り、ガシッと肩を掴む。
「おい、抜け駆けは許さ――」
健吾が見ているものを見て、俺の胸が高鳴るのを感じた。
なるほど。
これを見ていたのか。
なら仕方がないな。
俺に気づいた健吾が振り向いて、健吾と目が合う。
『買うか?』
言葉に出ていたわけじゃない。
奴の目がそう語りかけてきたのだ。
俺は黙ってうなずく。
俺たちの心は一つだ。
売り場に置いてある『龍が剣に巻きついたキーホルダー』を手に取る。
俺は人生の中でこれまでにない胸の高鳴りを感じていた。
不条理。
ドラゴンを見た者は、口をそろえてそう言う。
俺も駆け出しの頃に初めてドラゴンを見た時、頭にその言葉が浮かんだ。
山のような巨体から繰り出される爪、圧倒的な物量の尾、全てをかみ砕く鋭い牙、そして口から吐き出される灼熱のブレス。
ちっぽけな人間たちは、それらがかすっただけでも致命傷になる。
攻撃ばかりに目が行くことも多いドラゴンだが、防御に関しても隙が無い。
固い鱗、巨大ゆえに膨大な体力、ときには魔法すら無効化する個体もいるとか……
その影を見ただけで逃げても誰も責めることはできず、町や村の近くに出た場合、集落の放棄すら少なくない。
軍隊を動員して、やっと撃退できるかどうか。
もし失敗すれば国は焼き尽くされる。
まさに生物の頂点に君臨している存在。
だが命知らずの冒険者たちは、これらに無謀に向かっていく。
確かに強敵ではあるが、殺せない相手ではないのだ。
危険は伴うが見返りは多い。
ドラゴンから取れる素材から作った武具や防具は、最高級品として扱われる。
また一匹でもドラゴンを討伐したものは『ドラゴンスレイヤー』と呼ばれる栄誉にあずかれる。
金では買えない、誰もがうらやむ名誉である。
そんな夢を抱き、今日も冒険者たちは死地に向かう。
だが、そんな冒険者たちも逃げざるを得ない状況がある。
それはドラゴンが二匹以上、同じ場所にいる場合だ。
通常ドラゴンは群れないが、稀に群れを成すことがあるのだ。
理由は分からない。
間違いないのは、確実に勝てないと言う事。
伝説の勇者すら、逃げる事しか出来なかったという逸話がある。
ドラゴンの群れと言うのは、それほど脅威でありもはや災害でもある。
そして俺の前には十匹以上のドラゴンがいた。
ダンジョンを進んだその先、最深部にドラゴンの巣があったのだ。
本来であれば、恥も外聞もなく逃げるのだろう。
だが俺はその光景を眺めているだけだった。
諦めたわけではない。
必要ないのだ。
というのも俺と相方の二人でこのダンジョンに潜ってきたのだが、その相方が戦っているのだ。
ドラゴンの群れを。
一人で。
一匹ずつ、しかし確実に斃していく。
俺もドラゴンを討伐したことのある一人だ。
だからドラゴンの強さは良く知っている。
それを相方は一人で相手にしている。
もはや、乾いた笑いしか出てこない。
見ればドラゴンの目には恐怖が浮かんでいる。
生物界の頂点が、たった一人の人間に翻弄されているのだ。
無理もない。
俺も相方の強さが怖い。
そしてその相方と言うのが、見た目はか弱い聖女だというから、話がおかしい
聖女って強くないと務まらないのだろうか?
俺も名のある冒険者との自負があるが、彼女と旅をしてからとういうもの、その自負が揺らいでいる。
俺が弱いのか、彼女が強すぎるのか。
それが問題だ。
そんな何の役にも立たないことを考えている間に、一匹、また一匹とドラゴンを斃す。
ふと、この感情をどこかで感じたことがあるなと、自分の記憶を掘り返す。
しばらく考えている間に、相方はドラゴン全てを斃してしまった。
彼女がこちらに手を振るのが見えた。
そこで、ああ、と思い出す。
かつて初めてドラゴンを見た時、奴は俺を見ても何の警戒心も抱かなかった。
敵と見做されてなかったのだ。
吹けば飛ぶ埃のようなものだと……
そして自分もドラゴンとの圧倒的な差を感じ、打ちのめされたあの感覚。
そうだ、この感情の名は――
『不条理』。