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 人類が月に生活圏をつってから、今年でちょうど百年。
 もはや月で生まれて、月で死ぬ人も珍しくない。

 俺も月で生まれて、月から出たことが無い人間の一人である。
 月では基本的に何でもそろうので出る必要が無いのだ。

 食う寝るところ、住むところ。
 それでもって娯楽もある。
 何一つ不足するものなんてない。
 だから俺も、月から出ないまま死ぬんだろうなと思っていた。

 だが何の因果か、100周年のこの年に、俺は出張で地球に行くことになった。
 常々死ぬまで月から出ないと吹聴していただけに、同僚からからかわれた。
 それはいい。
 自分の行いのツケを払っただけだ。

 困ったのは地球のことを知らないこと。
 月と同じように過ごせるとは聞いたことがあるが、細かい違いを何も分からない。
 そこで、地球に行ったことのある同僚を捕まえて色々聞きだした。
 そいつも当然、俺をからかってきたが、知りたいことは教えてくれた。
 地球行のシャトルの手続き、お勧めの料理店、重力は覚悟しろ、などなど。

 だがその同僚は最後に妙なことを言った。
 地球に行くと価値観が変わるぞ、と。
 それを聞いて俺は笑ってやった。
 そりゃそうだろ、初めて地球に行くんだぞ、と。


 そして数日後、俺はシャトルから降りて、地球の大地に立っていた。
 たしかに重力はキツイ。
 ウンザリするほどキツイ。
 だけど価値観が変わるほどじゃない。

 あいつも適当なことを言ったな、と思って空を見上げる。
 特に理由はない。
 自分の生まれた場所を見て、安心したかったのかもしれない。

 その時、俺は確かに価値観が変わったことを自覚した。
 地球から見た月というのは、写真で見たことがある。
 でもここから見る月は全然違った。
 地球に来てよかったと、そう思えるほどに……。

 たくさんの星に囲まれて黄色く輝く三日月は、写真で見るよりも何倍も幻想的だった。
 

1/10/2024, 9:57:27 AM