「良いお年を」
女神は涙声でそう言いながら去っていった。
2日ぶりに帰ってきたこの部屋に安心感を覚える
2日前女神は突然現れ、世界を救ってくれと、勝手に異世界転移をさせられた。
夢にまで見た異世界を満喫したかったが、年末にはやるべきことが多く、早めに帰らなければいけない。
私は事態を早めに解決すべく行動した。
女神からもらったチートを活用しことごとく悪を滅ぼした。
その獅子奮迅の活躍に女神も涙するほどだ。
デキる男は、どうしても女を泣かせてしまうものらしい。
しらんけど。
まあ、そんなことはどうでもいい。
余韻に浸っている場合ではない。
年末と言うことで、たくさんの予定が詰まっているからだ。
見てないアニメ、積んでるゲーム、書きかけの小説。
やることがいっぱいだ。
世界を救ったばかりだから、滅ぼす系のゲームするか。
テレビをつけると、除夜の鐘を鳴らす様子が流れている。
もう2023年は終わるらしい。
忙しい年末だったが、それももうすぐ終わる。
そうだ、映画館の予約もせねば!
私は年始も忙しいのだ。
スマホで作業している間に番組が進行し、アナウンサーが番組の最後を締めくくる
「2023年はどんな一年でしたか?
もうすぐ今年も終わりです。
それではみなさん、良いお年を」
この2023年で一番印象に残っていることは、小説を書き始めたこと。
そして、それが自分にとっての2023年でもある。
9月くらいだったか、短編を毎日書き始めた。
小説を本格的に書きたいと思い、始めの一歩ということで短編から始めた。
なんとなく小説家になりたいという漠然とした夢に対して、この瞬間はっきりと行動に移したのだ。
最初は我ながらひどい出来栄えだと思う。
けど、最近はなかなかいい感じにかけているのではと思う。
手前味噌だけど。
仕事は楽しくない、人づきあいは嫌という、ネガティブな感情から始めたものだが、やってみると結構楽しい。
みんなが創作活動に夢中になるはずだ、と勝手に納得したものだった。
小説を書いていると、とても充実しているのを感じる。
なるほど、夢をみることは大切だ。
夢と言えば、最近たくさんあるうちの夢の一つが叶ったな。
異世界に行くこと。
転生ではなく、転移だけど似たようなもの、っていったら怒られるか。
地味なチートだけど、もらったのでそこそこ嬉しい。
だけど年末年始はオタ活で忙しいし、小説も書きたいので、早く帰らなければいけない。
だからチートを駆使して、とっとと世界を救って……あれ?
なんで私は走馬灯みたいに今年を振り返っているのだろうか?
私はさっきまで何をしていた?
少しずつ頭が冴えてくる。
思い出した。
私はこの異世界に来てから世界を巡り、世界を脅かす悪と対峙していたのだ。
それら順番にチートで滅ぼたが、最後のボスにチートの対策を取られ、敗北したのだった。
目を開けると、見慣れた光景が目に入る。
ヒイキにしている宿屋の部屋だ。
横を見ると仲間が心配してこちらを見ていた。
「気分はどうだ?」
「最悪だよ」
仲間の気遣いに、素っ気なく答える。
「少し休むか?」
「大丈夫だ。チートですぐ回復できる」
「体はな……。心の方は回復しないだろう」
「安心しろ。あのラスボスが生意気にかけていた眼鏡を粉々にしてやりたくて、ウズウズしてるよ」
「なら大丈夫だな」
「ああ、あと対策も思いついた。
準備が出来たらすぐ行くぞ。
次は負けない」
私には元の世界に戻る理由がある。
早く戻って、人生を満喫する。
それが自分の中の最も大切な夢だ。
それを叶えるために、過去を振り返っている暇など私には無いのだ。
俺は今、異世界にいた。
突然女神により、異世界に転移させられたのだ。
曰く、チートあげるから世界救ってくれ。
迷惑どころの話ではない。
私は忙しいのだ。
とっとと世界を救って元の世界に帰る。
そして女神にお灸をすえる。
ただ問題なのは、もらったチートがミカンがたくさん出せるというものだ。
特にリスクもなく、無制限で、食べれば完全回復するミカンを出せるようになった。
だから何なんだ、と思わなくもない。
なぜそれがミカンでないといけないのかとも。
だが、ある利用方法を思いついた。
このアイディアなら、世界を救うのもすぐに終わるだろう。
しかし、倒すべき悪の存在の場所が分からない。
見渡す限り地平線だけ。
目を凝らすと、煙のようなものが見えた。
人がいるかもしれない。
とりあえず情報収集といこう。
しばらく歩いていると、物陰から男が現れた。
「金目のものを出しな。
そうせうれば命だけ―げええええええ」
盗賊は悲鳴を上げる。
よかった、これは効くみたいだ。
私が盗賊にやったこと。
それは出したミカンの汁で目つぶしである。
非人道的だという人もいるかもしれない。
失明するだろうと。
だが、このミカンを摂取したものは完全回復するのだ。
失明してもすぐに回復するから問題ない。
つまり沁みるだけ。
優しいね。
「沁みるか?やめてほしければ、言うことを聞け」
「誰がそんなことうわあああ、沁みるううううう。
すみませんでした。いうこと聞きますぅ」
「いいだろう。では街に案内しろ」
「喜んで!」
こうして私は下僕を一人手に入れた。
幸先がいい。
これなら世界を救うのも早いかもしれない。
そして女神に目つぶしをくらわす。
奴は私に許しを請うだろう。
その時が楽しみだ。
ビクビクする盗賊を横目に、私はミカンを食べながら高笑いをするのだった。
社会人の冬休みは忙しい。
12月の30日、31日と正月三が日の、計五日間。
短いとはいえ、休みは休みだ。
その五日間で普段できないことをしなければいけない。
社会人ともなれば仕事に時間を取られ、体力も取られる。
はっきり言って、趣味の時間は格段に減った。
だが、仕事ごときが私の趣味への情熱の炎を止められると思わないことだ。
今でも私は趣味に燃えている。
私はいわゆるオタクである。
休みの日はアニメかゲームをしている。
冬休みも見れてないアニメをまとめて見たり、積んでいるゲームをやる予定だ。
いや、予定だった。
休みを明日に控えた夕方、遊び倒す準備をしていると、突然女神が現れた。
「私はある世界の女神をしています。
異世界というものが好きだと伺いました。
いまから私の世界に転移させるので、世界を救ってください。
安心してください。
チートをあげるので、あなたの五日間の休みが終わるぐらいで救うことが出来るでしょう」
気が付くと、見慣れない光景が広がっていた。
先ほどの女神の言うことは、どうやら本当のようだ。
『世界を救ってください』。
女神の言葉を思い出し、あることを決意する。
とりあえず、女神ぶっとばす。
何が異世界だ。
何が休みが終わるくらいだ。
こっちは忙しいっての。
とっと終わらせて、迎えに来る女神に一発ドついて、ケジメをつけてもらう。
そしてそこから趣味の時間だ。
社会人の冬休みは忙しいのだ。
昔、国語の教科書に載っていた、狐が手袋を買いに行く話が好きだった。
小学生の時に読んだと思うが、今の小学生はその話を習うのだろうか?
子供のいない私には確認しようがない。
あの話は今でも覚えている。
小学生の頃のことはほとんど覚えていないのに、この話だけははっきり覚えている。
自分のことながら他人事のように言うが、何度も読んだのだろう。
なぜ突然このことを思い出したのかというと、目の前に子狐が現れたからだ。
きれいな毛並みで、とても野良とは思えない。
その大きな目で何かを訴えてくるように、こちらを見つめてくる。
食べ物が欲しいのだろうか?
欲しがっても食べ物を持ってないからあげられないし、あげてちゃ駄目なんだけど……。
何も持っていないという意思表示で、両手をあげて手のひらを狐に見せる。
鹿せんべいを持っていないときの、鹿へのアピール方法だ。
だが伝わらなかったのか、子狐は動こうとしない。
どうしよう。
お互いじっと見つめ合っていたが、何かに気づいたのか子狐はこちらに近づいてきた。
動揺して固まっていると、狐が何かを咥えてことに気づいた。
さっきまで何も咥えてなかったはずだが、不思議である。
そして子狐は私の足元に、ポトンと咥えた物を落とす。
くれるのか?
しゃがんで落とした物を手に取ると、それは手ぶくろだった。
さっき私が手を見せた行為を、手ぶくろが欲しいと勘違いしたのだろうか。
それにしても、なんで手ぶくろを持っているんだ。
いろいろ考えていると首元がふっと寒くなる。
視線を上げると、遠くで子狐が私のマフラーを咥えているのが見えた。
やられた。
私は狐を追いかけようとしたが、すぐに物陰に入り姿が見えなくなる。
どうやらマフラーは諦めなければならないようだ。
なるほど、狐たちも寒いからマフラーが欲しかったということか。
気持ちは分かるが今度は私が寒いのだけど……。
狐にもらった手ぶくろをみる。
しかし、明らかに小さく私が使えるようなものではなかった。
子供用かな。
しかしどこかで見覚えがある手ぶくろだ。
と思っていると、あることに気づく。
これは童話に出てくる狐の手ぶくろだ。
見覚えがあるはずである。
もしかして狐の手ぶくろを作る人がいるのだろうか。
そんな事を考えて、ちょっとほっこりしながら家に帰った。
その帰り道は、なぜか少しも寒くなかった。
狐につままれるような話でした。