そよそよと、心地よい春風が頬を撫でる。心地よい季節のはずなのに、僕は汗だくで自転車を漕ぐ。ハンドルは、強く掴まないと今にも滑りそうだ。酷く古ぼけている自転車は、力を込める度ギイギイと音を立てて軋む。片道3時間、それは過酷で楽しみな道のりだった。
もう少しだと、自分を鼓舞しながら進むと、こじんまりとした郵便局が視界に入る。
「お!今日も来たんか、偉いなぁ。」
気付いたのは、あちらも同じようで少しだけ手を振り上げてくる。同じように振り上げれば、こちらに寄ってきてくれる。
「手紙は?」
急かすように、僕が声を上げると局員は一つの手紙を見せつける。
「ついに来たぞ。返信。」
その言葉で僕は、天に舞いあがれそうだ。ひったくるように、手紙を貰うと違和感があった。
「おっちゃん、これいつの?」
僕の自転車と同じくらい古ぼけた手紙。それは、まるで遥か昔の手紙のようだ。
視線で訴えると、局員は困った顔をして言葉を紡いだ。
「お前のお母さんな、この手紙書いた後亡くなったと…」
「それ、いつ?」
「お前が二通目の手紙出した後だと。」
一気に有頂天だった気分は急降下した。
それでも、僕は手紙を開いた。これだけは読まないといけないから。
『お母さんな、もう駄目かもしれん。あんたの手紙嬉しかったよ。でも、それ以上にお前が心配だよ。あそこまで行くのはかなり大変だろう?だからね、気にしなくてもいい。あんたが健やかにしてりゃいいのよ。元気でいてね。』
母らしく、短く僕思いの文章。それが何より恐ろしい。もう母はいない。それだけが僕の中に残ってしまった。
「お前の手紙、お母さんと一緒に埋められたと。ここらへんにゃ、医者もおらんからごめんなあ。」
「おっちゃんが謝ることない。それに、この手紙を開けばお母さんはいるから。それだけでいいよ。」
もう会えない、話せないけど。この手紙があればそれでいい。母との唯一の繋がりがあればそれで。
いつか、また会える日まで僕は手放さないから。
題:手紙を開くと
胃がチクチクと痛む。それと同時に形容し難い吐き気が襲ってくる。寝る前の恒例行事となった格闘は、静かに僕を蝕んでいる。知人は誰しもが病院に行けという。けれど、これは僕の気性であって、病気の様な理不尽ではない。そう説明すると、決まって苦い顔をされる。今回も同じだと思っていた。けれど
「なんかそれって愛情みたいだね。」
君はそう言い伏せた。愛情。そんな曖昧なと思ったけれど、見方によっては似ているかもしれない。恋や愛は痛みを伴うと、そう聞いたことがある。如何せん、僕がそれを感じたことがないのが、悔やまれるが。
「愛情というのは、どうすれば知れるんだろうか。」
誰もが羨む程の、長い長い人生の中、僕が感じるものの中に愛情だとか恋慕だとかは無かった。きっと僕が鈍すぎたのだろう。
「ん〜、君の長い人生でそれを知る機会が無いなら、難しいかもね。けれど、何かのきっかけがあれば知れるよ。」
きっかけ。その事象を待つには、長すぎる気がした。もしかしたら一生を経てなお、分からないかもしれない。
「難しいものだな。」
人間というのは、様々な事を短い人生で考え行動するという。長い寿命を食い潰せない僕は、選択の先延ばしばかりしている。
「なんてったって、人間だもの。私たちだって分からないさ。愛情がどこからどこまでなのか。」
人間にも分からない曖昧なもの。それが愛情だという。解き明かすことさえできないそれは、神の所業とでもいうのだろうか。
「そういうものなのか。」
「そういうものさ。」
そよ風が窓からふきぬける。少しだけ彼女の髪が揺れる。陽の光に透けてしまいそうな彼女は、とても儚く綺麗な気がした。
題:愛情
「あ」
ふとした時に、涙が零れた。大人になるにつれて、涙は出なくなっていた。なのに今。涙腺がぶっ壊れたみたいに流れ続けている。
「大丈夫」
自分を元気づけるために、独り言を言う。理由もタイミングも、全部分からない。けれど、悲しくて泣いている訳じゃないから。明日にはスッキリした気持ちでいれる。
ぼやける視界は、ブルーライトに照らされてキラキラしていた。
題:涙の理由
僕は、ツギハギだらけで産まれてきました。
博士曰く、母が破水した時に事故にあったと。今となっては、それが事実かなんて分かりませんが。誰もが恐ろしいと感じる僕の外見は、僕を人間たらしめない要因でした。
博士はそんな僕の身体を大好きだと言います。
他の誰にもない、僕の個性だと。そう言います。
けれど、僕の個性が無くなったら、ツギハギをする必要が無くなったら、博士は僕に飽きるのでしょうか。
そんな不安を抱えています。そしてつい
「博士、僕はツギハギでなくなったら、博士の言っていた個性は消えてしまう。僕は、博士がくれた言葉さえもなくなってしまう気がして、とても怖いのです。どうしたらいいのでしょうか。」
なんて、聞いてしまうのです。僕は、博士のお情けで育てて貰っていて、博士は僕のツギハギが興味深いだけだと言うのに。ただ、それだけの事実が僕の胸を突き刺して、耐えられそうにもない程、悲しみが込み上げてくるのです。心の中の静かな慟哭は、博士には見え透いているのでしょうが、僕は続けます。
「あなたが、僕に興味を示さなくなったら、僕は欠けたままにしか生きられません。誰かが、僕を愛してくれたとしても。僕は、あなたの愛しか求められません。」
そう吐き捨てるように言い切ると、博士は決まってこう言います。
「君の個性も好きだけれど、僕は君という人間が好きなんだ。ただ1人の僕の大切な子供だから。子供を愛さない親がいるかい?それに、君は欠けたままでも素敵さ。不完全な僕が君と出会えたように、不完全な君と欠片を補って生きていきたい人もいるさ。」
そうやって、僕の心を補ってくれる博士は、何もかもを僕にくれる。不完全な僕に。
題:不完全な僕
「おーい、かえろうぜー」
ああ、またか。そう思いつつ扉に、視線だけ投げる。
「ちょいまちー」
帰りの支度をしていると、家が近いやつに声を掛けられる。毎日毎日、飽きもせずに一緒に帰っているが、割と楽しい。認めたくは無いが。
「準備したー」
一声掛けると、弾かれたように顔を上げてくる。その顔は満面の笑みで。ちょっとだけ、申し訳なくなる。
「じゃあ、行くか」
一拍置いて返事が返ってくる。
「おう」
いつも通りの帰り道だ。
「夏休み、終わっちゃうな。」
年に二回も、長期休みがあるのに。いざ終わろうとすると寂しくなる。休み中に仲良くなった友達、出かけた思い出。それぞれが、非日常を味わえる。けれど、こいつの非日常は引越しだった。
「こんな夏に引越しなんて災難だな。」
「本当に災難だわ。」
嫌そうな顔で返事される。もともと、引越しなんて気乗りするものでもあるまい。けれど、別れと出会いは繰り返されてゆく。
「でもまあ、どこかでまた会えそうだよな。」
案外、そう思ってしまうものだった。夏休みだけの関係みたいなものだったけれど、確かにそう思うのだ。
「じゃあ、さよならなんて言わない方がいいかな。」
「そうだな。」
さよならを言う前に、少しだけ会えなくなるだけ。今生の別れなんてものじゃない。そう考えると、この暑さも軽くなる気がした。
題:さよならを言う前に