長い旅であった。
時間にして100年くらいか……
随分と遠いところに来たなと感じる。
東京をスタート地点として、俺たちは日本中から出て世界中を飛び回る。
最初こそ息子と一緒にいたが、すぐに別れた。
一緒にいても俺の目的には邪魔なだけ。
『一緒に行こう』なんて駄々を言われなくてホッとしたものだ。
旅の目的はお金を稼ぐこと。
それ以外に意味なんてない。
金は天下の回りもの。
Money is all.。
俺は目的のため、行く先々で物件を買い漁った。
買うのは利益を生み出す物件だ。
もちろん安い買い物ではなく、出費のせいで懐事情は厳しくなる。
だがこれらは金の卵を産む鶏なのだ。
今は苦しくても、後々自分が金持ちになるための布石。
将来を思えば何ともない。
そうやって俺は順調に資産を増やしていた。
だが常に順風満帆であったわけではない。
世界中が不況になって出費が重なり、泣く泣く物件を手放したこともある。
無差別なテロリストに金をばらまかれたこともある。
妨害が重なり、まったく知らない辺境に行かされたこともある。
山あり谷あり、まるで人生のよう。
だがそれでも最終的に俺は億万長者となった。
この手にはたくさんのお金がある!
最後の年の三月。
ここが旅路の果て。
これを越えればで自分の勝ちだ。
「じゃあ、『持ち金ゼロカード』使うね」
「は?」
息子がこのタイミングで最悪のカードを切る。
すると俺の現金が0に……。
これでは……これでは!
そして、最後の総決算。
答え合わせは……
「ばかな」
画面に映し出されたのは『2位』の文字。
思わず息子の方を振り返る。
息子の顔は悪意に満ちた笑みを浮かべていた。
「お父さんも甘いね。お金はちゃんと使わないと。
金は天下の回りもの、だよ」
「用事って何?」
声がした方を見ると、クレスメイトの円香だった。
彼女は俺に呼び出されて、ここに来た。
彼女は同じバスケットボール部の仲間でもある。
同じクラス、同じバスケットボール部と言うことで、週末に一緒に遊びに行ったり自主練の時もよく一緒に練習した。
ずっと彼女のことを友人だと思っていたが、いつしかそれは恋愛感情になった。
その気持ちは自分のなかでどんどん大きくなり
正直言って、円香が俺のことをどう思っているのかは分からない。
だけど今の彼女の顔はうっすら高揚しており、なぜ呼ばれたのか感づいているのだろう。
そして返事がOKでなければ、こんなところに来ない。
だから変に誤魔化さず、単刀直入に言う。
「シュートが決まったら、俺と付き合ってほしい」
「分かった」
勝った。
俺は勝利を確信する。
あとはこのシュートを決めるだけ。
この日のために、毎日練習した3Pシュート。
試合中ならともかく、落ち着いて撃たせてくれるなら絶対に外すことは無い。
バスケットボールを持って3Pラインに移動し、俺は精神を集中させる。
彼女の見守る中、俺はいつもようにボールを放る。
届けこの想い!
そしてボールは放物線を描きながら、ゴールのバスケットに吸い込まれるように入る――
ことは無くリングに当たり、ボールは明後日のほうに跳ねていった
まさか外すなんて……
完全に計算外である。
さぞ彼女はがっかりしただろう。
そう思って彼女の方を見ると、彼女はしゃがんで靴ひもを結んでいた。
しばらく見ていると、彼女は俺が見ていたことに気づく。
「あ、ごめんね。靴紐ほどけているのが気になっちゃって。
悪いんだけど、もう一度シュート打ってくれないかな?
今度は見逃さないから」
なるほど、どうやら彼女は俺がシュートを外した場面を目撃していないらしい。
助かった。
こういうこともあるんだね!
……いや、そんなことある?
ぶっちゃげ、ありえないでしょ。
とはいえ、追及したところで俺に得は一切無いのでもう一度シュートを打つことにする。
俺はボールを拾って、もう一度3Pラインに立つ。
よし、次は外さな――あっ外れたわ。
汗で滑って、リングにまで届くことなく、ボールは落ちていく。
そんな、また失敗するなんて……
さすがに彼女も俺に失望しただろう。
だが彼女は、今あくびをしたのか、口を手で隠していた。
「ゴメン、見てなかった。ちょっと寝不足なの」
そんなことある?
いや、そんなことはどうでもいい。
大事なのは、彼女がもう一度チャンスをくれたということ。
両思いなのは確実なのに、俺がシュートを外したせいで付き合うことが出来ない。
まったく自分の不甲斐なさに、怒りを覚える。
だが反省会は後回しだ。
シュートを決める。
話はそれからだ。
「ちゃんと見てろよ。次も決めるからな」
そう宣言し再びシュートを放つ。
――――――――――――――――――
「ゴメン、ひゃっくりが出ちゃって」
「えっと、よそ見しちゃった」
「ラインでメッセージが――」
「UFOが――」
「ツチノコが――」
「ああああああ。あ、ゴメン、突然叫びたくなって」
全く入らない。
打てば打つほど、ゴールから遠ざかっていく。
練習の時はあんなに入るのに、どうして……
これは神様が付き合うなって言っているのかもしれない。
彼女もそろそろネタ切れだ。
次で入らなければ、諦めよう。
いや、だめだ。そんな弱気では!
「ハアハア、また決めるからな。ちゃんと見ろよ」
円香は小さく頷く。
彼女が今、何を思っているのか?
今の俺には想像ができない。
だけど、俺は引き下がれない。
もう一度、彼女の顔を見て気合を入れる。
ここで確実に決める!
そう決意し、再びシュートを打つ。
よし!
放った瞬間、いい感触を得る。
これは入るか?
だがボールは惜しくもリングに当たり、真上に跳ね上がる。
駄目だった。
膝の力が抜けそのまま崩れ落ちそうになる。
まだだ。
諦めるのは早い。
俺はそのままゴール下まで全力で走り、落ちてくるボールをキャッチする。
もう、やけくそだ。
俺は飛び上がって、ボールを直接バスケットに叩きこむ。
その反動でゴールポストは激しく揺れるのが分かる。
まさに|スラムダンク《強く叩き込む》だった。
もう何が何だか分からないが、とりあえずシュートは入った。
あとはこれを円香がヨシとするかどうかだ。
俺が地面に降りて息を整えていると、円香が近づいてくる。
「君の気持ち、しっかり届いたよ。
でもそんなに情熱的だとは知らなかったな。
フフ、じゃあ私の番ね」
そして唇に柔らかい感触がした。
私は人間を愛している。
心の底から。
だが愛しているがゆえに、許せないこともある。
人は今いる現状に満足せず、今よりも上を目指す存在だ。
出来ないことを出来るようにし、見えないものを見えるようにし、行けない所にも行けるようにした。
その結果、悲劇も多く生まれた。
しかしそういった人々がいたからこそ、我々は水準の高い生活を送ることが出来ている。
しかしだ。
今の環境にかまけて、何もしないどころか他者の足を引っ張るものが多すぎる。
私はそれらの人間が許せない。
だから私は怪人を使い、無能な人間を一掃しようと計画した。
無能な人間がいなくなれば、よりよい社会になるだろう。
だが計画は進んでいない。
正義のヒーローが邪魔をするからだ。
私はあの男が気に入らない。
なぜ無能な存在を守ろうとするのか理解できない。
無能な人間など、捨てておけばいいものを……
思案に耽っていると、背中に気配がした。
「お呼びですか?」
「来たか。『我が子供』よ」
声の主は、岩怪人イワーノだった。
私の作った怪人の最高傑作の一人。
体が岩で出来ているにもかかわらず、俊敏な行動をすることが出来る。
「例の男の件ですね」
「さすがだな。話が早い」
「奴は兄弟を殺しました。仇を討たねばなりません」
私はイワーノの言葉に大きく頷く。
「私がなぜ貴様らを作ったのか、覚えているな」
「は、無能な人間を排除し、よりよい社会を作るためです」
「よろしい。計画の邪魔をするあの男を消せ」
「は、それでは行ってまいります」
「最後に――」
私が言葉を言い切る前に、イワーノの気配が消える。
私は一人になった部屋で再び思案する。
私はより優秀な人間を生み出すことを目的として、怪人を作った。
だが結果は散々だった。
出来上がった者たちは、知能や身体能力こそ高いものの、暴力的で何かを生み出すということは出来ない。
どちらかと言えば無能な人間に近い。
だが最近それでもいい気がした来たのだ。
最初こそ、無能な人間を排除するのに便利な手駒くらいにしか思っていなかった。
目的を達成した後は、廃棄する予定だった
だが情が移ったのか、彼らが愛おしくなった。
始めは士気を上げるために、『自分の子供』と嘘をついた。
だが今では本当に自分の子供のような気がしている。
いつしか自分の理想とする世界に彼らがいるようになっていた。
彼らの存在なくして、私の理想は達成されない。
なんのことは無い。
私は根本的なところで、正義のヒーローと一緒なのだ。
信念とやらはどうでもよく、自分が愛するもののために戦っているだけなのだ。
イワーノの去った出口を見る。
あの正義の味方は強大だ。
他の子供たちの様に帰ってこないのかもしれない。
それでも私はこう願わずにはいられない。
「どうか無事で帰ってこいよ」
今日、街へ行くことにした。
何年ぶりだろうか。
何度も行きたいと思っていたけれど、どうしても体が動かなかった。
前に街に行った時の記憶が、私を臆病にさせた。
だけどいつまでも家に閉じこもったも仕方がない。
私は勇気を出し、再び街へ行くことにした。
街に向かいながら前回のことを思い出す。
数年前のことながら、今でも鮮明に思いだせる。
ずっと頭から離れなかったあの光景。
あの日私は町をぶらついていた。
特に理由は無い。
なんとなくだ。
だけど街に着くと、私に気づいた人達がキャーキャー歓声を上げ始めた。
私は突然の事に戸惑い――
いや、正直に言うと気分がよかった。
だってあんなに注目されることなんて、生まれて初めての事だから。
だから調子に乗った。
みんなから見えるように、大きな道を歩いたり、たまに歓声に応えたりした。
そうすれば、みんな喜んでくれたからだ。
たまらなく気分がよかった。
それがいけなかったのだろう。
私が注目を浴びることを気に入らない人たち――いわゆるアンチがいることに気が付かなかった。
そのまま私は調子に乗って街を歩いていると、ふと周りに人がいないことに気が付いた。
周りを見渡しても誰もいない。
歓声どころか、物音一つしない。
まるで最初から誰もいなかったかののように……
何が起こったのかわからず、恐怖に支配される。
その時だった。
何かが体にぶつけられた。
アンチは私に暴力を振るってきたのだ。
誓って私は何もしていない。
でもアンチには関係が無かったのだろう。
見えない所から、何かを何度もぶつけられた。
私は抵抗をしたが、それでも暴力は止まず、泣きながら家に帰ったのだ。
今思い出しただけでも、身震いがしてくる。
でも私は決めたのだ。
アンチたちと対決すると。
ベストな方法じゃないことは分かっている。
でも悪いことをしていないのに、やられっ放しなのは許せない。
私が街に姿を現すと、みんなが私に注目しているのが分かる。
だけど突然のことで驚いたのか、私を見て固まっていた。
歓迎の声が無いのはちょっとだけ残念だ。
だけど気にしない。
だって今回の目的はそうじゃないから。
こうしていれば、またアンチが姿を現すだろう。
それまでは、この光景を楽しむことにしよう。
みんなが私を《見上げる》光景は何物にも代えがたい。
私はこの光景を守るために戦うんだ。
私の決意を感じ取ってくれたのか、一人の女性が私を歓迎する声をあげてくれた。
「キャー。怪獣よー」
『優しさ始めました』
いつも行く食堂に、そう書かれたノボリが置かれていた。
「はあ、やっと始めたのか……」
どれだけこの日を待ちわびたことか……
冬は人肌が恋しくなる寒い季節。
だが人肌が無くても人は生きていける。
同じように人は優しさが無くても生きていける。
だからといって優しさが無くてもいいわけではない。
そう言った理念のもと、この店は毎年冬の初めに『優しさ』を始めるのだ。
今年の冬は、暖かい日が続き冬がなかなか来なかった。
出すタイミングを逃して、そのまま忘れていたのだろう。
あのとぼけた店主の事だ。
そうに違いない。
俺は扉を開けて店に入る。
「店主さん、張り紙見たよ。やっと優しさ始めたんだって?」
「ははは、すいません。
どうにも優しさがなかなか入荷しなくって……」
「忘れていただけだしょ?」
「はは、バレましたか」
店主は笑いながら、俺を先導して空いている席に案内する。
この店は小さいので、週末以外は店長一人で切り盛りしている。
案内された席に着くと、そこには腰痛軽減クッションが置かれていた。
昨日は置かれてなかったので、わざわざ用意してくれたのだろう。
腰痛に悩まされる俺のために置かれているクッション。
先日、腰痛が辛いと言ったことを覚えていていてくれたらしい。
このさりげない優しさが憎い。
「外は寒かったでしょう。ご注文の前にこちらを」
そう言って差し出されたのは、ホットミルク。
受け取って飲めば、体の芯から暖まっていく。
優しさが体の隅々までいきわたる。
「ご注文が決まってますか?」
店長は頃合いを見計らって注文を聞いてくる。
「今日は中華定食で」
「かしこまりました」
そう言って店長は店の奥に入っていく。
料理を作るために、厨房へいったのだ。
料理が来るまで時間があるので、店の中を見渡す。
すると暖炉に火が入っているのが見えた。
昨日来たときは点いてなかったので、今日からなのだろう。
冬の間、ずっと点ければいいのにと思うのだが、なかなか掃除が面倒らしい。
この暖炉は、店で『優しさ』をやっている間だけの期間限定のものなのだ。
暖炉から何か優しさ的なものが出ている気がする。
掃除が面倒でも、『優しさ』をやる間だけは点けるというのは納得である。
どれだけ見入っていたのだろうか、店主が店の奥から出てきた。
「お待たせしました」
目の前に料理が並べられていく。
「今、『優しさ』が期間限定で100%増量しています」
「見た目変わんないけど」
「大丈夫ですよ。きちんと入ってますから」
「本当?違ったらSNSで炎上させるから」
もちろん本気じゃない。
優しさなんて入っていなかったところで、分かる人間なんていない。
店長もそれを分かっているので、一緒に笑う。
「こちらサービスになります」
そう言って、店長はあるものを置く。
中華定食のデザート、俺の大好物の杏仁豆腐だ。
これ自体は、いつもサービスで付く。
だけど今回は――
「こちらも、優しさ増量中となっております」
目の前に出されたのは、いつもより大きめの茶碗に入った杏仁豆腐。
だがこれはこの期間だけのスペシャル杏仁豆腐なのだ。
これがとんでもなくうまい。
それもそのはず、店主が食材からこだわった、スペシャルな杏仁豆腐。
店主のお客様のためという『優しさ』が暴走した結果の杏仁豆腐なのだ。
「ありがとうございます」
俺は心の底からの感謝を述べる。
これを毎年楽しみにしているのだ。
デザートを早く味わうため、定食を手早く食べる。
優しさどころか、味もまともに分からない。
定食を食べ終えて、一度深呼吸する。
スペシャルな杏仁豆腐なのだ。
慌ててはいけない。
しっかり精神を落ち着かせてから、ゆっくりと杏仁豆腐を口に運ぶ。
「やっぱり、優しさが入っていると違うな」
杏仁豆腐は優しさに溢れた味がした。