昼食を食べた後の、昼1時からの授業。
私は猛烈な睡魔に襲われていた。
ぽかぽか暖かい気温、古文の朗読という心地良いBGM。
午前中の体育も効いている。
眠りたいという誘惑に負けそうになる。
授業も頭に入らない
そうだ。眠いのなら、いっそ寝てしまえばいい。
しかし寝る前の準備がいる
準備が全てを決めるって誰かが言ってた。
最初に気づかれないように机の上を片付ける。
物があると邪魔な上、落として音を立てる可能性があるからだ
そのまま寝ると丸見えなので、教科書を立てて、目隠しにする。
そして満を持してマイまくらも取り出す。
完璧な寝床だ
では夢の世界へ出発
パアアンという音と供に、頭に衝撃が走る。
「こら寝るな、授業中だぞ」
顔をあげると古文の教師の顔があった。
よくも私の眠りを妨げたな
永遠の眠りにつかせてやろうか
「次は、永遠駅(とわ)、永遠駅」
電車のアナウンスで隣りにいる夫と目を合わす。
今日は夫と二人で息子夫婦と孫に会いに来たのだ。
電車に緩やかに速度を落とし停車する。
ドアが開いたので降りようとすると、先に降りた夫が手を差し出す。
私は夫の手を借りながら電車を降りる。
夫は前にもここで転んだ事を覚えていたらしい。
そう、私たちがここに来るのは2回目である
永遠という地名には由来がある。
ここは地形の関係でいつも風が吹いているのだそうだ。
本当に“いつも”なのかは知らないが、私が前に来た時はずっと吹いてたし、今も穏やかに吹いている。
この地名が縁起が良いということで、よく観光客がやって写真をったりと、ちょっとした観光名所だった。
さらに何かシンボルを、ということで小さな鐘が設置された。
これが大当たりし、カップルや新婚がやって来ては鐘を鳴らして愛を誓い合うがブームになったのをよく覚えている。
もちろん私も結婚したばかりの時、夫と一緒に鐘を鳴らし、愛を誓った。
しかし、それは昔の話。
そんな鐘も誰も鳴らすものはいない
流行り物だったのもあるのだろうが、みんな永遠なんてないって分かったのだろう。
私たちもそうだ。
お互い愛するものは一人だけと誓ったというのに、愛するものが増えてしまった。
息子夫婦と孫の3人、愛すべき家族。
誓いは破ったが、悪くない気分である。
気づけば夫と一緒に鐘をぼんやり眺めていた。
同じことを考えていたかもしれない。
しばらく眺めていると、視界の隅にこちらに来る人の姿が見えた。
息子夫婦だ
「おじいちゃん、おばあちゃん、こんにちは」
息子に抱かれた孫が元気に挨拶してくる。
たしか五歳になるはずだ。
孫は私達の後ろにある鐘に気づいたようで、じっと見ていた
「それ、ボクもならす」
息子に催促して、鐘の前に移動する。
小さな手で鐘から伸びる紐を引っ張って、鐘を鳴らすと鐘の声が辺りに響いた
その音に満足したのか大きく頷いたあと、手を合わせ始めた。
「おじいちゃんとおばあちゃんがずっと元気でいますように」
「なんか思ってたのと違うな」
俺は友人と一緒に渋谷にやってきた
ハロウィンにかこつけて、日本中の妖怪が集まり、百鬼夜行すると聞いた。
妖怪の妖怪による妖怪だけの世界の顕現。
数時間とはいえ、それはまさに理想郷である
参加すれば酒の席の話になる。
そう思ったのだが、どうも様子が変である。
ここで毎年コスプレイベントをやっていると聞いたのだが、コスプレをしている人間を見ないのだ。
それどころか、警察や陰陽師共が巡回している始末だ。
なぜこんなことに。
本当なら、俺たちは今頃楽しくやっているはずなのに。
電話している友人を見る。
百鬼夜行のこともこいつから聞いて、今知り合いから事情を聞いている。
友人が電話を終えてこっちを見る
「去年、若い奴らが大暴れしただろ。それで、もともと非公式なのもあって、今年は徹底的に潰す事になったらしいぞ」
「これだから人間は」
「若い妖怪も暴れたそうだ」
「‥これだから若いやつは」
俺はため息をつく。
「百鬼夜行のことは?」
「ぬらりひょんの大将も、なんか気が乗らないと言ったらしい」
ぬらりひょんの爺さんの事を思い出す。
あの人、意外と馬鹿騒ぎ好きだもんな。
「こんなことなら池袋でやれば良かったのに‥」
思わず愚痴をこぼす。
「池袋のハロウィンは終わってから気づいたらしい。ニュースになるのは、渋谷ばっかりで池袋とか他のところとかやらないもんな」
「そういえば、俺も最近知ったな」
「じゃあ行くか」
友人が歩き出す。
「どこにだよ」
「そりゃ決まってる。飲みに行く」
あたりを見渡しても開いている居酒屋はない。
「開いている店ないぞ」
「さっき聞いたから大丈夫。オレたちみたいに何も知らないで来た奴らがやけ酒してるってさ」
思わず苦笑する。
「あー、そりゃうまい酒が飲めそうだな」
「間違いない」
二人で笑う。
しばらく歩き、路地の奥に入ったところに、その店はあった。
店に入ると、奥の方に何人か顔見知りが見えた。
すでに出来上がっているようで、隣に行くまで俺たちに気づかなかった。
「よく来た。理想郷へようこそ」
俺たちに気づいた一人が、歓迎の意を表す。
間違いない。
俺たち酒飲みにとって、酒が飲めればどこでも理想郷だ
我はかつて人間どもに恐怖をもたらした大妖怪である。
しかし人間どもに遅れを取り、封印されてしまい、名も奪われた。
しかし、長い時間を経ては強力な封印も綻ぶもの
その綻びを突き封印を破ったのだ
四百年ぶりに肌に触れる空気に、懐かしさを覚える
我を封印した罪を贖ってもらうとしよう
だが力はまだ完全には取り戻せてない
まずは情報収集だ
人里に降りねばなるまい
街に出ると、見知らぬ建物がたくさん建っており、かなりの時間が経っているのが嫌でもわかった。
人通りが多いことに驚くが、色々な見たこともない飾りつけがしてある様子を見るに、祭りのようである
少し歩いてみると、違和感に気づく。
妙なことに人間は見当たらず、妖怪ばかり歩いている
見たことない妖怪もいるが、恐らく外国の奴らなのであろう
しばらく歩いても人間の気配が感じられない
恐らく人間は絶滅したのだ
何故かさみしくなった。
人間どもは、はっきり言って嫌いである。
しかしこの虚しさはなんだ。
もしかしたら、我は人間と戰う時間が好きだったのだろうか。
技と技を競い合い、お互いの優劣を決める
そんな時間は来ないのだ。
まさか、あの頃を懐かしく思う日が来ようとは。
懐かしく思うことは無しにしよう
気持ちを新たに切り替え、情報収集に努める
考えるのはそれからだ。
まずはこの祭、何という祭りなのか
近くにいた、特徴的な角の鬼に話しかける。
すると鬼は不思議そうに答えた。
「知らないなんて珍しいですね。ハロウィンっていうイベントですよ。人間がお化けとかに変装して楽しむんです。ほら、この角取れるでしょ」
『よう、オレ。元気か?』
ラインで写真と一緒にメッセージを受信する。
写真はコスプレした家族写真である。
「いいなぁ。僕も池袋のハロウィン行きたかったよ。ボクよ、呪われてしまえ」
俺は、恨みがましくメッセージが返す。
『仕事って言ってたな。頼られる男は大変だな』
相手の返信にちょっとイラッとする。
僕のことを“オレ”と呼び、僕は向こうを“ボク”と呼ぶ。
変な関係だが仕方がない
だって彼は僕の“ドッペルゲンガー”だから。
出会ったのは大学生、卒業旅行の時。
何の前ぶりもなく、ばったり出会った。
これはもう死ぬと直感で感じ、お互い猛ダッシュで逃げた。
そうお互いに。
あちらもヤバいと思ったとあとから聞いた。
向こうも僕のことをドッペルゲンガーと思ったそうだ。
お互い死にたくないので、友人を介し連絡先を交換し、連絡を取り合って出会わないように調整している。
それ以外にも、色々話し合った。
姿以外にも趣味やクセ、好きなアニメは全部同じだった。
違うところもある
もう一人のボクは売れない作家で、僕は会社勤めのサラリーマン。
僕も作家になりたかったが、才能の限界を感じ大学生の時筆を折った。
その選択に後悔はない。
でも彼の方はあきらめずに頑張っているらしい。
つまり彼は、もしあの時違う選択をしていたら、というIFの自分である。
なので身の上を話し合ってると、僕にあったかもしれないもう一つの物語を聞いているような、奇妙な感覚になる。
『オレよ。仕事ばっかしないで家族サービスしろよ』
「分かってる。ボクも遊んでないで仕事頑張れ」
『うるさい。今この瞬間が大事なんだよ』
というメッセージを送ったっきり、反応しなくなった。
いつものやり取りである。
ふと仕事机の上に立ててある写真をみる。
僕が写った家族写真だ
この写真を見るたびに、人生は面白いものだと感じる。
実は、もう一人のボクと同じことが一つある。
それは家族である。
どういう理屈か知らないが、“僕”の妻と子は、“ボク”の妻と子と、ドッペルゲンガーの関係にあるらしい。
あまりに似ているので、会わせてみたら案の定である。
あの時はお互い大笑いし、お互い説教食らった。
やり過ぎと言われれば、たしかにそうだ。
だけどホッとしたこともある
だってそうだろう。
僕と妻と子の間には、彼女たちに出会わないという、もう一つの物語なんて存在しないんだから。