フィロ

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9/29/2024, 1:09:36 AM

「思い起こすと、あれがあの人との最後になってしまった…」 
ということが、人生には時として起こる
特に最近の世の中では
朝の「いってらっしゃい!」
が、最期の言葉になってしまうこともある

もちろん、毎回「これが最後かも…」と思いながら過ごしていくのは簡単なことではないけれど、
そういう心づもりが必要な時代に生きていることは確かだ


久しぶりに会う友人との別れ際や、
帰省時の両親との挨拶や、
その後久しく会わないだろう人との別れ際には、しっかりと心を込めて
「また会おうね」を伝えたいとあらためて思う

もちろん、夫や妻を送り出す時の「いってらっしゃい!」も笑顔で、
喧嘩中でもその時ばかりは一時休戦して、心を込めて送り出すという『別れ際』を心掛けたいと思う




『別れ際に』

9/27/2024, 11:01:50 PM

「あ〜、この匂い落ち着く〜」
と、詩織は本屋に来る度同じ事を思いながら、鼻からいっぱいにその独特な匂いを吸い込む

いつも立ち寄りたいと思いながら、一度足を踏み入れると時間が経つのも忘れて読み耽ってしまうから、仕事中は本屋の前は足早に通り過ぎることにしていた


その日はたまたま詩織イチオシの本屋の近くで営業の仕事があり、終了後は直帰の許可を貰っていたので、時間を気にせずその至福の時を味わえるのだ

本屋は突然降り出した通り雨を凌ごうと、入り口には雨宿り目的の人があちこちこから集まって来ていた


「あ!あった、あった! ようやく見つけた!」
以前からずっと読んでみたいと思っていたその文庫本は、何軒か回った本屋では見つけることが出来ず半ば諦めていた
電子版で読めば良いのだが、詩織はお気に入りの本は「紙」で読む派なのだ

深呼吸をして、その本に手を伸ばした瞬間、その本が詩織の頭の上から伸びてきた手に引き抜かれて行った

(ちょっと、ちょっと 何!?)
と慌てて振り向くと、そこには彫りの深い美しい顔をした青年が立っていた

「あ!ごめんなさい! 僕ずっとこの本を探してて、ようやく見つけたから思わず取っちゃいました」
と、その青年は詩織にその本を差し出した
「そうなんですよね、私もようやく見つけて小躍りしそうでした」
と、出来る限りの笑顔で詩織は答えた

もし、憮然としたオッサンだったらすかさず突っかかっていたはずだ

「どうぞ、どうぞ 残念だけど、ここにあることが分かったからまた来ますから それとも、ジャンケンでもします?」
と爽やかな笑顔で譲ってくれると言いながら、ジャンケンと言い出すその青年の茶目っ気に詩織は心が躍った

「いえいえ、どうぞ 私は他にも読んでみたい本もあるし」
と、詩織は本の行き先よりその青年との会話をもう少し楽しみたい気持ちの方が強くなっていた

「でもそれじゃあ、ずっと譲ってもらったことが気になっちゃって本に集中出来なくなりそうだし…」
と苦笑いする青年にすかさず
「それも折り込み済みです」
とイタズラっぽい笑顔を返した


そろそろ雨が上がりそうだ、と言う声があちこちから聞こえ、静寂の本屋にザワザワとした空気が流れる

詩織が外の様子を見て戻ってくると、さっきの本が抜かれたところに紙切れが挟まっていた
ノートの切れ端のようなその紙切れには
「ありがとう!」
と一言書かれていた

(へぇ、なかなか粋なことをやるじゃない)
と詩織はその紙切れを丁寧に畳んで手帳に挟んだ


通り雨のような、一瞬の恋だった




『通り雨』

9/25/2024, 11:35:51 PM

我が家のキッチの大きな窓からは、お隣の庭の季節の移ろいを借景で楽しむことが出来る
季節ごとに変わる色彩や風景は、これ以上写実的には描けない本物の命たちの息遣いを感じられる最高の美術館だ


春には目に鮮やかな緑が際立ち、そこへ集う鳥たちの賑やかなおしゃべりはマチスのコラージュを連想させる

夏には少し生い茂った緑が、その下に懸命に生きようと咲き誇る鮮紅色の花たちを労るように時として影となりその成長を見守っている
夏の遠慮の無い眩しい光を浴びた緑や花たちはまるで、カシニョールの午後の窓に寛ぐ女たちを連想させる

雨の季節には、その激しい雨がまるで定規で引いたような直線を描きながら落ちてくる様は、さながら広重の雨の中を逃げ惑う町民たちがその窓に重なる

秋の柿の葉たちが色付き出す頃には、夏の暑さを避けて現れなかった鳥たちも再び集いはじめ、実りの時期が近いことを嬉しそうに噂しあっている
美しい裸体に絡まる枯れ葉や秋の恵みを連想してミュシャの世界をそこに投影する

冬には窓を開けるまで気づかなかった夜のうちに音もなく降り積もった雪の降りなす銀世界に、感嘆の声をあげつつ、そこはまるで玉堂の水墨画の世界へと一変する


私にとってのこのキッチンの窓は、私だけのための贅沢な美術館である


今朝もまた昨日とは少し違う画を見せてくれている
柿の実の色付きが待ち遠しい





『窓から見える景色』

9/24/2024, 10:30:45 PM

「嬉しい」「楽しい」「幸福感」といったプラスの感情より、
「不安」「悲しみ」「後悔」「嫉妬」や「憎しみ」といったマイナスの感情の方が人の心を捕らえてなかなか離さないものらしい

特に「憎しみ」は、生涯に渡ってその人の人生に纏わりつくこともある

けれど、このどれもが実体の無い、形の無いもので、それはその人自身の心が作り出すものなのだ


もちろん、高価な金品や見目麗しい容姿といった実体のあるのもに心を奪われることもあるけれど、
形の無いものにまるで支配されるように感情を揺さぶられたり、極端な行動に出たり、結果として人生を誤ることがあるなんて何と愚かなこととも思ってしまう

人間とはそんな愚かな生き物なのだ


願わくば、これらの形の無いものに捕らわれることなく軽やかに生きていきたいものだ




『形の無いもの』


9/24/2024, 3:02:12 AM

子供の頃、近所の公園のジャングルジムのてっぺんへ登ることは、どこかステイタスを感じることだった

自分より年上の子たちが当たり前のようにサッサと上に登り、実に気持ち良さげな顔で持って上がった紙ヒコーキを飛ばしたり、ピーピーと音の鳴るラムネをそこで食べたりしていた

同じ歳の子が次々と登る中でも、臆病な私はなかなか挑戦する気持ちさえ準備しきれずに、ただただ羨望をそのてっぺんに向けていた

「早く登って来ればいいのに」
という視線が、皆が見ている…と余計に私を躊躇させた


ある日、ようやく決心しててっぺんへ上がる事が出来た日、とても大人になった気分がしたことを良く覚えている
「こんな景色だったんだぁ…
こんなに高かったんだぁ…」
と達成感でいっぱいな気持ちでそこで感じた風は特別心地が良かった

あれだけ怖かった気持ちは、登ることに精一杯ですっかりどこかへ行ってしまっていたが、てっぺんの心地よさをゆっくり味わい、いざ降りようとした時、降りるための勇気を使い果たしてしまったことに気が付いた

どうやって降りて良いか分からない
下を見下ろすと改めてその高さを実感した
「ここにまず足を置きな」
と、友達が教えてくれる
ジャングルジムのバーにしがみつくように腕を絡めながら、足を降ろしていく
「目を瞑っちゃダメだよ」
と友達が叫ぶように下から声を掛けてくれた

登るより降りる方が数倍怖いことを、その時初めて知った
さっきまでの心地よい風は、ただ恐怖心を煽る冷たい風に感じられた


そんな記憶が鮮明に思い出される


あの時も臆病だったけれど、大人になって益々臆病になった
経験が増えた分、何かをやる前に起こるだろう数々のことが脳裏を過る
だから益々臆病になるのだ

子供の頃、何かを成し遂げた先のことまで想像出来なかったから挑戦出来たように、
もう少し心が無防備であれば、今からでも何かに挑戦出来るだろうか…


ジャングルジムに挑戦した勇気

とても良いことを思い出した




『ジャングルジム』

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