「将来の『夢』を持ちなさい」
私はそう言われて育った子供である。
他にもたくさんそんな子供がいるだろう。
でも私はそう言われたことを恨んでいる。
なるほど夢を持つことはいい事だ。
『夢』は人生を豊かにする。
それは否定しない。
だけど『夢』が無いことは悪い事だと言い聞かせ、無理やり作らせた『夢』を『夢』と呼んでいいのだろうか?
私はその時に言わされた『夢』もどきを、本当の夢と勘違いし大人になった。
『夢』を追いかけて大学まで進学したというのに、ずっとなにか違うという思いに苛まされた。
卒業して、就職しても、ぬぐい切れぬ違和感。
それに気づいたのは30半ばを過ぎてから。
日本人の平均寿命は80~90歳くらい。
人生の三分の一を使って、やっと間違いに気づいたと言える。
ある意味人生を無駄にしたとも言える。
時間を返せと、切実に言いたい。
でも夢を見ていた間は確かに幸せであった。
『夢』さえ見てれば、他のものは見なくてよかったから。
辛いことがあっても、『夢』があれば気にならなかった。
でも今は『夢』を見ていないから、嫌なことが見えてくる。
世の中の不条理さとか、人生の不平等とか。
自分の本当の『夢』は何だったのだろう、とか。
だけど、よかったこともある。
『夢』とは関係ない趣味が出来た。
園芸とか、料理とか、筋トレとか。
あと、こういう風に小説を書き始めるなんて、小さい頃の自分は夢にも思うまい。
とりあえず、今は小説家になることが今の『夢』と言うことにしている。
勝手に設定した。
おかげで他のものを見なくて済むし、辛いことがあっても、「まいっか」ってなった。
幸せではないけど、充実してる気がする。
まあ、嫌なことがチョイチョイ目に入ってくるけど、前ほど辛くはない。
なんだかんだ文句を言っても、きっと自分はまだ夢を見ていたいのだ
P.S.
夢って打ち過ぎて、ちょっとゲシュタルト崩壊した。
夢っていう字が気持ち悪ってなりました。
本当に、ヤバい字だと思ってビックリした。
読んだ人が気持ち悪くなったらゴメンね
時間が立てば治ります。
ちなみに本当の夢は「やりがいのあるほどほどの仕事でたくさん金を稼いで良いもん食う」ですw
ただの願望だけどね
もう一度小さいころに戻れるなら夢は「任天堂に入る」です。
エリートしか入れないらしいので、勉強頑張ります。
この家には、若いころに買ったダイエット器具がたくさんある。
とは言っても買ったはいいが、数回使っただけで放置しているようなほぼ新品のものが大半であるが……。
だがその中でも今でも使っている健康器具がある。
ぶら下がり健康器だ。
”ぶら下がるだけでダイエット”という素敵なキャッチコピーに惹かれ購入した。
普通に考えればそんなわけないのに、若さゆえか何の疑問も持たず購入した。
もちろんこれも数回使っただけで、すぐに飽きてしまいすぐに使わなくなってしまった。
だから、これも他の健康器具と同じように倉庫の肥やしになるはずだった。
だがこのぶら下がり健康器具には、他にはない特性があった。
それは洗濯物干しとしての適性である。
洗濯物が干せる。
この事実がどれだけ私の心の支えになってくれたことか。
とくにこの寒い時期に外に出ずに、室内干しができるのは、もはや救世主といって過言ではない。
それだけじゃない。
この健康器具は背が高いので、大きなバスタオルも難なく干せる。
そう洗濯物干しとしての適性が高いのだ。
これはポイントが高い。
おそらく彼(?)は、世の中の人々を健康にさせるという重大な使命を持って生まれてきたはずなのだ。
私のもとに来た時も、その使命に胸を躍らせたことだろう。
だが残念ながら、私は挫折した。
今日もぶら下がり健康器に洗濯物を干す。
彼はまだ諦めてないらしく、いまだに『ダイエットをせよ』と訴えてくる。
だけど私はもう若くなく、ダイエットをしようと言う熱意はもうない。
大変申し訳ないが、このまま洗濯物干しとして、生を全《まっと》うしてほしい。
どれだけ乞われても、健康器具としては使わない。
多分、ずっとこのまま。
これからも優秀な洗濯物干しとして、私を支えて欲しいものである
学校からの帰り道。
いつもは付き合っている彼女と帰るのだが、今日は一人で帰っている。
今日、彼女と些細なことで喧嘩した。
一応謝ったけど、なんとなく気まずくて、そのまま出てきた。
強い風が吹いてきて、思わず体が震える。
二人なら気にならない寒さも、さみしい独り身では寒さが身に染みる。
付き合う前は、今年の冬がこんなに寒いとは気づかなかった。
寂しい。
そんな感情が頭を駆け巡る。
失ってから気づくと言うが、今の自分には痛いほど分かった。
明日彼女と仲直りしよう。
ちゃんとはっきり言葉にして。
そんなことを考えていると、突然後ろから抱きしめられる。
「コラ、なんで一人で帰るのさ」
喧嘩したことなど忘れたかのように、明るい声で話しかけてくる。
いや忘れてないからこそ、このノリか。
「ゴメン。忘れてた」
自分も乗っかって、喧嘩したことなど忘れたように軽く返す。
すると彼女は「ひどい」と連呼し始めた。
彼女が「ひどい」と言うたびに耳に彼女の息がかかってこそばゆい。
さてはわざとやっているな。
けどそれとは別に、息が荒い気がする。
もしかして……
「会いたくて走ってきたの?」
「違うよ。寒かったから体を暖めるために走ったの」
言い訳が下手なことだ。
「君も寒いんじゃない。
私はちょうど暖まってるから、熱を分けてあげよう。
私の優しさに感謝しなさい」
さっきより抱きしめる力が強くなる。
気のせいかもしれないけれど、彼女の熱が自分の体に伝わってくる。
「もういいだろ。離れろ」
「もう寒くない?」
「ああ、寒くない」
自分の言葉を聞くと、彼女は体を離して隣に立って、これ見よがしに手を出してくる。
「じゃあ、帰ろうか」
手を繋ぐと、彼女の暖かさが手から自分の身に染み込んできた。
帰り道はもう寒くなかった。
我が家には20年物がたくさんある。
私は今年で二十歳になるのだが、私が生まれた時に待望の子供ということで、親戚一同がいろいろ買ってきたのだ。
20年物のブルーベリーの木。
毎年実がなったものをお菓子にして食べている。
20年物の株券。
あまり値上がりしてないが、買った株の配当は私のお小遣いになった。
20年物のぬいぐるみ。
単に捨ててないだけだが、今ではプレミアでとんでもない値が……。
私が二十歳になるまで、一緒にいられなかったものもあるけど、どれも私の人生を豊かにしてくれた。
そして今日は私の誕生日。
目の前に20本のろうそくが立てられたバースデイケーキが鎮座していた。
こんな歳になると嬉しいやら恥ずかしいやら、複雑だ。
私は家族に見守られながら、ろうそくの火を吹き消す。
『誕生日おめでとう』と祝福され、みんなからプレゼントをもらう。
それを見た父は嬉しそうに20年物のワインを取り出す。
私が生まれた時に、一緒に飲むんだと言って買ったワイン。
私の誕生日が近づくにつれて、ワインを眺めながら『まだかな』と言い続ける父。
本人よりも誕生日を楽しみにしているとか、何だこいつと思わなくもないが、今日は許してやろう。
正直お酒にはずっと興味があったのだ。
そして20年物――ではないワイングラスを取り出し、ワインを注ぐ。
ワインの香りは初めてだが、とても良い香りがする。
ワインを興味深げに眺める私を見て、父は満足気にうなずいた。
「それでは一人前の君に乾杯」
お互いのグラスをカチンと鳴らして、口をつける。
初めて飲んだワインは、とても甘美で苦い大人の味がした。
人類が月に生活圏をつってから、今年でちょうど百年。
もはや月で生まれて、月で死ぬ人も珍しくない。
俺も月で生まれて、月から出たことが無い人間の一人である。
月では基本的に何でもそろうので出る必要が無いのだ。
食う寝るところ、住むところ。
それでもって娯楽もある。
何一つ不足するものなんてない。
だから俺も、月から出ないまま死ぬんだろうなと思っていた。
だが何の因果か、100周年のこの年に、俺は出張で地球に行くことになった。
常々死ぬまで月から出ないと吹聴していただけに、同僚からからかわれた。
それはいい。
自分の行いのツケを払っただけだ。
困ったのは地球のことを知らないこと。
月と同じように過ごせるとは聞いたことがあるが、細かい違いを何も分からない。
そこで、地球に行ったことのある同僚を捕まえて色々聞きだした。
そいつも当然、俺をからかってきたが、知りたいことは教えてくれた。
地球行のシャトルの手続き、お勧めの料理店、重力は覚悟しろ、などなど。
だがその同僚は最後に妙なことを言った。
地球に行くと価値観が変わるぞ、と。
それを聞いて俺は笑ってやった。
そりゃそうだろ、初めて地球に行くんだぞ、と。
そして数日後、俺はシャトルから降りて、地球の大地に立っていた。
たしかに重力はキツイ。
ウンザリするほどキツイ。
だけど価値観が変わるほどじゃない。
あいつも適当なことを言ったな、と思って空を見上げる。
特に理由はない。
自分の生まれた場所を見て、安心したかったのかもしれない。
その時、俺は確かに価値観が変わったことを自覚した。
地球から見た月というのは、写真で見たことがある。
でもここから見る月は全然違った。
地球に来てよかったと、そう思えるほどに……。
たくさんの星に囲まれて黄色く輝く三日月は、写真で見るよりも何倍も幻想的だった。