《鳥かご》
『鳥が空を見つめてる
青い瞳で見つめてる
風に揺れる木々の中
鳥が空を見つめてる
鳥が木々を見つめてる
緑の瞳で見つめてる
綺麗に磨いたかごの中
鳥が木々を見つめてる』
テーブルに開かれたまま置かれた絵本。
青い空の下で羽を伸ばして小枝に止まっている鳥と、美しい装飾の窓の内側から緑の木々を眺めるかごの中の鳥が、それぞれのページに対比させるかのように鮮やかに描かれていた。
僕は今、邪神の力を持つであろう少女を監視する目的で自宅に住まわせている。
かつての旅の仲間の心の中に住んでいたというが、まだそれが真実だと確認は出来ていない。
その旅の仲間も騙されている可能性があるのだ。
よって、疑惑が晴れるまでは僕の権限をフルに活用できる帝国内で直接監視をする事に決めたのだ。
その彼女は心に響く絵が好きだと、図書館から絵本を借りることも多い。これもまた、そのうちの一冊だ。
子供向けとされてはいるが、その絵はコントラストを上手に活用して描かれており、大人の鑑賞にも耐え得る作品だ。
絵の美しさに心惹かれて眺めていたが、僕にはやはり鳥かごの鳥というのは哀れなものに感じられてしまう。
思い出すのは、左遷された先の村で見た風景。
真っ白い鳥達が美しい雲の中、列を成して飛んでいる様。
まさに安らぎを象徴するような、平和を切り取った風景だった。
「この鳥も大空を羽ばたきたかったでしょうに…。」
思わず呟けば、向かいに座る彼女はきょとんとした顔で答えた。
「そうですか? どちらも幸せならいいと思いますけど?」
僕にはそれが理解出来なかった。
鳥に生まれたからには、大空を羽ばたいている事こそが幸せなのではなかろうか。
「何故ですか?」
聞けば、彼女はこう言った。
「えっと、まず飼われてる動物はもう自分で食事を見つける能力も無ければ外敵から身を守る本能も無くしているので、今更外に離されても死ぬだけですよね?」
「…なるほど、言われてみればそうですね。」
僕はほぅ、と息を吐く。
確かにそうだ。
飼い慣らされて野生の本能を失った物が野に放たれても、生きてはいられない。現在の人間から文明を奪うようなものか。
普通に暮らしていると見落としがちな発想だ。
これには素直に感心した。
「まあ、飽きたから、用が無くなったから、手に余るからと捨ててしまう人もいますけど…。」
視線を絵本に落とし、淋しげな表情で彼女は呟いた。
僕も、動物を捨てる心情は全く理解出来ない。家族として迎えたのなら、最期まで一緒にいたいとは考えないのだろうか。
思考を巡らせていると、彼女がふと顔を上げた。
「それでも、きちんと食事と水が与えられて、暖かで綺麗な家があって、大好きな人の傍なら間違いなく幸せですよ。」
そう言い切った彼女の表情は、この上なく満たされたような笑顔で溢れていた。
そう。まるで、今の監視されている生活が心から幸せだと言うように。
ふわりと窓から入ってきた風が、絵本のページを捲る。
そこにはかごから出た鳥が人の手に乗り、指に顔を擦り寄せている様子が描かれていた。
『鳥は空を愛してる
青い大空を愛してる
優しく薫る風の中
鳥は喜び羽ばたいた
鳥は人を愛してる
暖かな人を愛してる
慈しみの柔らかい指先に
鳥は安らぎ頬を寄せた』
《友情》
それは、本部外での用事が出来た為に帝都郊外の喫茶店で遅めの昼食を取っていた時の事だった。
後ろに座っていた男性客二人の会話が耳に入った。
「俺は!友達と出掛けるって!聞いてたんだ!」
「うんうん。」
「それなのに、あいつ!俺の知らない男と!手ぇ繋いで歩いてやがったんだ!」
「そりゃまずいわ。」
「手ぇ繋ぐとか!友達とはしねぇだろぉ!」
「だよなぁ。女同士ならともかくなぁ。」
…あらかじめ断っておくが、声が大きかったから聞こえてしまっただけで、断じて耳を欹てていたわけではない。
どうも片方の男性の恋人に浮気の疑いが上がったらしい。
他の男性と手を繋いでいた…か。確かにそれは辛いものがある。
そして相談をしていた男性は、遂には大泣きを始めてしまい、もう一人の男性に店を連れ出されていた。
「うああああぁぁぁぁ…俺はっ、俺は!!」
「はいはい、ちょっと早いけど今から飲みに行こうぜ。何なら奢るからさ。」
「あああぁぁ!持つべきものは親友だ!ありがとうなぁぁ!」
そうこうする間に二人の男性客は退店し、店内は元の静けさを取り戻していた。
しかし、込み入った内容を気軽に話していた事と言い、それをある程度受け流している風な素振りを見せつつも憂さが晴れるまで付き合おうという姿勢と言い、良い友人関係なのだろうな、とコーヒーを口にしつつ感心していた。
……ん? 手を繋ぐ?
ここでふと、僕は最近の自分の行動に思い当たる。
気が付けば自分から、彼女の手を取り歩く事が多い。
何故だ?
他の男性と手を繋ぐ、それが辛い?
…何故だ?
僕は真っ白になった頭でコーヒーカップから口を離し、今の僕の心のようにカップの中で揺らぐ黒をぼんやりと見つめていた。
《花咲いて》
僕達が訪れているのは、温暖湿潤な地域。
今回は、観光の目玉としたいと紹介された植物園に来ていた。特に今の時期は、ちょうど蓮の花が見頃との事。
蓮は夜明けとほぼ同時に開花が始まり、午後には花が萎んでしまうそうなので、前の日は早めに休んで次の日の早朝に備えた。
夜が明けてすぐ宿を出て、植物園内の池のほとりに辿り着く。
池はかなり大きく、地表に顔を出したばかりの太陽に照らされて水面はキラキラと輝いていた。
そして、そこには事前の説明通り、池一面を覆うように鮮やかな緑の丸い葉と、更に少し上にたくさんの薄紅の蕾が広がっていた。
その広大さに見惚れていると、あちこちからほんの微かにカサ、ポン、と音がする。
見れば、ちょうど目の前に外側だけ開いた蓮の蕾があった。
中心部はまだ開いておらず、お互いが重なり合って雄しべと雌しべを守るかのように花弁が閉じられていた。
彼女がそれを指差しながら、反対側の人差し指を立てて、そっと自分の唇に当ててみせた。
僕が頷けば、彼女も頷きかえし、視線を蕾に向ける。
そうして蕾を見つめて何分か経った頃だろうか。
この蕾、もしかして見始めた時よりも丸く膨らんでいる?
そこに気が付いた直後だった。
ポン!
目の前の蕾が、音を立てて花開いた。
丸い薄紅が一瞬で開き、間から薄黄色の雄しべと雌しべが色を添える。
その様は、艶やかでコミカルでもあるのに、敬虔にも思える清廉さで。
初めて見た瞬間に感動して思わず彼女に顔を向ければ、目が合ったと同時ににっこり咲って、胸の高さで拳をグッと握りしめてみせた。
その唐突な行動に不意を突かれ、ポン、カサ、ポン、という音の中、蓮の開花を妨げぬよう声を押し殺して咲ってしまった。
それに気を悪くしたのか、口を真一文字に結び目元を赤らめながらじっと僕の顔を見る彼女に片手を上げて謝罪の意を伝え、また二人で池の蓮に目を向ける。
こんなやり取りの間にも太陽は徐々に水面から離れていき、次々と蓮はその薄紅の花を開いていった。
ここまで日々を咲って暮らせるなど、一年前には想像もしていなかった。
また来年、こうして同じように二人で蓮の花を見に来よう。
《もしもタイムマシンがあったなら》
時を渡る。これは魅力的な響きはあると思う。
例えば、間違ってしまった行動の結果を修正しに過去へ行く。
例えば、今の行動の末に何が起こるかを確かめに未来へ飛ぶ。
色々なことが自由自在に操れる。一見、そんな魅力に溢れてる。
かつて、この世界で少なくとも一人、千年の時を渡る者がいた。
私はそれを擬似的に体験した。
方法は、ある場所で現在か千年前か、行きたい時代のそこの風景を強く思い浮かべるもの。
これには現在と千年前の記憶を鮮明に思い描かなければならない。よって、本来一人の人間が行うのは到底不可能な手段だった。
その人物は、千年前の記憶を移植されたようなものだった。だから、可能だった。
ただ、そもそもこんな事は、ストーリーの展開あればこそ可能な手段だったと思う。
実際、過去の状況を変えた場合、その未来である現在はどのような風景に変化しているか想像も付かない。
ほんの少しの変化を加えただけで、未来は大きく変わる。
特にテクノロジーに手を加えれば、その変化は顕著。それは、元の世界の技術の発展による変化で十分理解した。
だから記憶に頼る時間移動は、実際は不可能と考えたほうがいいと私は思ってる。
そして、もう一つ。
過去の出来事に手を加えれば、当然未来に受け取れるはずの成果も変化する。
単純に考えれば、過去の悪い出来事をなかった事にすれば、今が平穏で幸せなものになる。
でも。それって、その悪い出来事を乗り越えて強くなった人に対して失礼じゃないかな。
たくさんの辛い出来事。辛い記憶。確かに少ないほうがいいかもしれない。
大好きな人が傷付き涙を流すところを見るのも、とても辛いことだから。
それでも、たくさんの傷で精神を美しく研磨し、涙も輝きに変えて強く優しくある人を知っているから。
私はそんな彼を尊敬し、今を必死に生きていきたい。
《今一番欲しいもの》
それは、ここ連日睡眠時間を削って調整した議題が一段落し、久し振りの休日を過ごしていた時だった。
「これはまた、ぐっすりと…。」
屋内に彼女の姿が見えないと庭に出てみれば、木の根元に座りながら眠りこんでいた。
その木は大きめで豊かに葉を茂らせていて、木陰も広く風通しも良いので、この季節でも涼しく過ごせる一角になっている。
このところは本部からの帰宅時間も遅かったので、彼女も疲労が溜まっていたのだろう。
膝には、『次に来るのはこれ!秋までに欲しいファッション特集』と書かれたページが開かれた雑誌が置いてある。
これを読んでいたら気持ちよくなって眠ってしまった、といったところだろう。
無理に起こすのも忍びないので、起こさないようにそっと隣に座り、ちらりと雑誌のページを見る。
そこにはトーンは押さえ気味ではあるが色彩も豊かな洋服や、紅葉を思わせるゴールド主体のアクセサリーなど様々な物が掲載されていた。
そうか、世の女性はこういう物を好むのか…。
それにしても、確かにこの木陰は気持ちいい。
するりと吹き抜ける風が、太陽による汗をさらりと引かせてくれる。
ふわり靡いた彼女の長い髪が、僕の腕を撫でる。
それがこそばゆくも心地好く。
目を瞑りながら風と共に流れるその髪を楽しんでいた。
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…あー、寝ちゃってた。
毎日かなりの残業に自宅持ち込みで大変そうだった彼の仕事も佳境を越えたのか、今日は久々のお休み。
たまには帝都の流行りを見るのもいいかな、と図書館から借りてきた雑誌を庭の木陰で読んでいたら、つい眠り込んでしまった。ここ涼しくて気持ちいいから。
うーん、にしても何か肩が重い…
と、顔を横に向けて私は固まった。肩の重みの正体が見えたから。
かっ、かか彼が私の肩に頭を預けて寝てる!!
うわ、どうしよう顔が近い!っていうか寝顔見られてた、涎垂らしてなかったよね私!?
彼の身体を揺らさないように身体は静、頭の中は嬉しいパニックで動も動、あまりに激しく回転している。
それでもそっと瞑られた目と小さな寝息で分かる。
相当疲れてたんだな。毎日毎晩、あんなにお仕事頑張ってたから。
そんな事を考えてたら、彼の頭が肩からズルっと落ちかけた。
起きるんじゃと驚いたけど、それでも起きる様子はない。
熟睡してるみたい。身体起こしたままじゃ辛いよね。
そうと決めれば、私は雑誌を横に避けてからそうっと慎重に彼の頭を下に降ろしていき、自分の太ももに乗せた。
いわゆる、膝枕というやつです。
…わ、何これ。物凄い心臓ばくばくする。
起こさないようにするのもドキドキしたけど、そんなの全然比べ物にならない。
小さく開いた口元から微かに聞こえる寝息。
伏せられた瞼を縁取る、女の私よりも、ってくらい長くてふさふさの睫毛。
艶のある綺麗な髪。
それでも男性の逞しさを垣間見せる、顎から耳にかけてのライン。
スリムだけど、きっちり筋肉の付いた肩。
自分でこの体勢にしといて何だけど、刺激が強過ぎやしませんか?
…本当に、ただ寝てるだけでも素敵ってどういうことなんでしょ。
荒ぶる心臓を落ち着かせる為に深呼吸しながら、ほんの少しだけ頭を撫でてみる。
あ、凄い、髪の毛サラサラ。
指の間から、するすると零れ落ちてく。
風がさわさわと木の葉をすり抜けて、火照った頬を冷ましてくれる。
木の葉の緑の間から、澄み切った高い夏空の青。
思えば、こんな贅沢はないな。
あなたに触れられるなんて、死んでも叶わないと思ってた。
もう本当に、何にもいらない。彼と二人のこんな穏やかな時間が、私がずっと欲しかったものだから。