「じゃあ、また明日!」
と、いつもの人懐こい笑顔とよく通る声で先輩は僕に言って横断歩道を渡って行った
仕事終わりに一緒に軽い夕食を済ませ、少し飲んで行かないか?という先輩の誘いを
「明日のプレゼンに備えたいんで…」
と申し訳ない気持ちで断った
他の人の誘いなら、断れて良かった…とホッとするところだが、この先輩からの誘いはいつも心待にしている
たぶんこれは、僕だけでなく他の皆も同じ気持ちでいるはずだ
もう少しこの人と一緒にいたい、話をしていたい、そう思わせる不思議な魅力のある人なのだ
家に着き、玄関に入るや否や携帯が鳴った
知らない番号からだった
「えっ!!」
その会話の途中から、体中が震えはじめ、立っていることが出来なくなった
頭の奥でキーンという金属音がなり響き、電話の主の声さえ遠くで聞こえている
電話は警察からだった
さっき別れたばかりの先輩が、事故に遭い、病院に運ばれている、意識の無い状態だ…
こちらのあまりの狼狽ぶりに、何度も何度も同じことを繰り返し伝えてくれていた
先輩の携帯の最後の通話相手が僕だったため、僕に連絡が来たということだった
とにかく、病院へ行かなければ…
「じゃあ、また明日」
先輩のあの明るい声が頭の中で繰り返し、繰り返し、響く
あの時誘いを断らず飲みに行ってさえいれば…!
「じゃあ、また明日」
「じゃあ、また明日」
「じゃあ、また明日」
『また、明日』
「夏休みの課題の『自由な表現』を集めるぞ」
「おい、小林 お前のこの絵は何だ?
ふざけてるのか?ちゃんと描いてから提出しろ!」
「先生は、アートは自由だ、って言ってましたよね?
だから、これは僕の自由な表現です
タイトルは『透明な絵の具で画く夏』ですよ」
「………」
『透明』
30年前のある日、当時交際していたなかなか本音を言わない彼に、思いきって聞いた
「理想の女性って、どんなタイプ?」
「君だよ」
その彼が、今目の前でゴルフ中継を観ながらコーヒーを啜っている夫
貴方の目に狂いは無かったかしら…?
『理想のあなた』
短い間に私はいくつもの「突然の別れ」を経験した
そのどれもが「永遠の別れ」だ
当然まだまだ生々し過ぎて、今回のお題は書くつもりは無かった
悲しみに向き合うことはまだ出来そうに無いが、ただ、心の状態を淡々と記しておいても良いかも知れないと思っている
喜びの感情は始めこそ大きいけれど次から次に経験すると、次第にその感覚に慣れてしまい、その感動は薄れてくるものだ
ところが、悲しみは例えそれが次から次に押し寄せたとしても、そのどれもがそれぞれの悲しみの大きさのまま覆い被さってくる
慣れるどころか、何倍にも膨れ上がる感覚がある
それは一度ヒビの入った茶碗が脆くなるように、一度大きな悲しみを経験してしまうと次の悲しみを更に大きく吸収してしまうような感覚が私の中では起きている
悲しみに耐性はつかない…
そう実感している
時がいずれ癒してくれる
その言葉にすがりつつ、この悲しみの本当の大きさに向き合わなくはならない恐怖を今こうして紛らわそうとしている
『突然の別れ』
僕は最近、睡眠にトラブルを抱えている
元々メンタルが弱めで、日中の様々なことを引きずってしまい睡眠に支障をきたしているようなのだ
そこで、『快眠を促す』と謳うアプリを使い始めた
まだ劇的な改善はな無いものの、アプリを使っているという安心感からか、悪くない気がする
すると、更にオプションが追加された
まだ試作段階だが興味があれば試せる『真夜中の秘策』と何とも怪しげなプランがあるという
なんでも、そのオプションの内容は、「真夜中の0時になると前の日の嫌なイメージや気分がリセット」されるという画期的なものらしい
真夜中の0時というのが何とも胡散臭いし、
脳に何らかのダメージは無いのか?と不安にも思ったが、良い睡眠を得られないことの方がダメージだとの説明に深く納得し、早速試すことにした
「記憶が飛ぶわけじゃないもんな
気分が爽快になるなら最高じゃん!」とすでにウキウキした気分になり始めていた
ちょうど昨日、彼女と派手な喧嘩をやらかしたところだった
最後にはカンカンに怒った彼女の口から
「もう無理!もうこの先は無いから!」
と捨て台詞が飛び出し、僕はただ呆然と、彼女の後を追うことなくその後ろ姿を見送ってしまった
すぐに追いかけなかったこと、なじられるのが嫌で謝りの電話もメールも入れなかったこと、考えれば考えるほど自分の情けなさが頭の中を占領し、その重さで項垂れた頭があがらなくなる程だった
だからその思いをスッキリさせて、改めて彼女に謝りたかった
いつものアプリにそのオプションを追加して、後は明日の目覚めを待つだけだ
いつもよりしっかり眠れた実感がある
確かに気分爽快だ!
昨日の喧嘩の記憶もしっかりある
それなのに、情けなさどころか自信に満ちている
朝日に向かって
「俺は最強だ~!」
と叫びたい気分だ
「凄いな、このオプション! もう充分使えるじゃんか!効果てきめんだよ」
と何とも清々しい気分で顔を洗おうとした瞬間、携帯が鳴った
彼女からだった
「……… 昨日は、ごめんなさい…私…」
と言いかけた彼女の言葉を遮って僕は話し始めた
昨日の謝罪と彼女への思いを、この溢れ出る爽快な気持ちの勢いを借りて真っ先に伝えたかったのだ
「ぜ~んぜん、ドンマイ!まったく気にしてないし、昨日の夜なんかいつもよりバッチリ眠ったし、お蔭で気分は爽快よ!」
と、言うはずだった大事な言葉をすっ飛ばして、あろう事かこんな能天気テンションの言葉が次から次に飛び出してしまった
「ひどい……
私なんて、後悔して後悔して、一睡も出来なかったのに…
いつもよりぐっすりって何?!」
「私の存在なんて、そんなものだったのね
後悔して損したわ!
もう、最低!!」
「違うんだ!待ってくれよ!」
と僕は通話の途切れた携帯に向かって叫び続けた
「あぁ… 終わった…
何だよ?あのテンション…」
体の力が抜けた
そこへメールの着信音が鳴った
『オプションの効果はいかがでしたでしょうか?
感想をお寄せいただけると幸いです』
「バカヤロー! 効果あり過ぎだよ!!」
『真夜中』