俺は走っていた
信じてもらえないかもしれないが、俺は鬼に追われている。
微妙に鬼っぽくないから、悪魔かもしれないけど同じもんだ。
理由は知らない。
いや、たしかに酔っぱらってちょっと絡んだ。
近所の飲み屋でやけ酒しているところに、楽しそうに飲んでいる奴がいたからイラっと来たんだ。
まあ言い訳か。
言い訳だな。
するとそいつは怒りだして、椅子から立ち上がると俺に何かを言い始めた。
酔っぱらっていて、何言っているか全然分からなかったけれど。
まあ、文句を言われているのは分かったから、俺も言い返そうと思ったんだけどある事に気づいた。
そいつの頭に角みたいなのが生えていることに。
俺は怖くなって慌てて店を出たんだけど、まあそいつも店を出てくるもんだから、走って逃げた。
当然鬼は顔を真っ赤にしながら追いかけていた。
ヤバいと思ったから、全力で走って逃げた。
とりあえず追いつかれないように、逃げ回る。
これが今までの状況。
だけどこのまま走り回っても、いつかは追いつかれるだろう。
俺は一計を案じた。
近くの建物の角を曲がり、とっさに物陰に隠れる。
すると鬼も建物の角を曲がってくるが、物陰に隠れた俺に気づかずそのまままっすぐ走っていく。
動かず鬼の方を見ていたが、気づかずそのまま見えなくなるまで走っていた。
ホッと一息をついて、近くにあった箱に腰を下ろす。
大分走ったが、さてここはどこだろうか?
周りを見渡すと、さっきまで飲んでいた飲み屋の看板があった。
走り回って一周したらしい。
飲みなおすか。
そう思って飲み屋の扉を開けようとすると、突然後ろから捕まれる。
何が起こったか理解する前に、引き倒されて地面に横にされる。
「捕まえたぞ」
痛みをこらえながら見上げると、そこには金棒を担いだ鬼がいた。
「よくも馬鹿にしてくれたな」
そう言って鬼は金棒を振り下ろして――
□ □ □
「とまあ、こんな夢を見たんだ」
「へえ、それは大変だ。起こして正解でしたね」
「ああ、助かったよ」
俺は飲み屋の店主に礼を言う。
店主が言うには、俺はこの店で酔いつぶれていて、悪夢にうなされていた俺を起こしてくれたらしい。
まさに金棒に殴られる瞬間に起こされたのだ。
助かったという気持ちが体を支配する。
夢とはいえ、あんな場面は二度とごめんだ。
それで酒を飲み直しながら、店主に見た夢のことを話していた。
店主は迷惑そうな顔をもせず、ウンウンと聞いてくれた。
「店主、すまねえなあ。酔っ払いの話なんて要領を得ないでしょ」
「ははは、まあ商売柄そんなお客さんが多いんで、気にならないですよ」
そう言いながら店主は店の入り口のほうに歩いていく。
「ん、どうした?」
「いえ、ね。さっきのお客さんの話を聞いていて少し気になったことがありまして……」
「気になったこと?」
「ねえ、お客さん。それっもしかしてこういう夢ですか?」
そういって店主は店の入り口を勢いよく開ける。
そこには金棒を持った鬼がいた。
私の彼氏はイケメンでお金持ちだ。
頭もよく、誰もが知る名門大学に通っている。
すでにいろいろな企業からオファーが来ており、将来を約束されたエリートなのだ。
そんな彼だが、多少は驕った所があるものの、いつも優しく紳士的で、記念日も忘れたことがない。
まさに完璧超人と言った風で、自分にはもったいないほどの人物だ。
そんな彼だが一つだけ欠点、というほどの事じゃいけど、妙なことを言うのだ。
『自分はタイムマシーンを持っている』と。
いくら何でもありえないと思う一方で、彼が嘘をつくとも思えない。
実物を見せてくれれば早いのだが、そんなものを簡単に見せてくれるのだろうか?
長い間悩みぬいた末に、ダメ元で聞いてみると、すんなりOKしてもらえた。
彼が言うには、『あれから話題にも出さないから信じてないのかと思った』。
私が悩んでいたのは何だったのか……。
そして本日タイムマシーンを見せてもらうために、彼の家を訪れた。
彼の案内で綺麗に整頓された倉庫に入ると、奥に白いシートがかけてあるものが見える。
初めて見た時の感想は、『薄い』である。
バックトゥザフューチャーに出てくるデロリアンようなものを想像していたから、というのもあるけどこんなので時間旅行なんて出来るのか?
もしかしてコンパクトに畳めるタイプ?
彼に見てもいいかと聞くと、頷いてシートをはぎ取ってくれた。
そこにあったのは、畳ぐらいの大きさの板に色々な箱がついている、なんだかよく分からないものだった。
「えっと、これがタイムマシーン?」
「そうだよ」
「そっか」
私は少しがっかりした。
確かに勝手に期待したのは私だが、これは無いんじゃないのか。
だって、どう頑張っても子供のおもちゃの様にしか見えない。
「どう?」
彼が笑顔で聞いてくる。
私は返答に困る。
だって、これは、なんと言うか――
「ドラえもんに出てくるタイムマシーン見たいだろ」
「ええ、言っちゃうの!?」
まさか彼に言われるとは。
「僕でもそう思うんだから仕方がない」
彼はイタズラが成功したかのように笑っていた。
もしかしてからかわれた?
「ああ、ゴメンゴメン。君の反応が面白くて、つい。
大丈夫だよ、これは本物のタイムマシーン――
だと思っている」
「思っている?」
不思議な表現だった。
彼は私の心を見透かしたように、説明を続ける。
「これさ、小学生くらいの時かな、その時にもらったんだ。
壊れたからって。
うち廃品回収業者じゃないのにさ」
「そうなんだ……」
彼にと取って思い出の品ということか。
友達が作ってくれて、今でもそういうことにしてるって意味かな。
小さいころの思い出は大切だもんね。
「これね、その友達を訪ねて未来から来た奴が乗ってたんだ」
んん?変な話になって来たぞ。
「ていうか、それドラえもんじゃん」
「やっぱそう思う?」
「思う」
やっぱりからかわれたか。
「子供の頃のこと、よく覚えていないんだ」
まだ話は終わってないらしい。
「そのおぼろげな記憶の中に、これに乗っていろんな時代に行った記憶があるんだ」
「それは……」
「うん、言いたいことは分かる。
アニメと記憶がごっちゃになっているんじゃないか、とね」
そう言いながら、懐かしい目をしてタイムマシーン(?)を見ている。
「僕も実はそうじゃないのかと思ってる。
これをくれた友達も、その時のこと覚えていないみたいで、実際よく分からないんだ。
これを持っていた理由も覚えてない」
彼は振り向いて私を見る。
「でもさ僕はこれを本物だと思ってる」
「友達がくれたから?」
「いいや、ロマンさ」
彼は子供っぽく笑う。
「そんな顔初めて見た」
「カッコいいだろ」
「ん-ん、子供っぽくてかわいい」
「締らないなあ」
そして彼は愛おしげにタイムマシーンを撫でる。
「今の僕じゃ無理だけど、これ修理したいんだ」
「その時は乗せてくれる?」
「いいよ」
おお、言ってみるもんだな。
将来が楽しみだ。
「将来子供も出来たら乗せてくる?」
口が滑る。
さすがに結婚を飛び越して、子どもの話はない。
だが彼は、気にせず笑って答えてくれた。
「それじゃこれを大きくして、たくさん乗れるようにしないとね。
3人しか乗れないんじゃ話にならない」
かつてチートデイというものがあった。
チートデイというのは、過剰なカロリーをとっても太らないという夢のようなチートである。
これは自らに過酷なダイエットを課した一部の限られたダイエッターのみの特権であり義務でもあった。
彼らは言う。
必要なことなのだ、と。
ところがこれに意を唱える者たちがいた。
世界中の食いしん坊たちである。
特権を廃止し、誰もがその権利を持つべきだと訴えた。
曰く、食べても太らないなんておかしい、と。
これを受けて、ダイエッターたちは抵抗をした。
チートデイは辛いダイエットのご褒美のようなもので、なんの苦労もしていない人間がご褒美をもらうのはおかしいと反論したのだ。
もちろん食いしん坊たちは反発し、両者が激突、死傷者も出た。
ダイエッターたちは善戦したものの、数の暴力には勝てず、最終的に特権を手放すことに合意。
そして万人にチートデイは開かれた。
俗に言うチート革命である。
これによって誰もがチートデイの恩恵にあずかり、無制限ではないが誰もがチートできるようになった。
世の中は歓喜の声で満ち溢れ、誰もがその奇跡に涙した。
こうして誰もが好きな物をたくさん食べても太らなくなり、世界に平和が訪れたのだった。
○ ○ ○
という妄想をしながら、私はお菓子を机の上に並べる。
今日はチートデイ、特別な夜。
どれだけ食べても太らない日。
私は別にダイエットをしていないけれども、私の脳内世界では誰もがチートデイを持っているので問題ない。
そう、問題ないのだ!
一口、お菓子を口に入れる。
口の中に悪魔的なカロリーを感じる。
だが、今日はチートデイなので、カロリーゼロ。
ああ、なんて素晴らしい日なんだろう。
私は次のお菓子を頬張り、チートデイの偉大さを噛みしめるのであった。
P.S.
この短編で語ったチートデイについて。
チートデイとはダイエット中に設ける「好きなものを自由に食べる日」のこと。
これを設けることで、一時的に体重が増えてもやせることができる、というものです。
カロリーがゼロになる日ではない(時間が無いので違うのを承知で書いた)
ただ様々な言説があり、真偽のほども不明です。
モチベーション維持はともかく、食べて痩せるなんて『オカルトでは?』という人もいます。
詳しくは自分で調べて、自己責任でお願いします。
私は責任を取りません。あしからず。
一つだけ言えることは、主人公のように運動をせずにチートデイを設定しても、普通に太るだけです
そんな都合のいいことはありません。
「あ、リクちゃんきた」
朝登校すると、友人のウミがあたしのもとに走り寄ってくる。
何かあったのか?
「ウミはね、分かってない事がたくさんあるんだよ」
「突然何?
あんたの何が分かってないって?
不思議ちゃんキャラに転向したか?」
「違うよ。ウミじゃなくって、海、青い海の事」
ああ、そっちか。紛らわしい。
「昨日、深海のテーマにしたドキュメンタリーを見たの」
「……昨日そんなのやってた?」
「撮りためた奴だよ」
「なるほど」
すごいな、撮ったやつ見てるんだ。
あたしは録画したら、それで満足して見ていないのに……
「とくに深海魚は全然分かってないの。
人類はまだ深い海の底には気軽に行けないからね」
「ふーん」
深海魚ね。
やたらグロテスクなイメージしかない。
解明されなくてもいいのでは?
「だから週末、捕まえに行こうよ。
新種見つけて有名になろう」
ウミがとんでもないことを言い出した。
「なんでだ。
深海に行けるわけないだろ。
さっき人類が気軽に行けないって言ったじゃん。
あと魚には興味ない」
そう言うと、ウミは『ええ』と意外そうな声を上げる。
「ロマンだよ」
「だからこそ興味が無い」
ロマンで腹は膨れぬ。
「じゃあ何に興味あるのさ」
「そうだね。同じ深海なら、海の底に沈んだ船のお宝に興味がある」
「それもロマンじゃん」
「売り払えば金になる」
「夢が無い」
ウミはがっかりしたようだったが、それが現実だ。
好きな人には悪いけど。
「そんなに魚好きだったっけ、あんた。
番組が面白かったの?」
「うん、それもあるんだけどさあ」
彼女にしては珍しく言葉を濁す。
「あー、言いにくいなら別に」
「大丈夫。言い方を考えてただけだから」
「そっか」
言い方考えるほどの事か……
恐いな、今から何聞かされるんだろう。
「えっとね。出てきた深海魚、おいしそうだなって思って」
「は?」
「焼き魚とか、刺身で食べられるのかなとか、
「は?」
予想以上だった。
普通、深海魚見て食べたいと思うか?
あたしは無い。
だってグロイから。
「話してたらお腹減ったな。
寿司食べるか」
「え?」
そう言って、ウミは教室の後ろのロッカーから、保冷ボックスを持ってくる。
あたしの前でボックスが開けられると、閉じ込められた冷気が頬を撫でる。
見れば寿司のパックとともに、保冷材がぎっしり入っている。
「昨日番組見てから、寿司が食べたくなっちゃって。
お昼に食べようと思ってもって来たの。
食べる?
たくさんあるから大丈夫だよ」
そう言って寿司のパックを差し出されたあたしは、無言でそれを受け取る。
ダイエットのため朝食を抜いた成長期の体は、目の前の寿司を食べたいと訴え、勝手に体が動き始める。
自分の意志に反し動く手を見つめながら、ウミのことについて考えていた。
彼女との付き合いは結構長く、ウミの事なら何でも知っていると思っていた。
でもそれは勘違いだったらしい。
ウミの底は計り知れない。
寿司を頬張りながら、そう思うのだった。
時計を見ると終業時間の10分前だった。
急ぎの仕事も無いから、今日も定時で帰れるな。
仕事道具の後片付けをしていると、後ろに誰かが立つ気配がした。
「来ちゃった」
そう言われて後ろから抱き着かれる。
振り向くといたのは、なんと家で待っているはずの妻だった。
「なんで、ここに」
「あなたに会いたくて……
あなたがいないと寂しくてだめなの」
「ゴメン。君にそんな思いをさせていたなんて……」
「いいのよ。今こうしてあなたと会えたんだもの」
「香織さん」
「健司さん」
僕は彼女を抱きしめるべく、両手を広げる。
彼女の目を見ながら抱きしめようとするが、寸でのところで腕が止まる。
「でも駄目だよ、香織さん。まだ仕事が終わってない」
それを聞いた彼女は悲しそうな顔をする。
自分の心がチクリと痛む。
「分かったわ、健司さん。
いつもの所で待ってるわね」
「ああ」
後ろ髪をひかれる思いで、彼女から目を離す。
自分だけ、楽をすることはできない。
その決意を胸に片づけを再開しようとすると、頬に柔らかい感触があった。
「お仕事をする姿、カッコよかったわ」
そう言って彼女は離れていった。
片づけをする手が止まり、彼女に視線が向く。
立ち去っていく後ろ姿に思わず見惚れてしまう。
彼女はいつだって綺麗だ。
と、ボーっとしている場合ではなかった。
就業まで五分を切ってしまった。
一秒でも残業するつもりはない。
残業した分だけ、彼女と離れる時間が長くなる。
○ △ □
「アレ、なんでみんな何も言わないんすか?」
「うん?ああ、お前今日初日だったな。教えてやるよ」
俺が聞くと、ベテランの厳さんは蓄えた髭をさすりながら遠い目をした。
「あの二人が結婚してから毎日アレでな。
まあ最初は新婚って言うことで多めに見ていたんだが、一か月たってもやめなかった。
結構キツイ言葉で言ったこともあるんだが、毎日懲りずにやってきてな。
それでも本人は責任感があってキチンと仕事をしてくれるから、それをヨシとしてみんな諦めたんだ」
「なるほど……」
俺は厳さんの言葉を聞いて、仕事を終えて抱き合っている二人を見る。
「あの、二人はお年を召されているようですが、結婚してから何年目すか?」
「あーもう三十年経つかな」
「三十年……」
俺は思わず言葉を繰り返す。
「だが悪い事ばかりじゃない。
二人のおかげで、ここの労働環境よくなったんだよ。
女性が来るなら職場は綺麗にしないといけないし、待ってもらうスペースも作ったんだ」
「それで休憩スペースが豪華なんすね。お菓子とかも」
「男女差別と言われそうだが、お客さんにずっと立ってもらうわけにはいかないからな。
あと残業なんかした日には圧がすごいぞ。
気が散って仕方ないから、みんなで帰った。
それ以来残業しないよう調整してる」
「へえー」
もう一度二人のほうを見ると、仲良く手を繋いで帰るところだった。
「はあ、あの年でも仲が良いってのはいいっすね」
「彼女いるのか?」
「いるけど、絶賛喧嘩中で別居中」
俺の答えに厳さんはガハハと笑い、俺の背中を叩く。
「じゃあ、二人を見習って仲直りすればいい」
「『見習って』って、どうするんすか?」
「そりゃ、彼女に会いに行くんだよ」
「何しに来たって言われるだけっすよ」
厳さんはニヤッと笑う。
「そん時は『君に会いたくて』って言えば仲直りさ」