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11/29/2025, 4:16:09 PM

「うた?それはなんですか?博士。」

私を作った博士は時々変なことを言います。
この世には「うた」なるものがあったと。それがどのようなものなのかと聞くと決まって、ヘンテコな声とイントネーションが返ってきます。その時の博士は楽しそうなのに、私にとっては大層不気味に思えました。そのヘンテコな言葉の粒たちを、なぞって真似すると博士は喜びました。時には涙を流すほどでした。
そんな博士の喜びように、不気味だなどと言い出せなくて、今日まで至りました。
今日も変わらず博士はうたをうたいます。私はそれをなぞって真似します。けれど、今日の博士は掠れた声でうたいます。私は真似しづらくて何度も間違えます。

「今日の博士は変です。いつもと違う声です。」

意を決してそう言いました。そうしたら、博士は少し笑った後に目を閉じました。私は博士の身に何が起こっているのか理解できませんでした。けれど、博士の体がどんどん冷えて固まっていくものですから、ありったけ温めました。でも、それでも博士は目を開けなくて、なんとなくですが、失ったと気づきました。この前に博士が死んだ時の事を教えてくれたからでした。
私は博士を埋葬しました。そして、墓の前で博士の好きなうたをうたいます。それが弔いだと言っていました。
けれど、途中から、うたえないのです。いつも博士がうたっていたから、私は覚える努力もせず、博士の言葉をなぞるばかりでした。こんな時になって、失う事の本質に気づいてしまったのです。不気味だからと忌避していたはずなのに、今となっては焦がれています。
私は、私は、2つも、大切なものを、失ってしまいました。

題:失われた響き

8/10/2025, 2:59:50 PM

俺のクラスには、いわゆるニコイチな関係の2人がいる。片方は、元気ハツラツなやつ。もう片方は、優しくて物静かなやつ。そんな二人はいつもクラスの中心だった。
けれど、物静かな方が自殺した。理由なんて、分からない。みんなみんな、彼女の事を見ているようで見ていなかった。もう片方のやつはそりゃあ泣いていた。悲愴感に溢れて、気の毒な程震えていた。
けれど、1年も経てばいつもの調子を取り戻していて、なんだかムカついた。
アイツはそれが出来なかったから死んだのに。お前がいつも泣きついていた時に、それ以上の傷を負っていたのに。ああ、ムカつく。それに気づけなかった俺にムカつく。
アイツが優しくなければ、今もずっと生きていたんだろう。ボタンの掛け違いみたいな、些細な性格の差で死んだのかよ、アイツ。優しさなんてもってなけりゃあ良かったのに。

題:やさしさなんて

8/6/2025, 12:18:14 AM

不思議な浮遊感が私を包み込む。空気を含んだ泡が、私をすり抜け水面に浮かんでいく。同じように、身を任せて浮かぶと、太陽が目を焼いていく。それでもなお、力を抜いていくと、水に同化していくような感覚があった。昔からこの感覚が好きで、川や海によく行った。今思えば、このまま溶け出してしまいたかったのだろうか。泡みたいに、水に含まれて、最後には空気と同化して。そうやって、緩やかにひっそりといきたかったのだろうか。

題:泡になりたい

7/23/2025, 2:14:46 AM

教室に生温い風が吹き込む。半透明のカーテンが舞って、少しの間私の視界を覆った。手持ち無沙汰になった気がして耳を澄ませば、日常が聞こえてくる。
板書の音、教師の話す声、外から聞こえる暑さに喘ぐ声、生き物達が必死で謳歌する声。その全てが紛れもなく私の全てだった。
だから、夢現な私は、この世界をこのまま閉じ込めたくなった。微妙に生きづらくて繊細な、今しかない幸福を享受し続けたかった。そんな事出来ないと分かっているけれど、思考は変わらなかった。
ふと、強い風が吹き付けた。教科書の頁がぱらぱらと捲れていく。それが、現実に覚める合図。
そこには、少しだけ枕を濡らした私が一人だけ。大人というのは、こんなにも冷たい涙が流れるものだったのか。けれど、あの時止めたかったものなんて絶対に止められなくて。大人にも子供にもなり切れない私は、また、あの日常に焦がれてしまうのだろう。

題:またいつか

7/20/2025, 11:06:28 AM

「げーっ。将来の夢、だってよ。」

未来は、そう、俺の隣に座ってるヤツがそう言った。

「お前、未来って名前なのに将来の夢書くの嫌なのか?」

「それ、よく言われるけどゼッテーかんけぇない。」

まあ親が付けた名前ってだけだしな。あくまで俺達からしたら、ラベリング以上の価値はない。一人で完結してると、真っ白い作文用紙が嫌でも目に付く。
将来の夢、か。適当に書いたって良いけど、それは癪に障る。真面目に書くのも面倒くさすぎる。停滞した思考を堂々巡りさせていると、未来はまた話しかけてきた。

「おれさー、未来って書くけど、読みは「みく」なんだぜ。親は、カッケー。ロックだぜー。って言うけどさー」

酷く渋い顔をしながら言葉を濁す未来は、頭を抱えてブツブツと呻いている。

「いやさー、みくって女っぽい名前じゃんか。親がどんな想いをして付けたかよりもさー、今あるイジられによる羞恥っつーの?それのが余っ程苦痛だろって思うんよ。だって今ってリアルタイムで来るくせに予測できんし。マジ未来とか考えられるかっての。」

言いたいことだけ言って未来は作文用紙に殴り書きしていく。今が大事な未来は、先の事を考える気がないのだろう。適当に書いているのが分かる。それに触発されてか、俺も筆が進んでいく。鉛筆の走る音と、布擦れ、そして微かな風が感じられる。
これが未来の言う今なのだろう。だが俺にとっては、心地よくて眩しくて今が一番幸福だ。

題:今を生きる

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