たった1つの希望
『9月3日
公園前にある、コンビニで珈琲とチョコを買う。
仕事で嫌なこともあって疲れたけど、珈琲の香りに癒される。夜の公園は、若いカップルのデートスポット。
それを眺めながら、珈琲を飲む。
若いってかわいい!』
公園前、まだ夕方ということもあり子どもがたくさん居る。ブランコの軋む音、子どもの笑い声色んな音が耳に入る。
僕は、公園前にあるコンビニへ入った。
まだ暑い。冷たい珈琲と、チョコレートを購入した。公園の近くで座ろうかと思ったけど、変質者と間違われても困るので、そのまま珈琲片手に目的地まで急いだ。
『9月5日
今日は久しぶりに、ノボルと会った。嬉しい。
少し太ったみたい。きっと仕事終わりにビールとつまみで1日を終えてるんだろうな。体が心配。
明日も休日出勤らしく、こっちに泊まらず帰って行った。
夕食はいつもの居酒屋を止めて、新しくできた和食屋さんに入ってみた。天ぷらがとても美味しくて、もっと食べたいと思った。ノボルが海老の天ぷらを1つくれた。代わりに白身魚の天ぷらをあげた。また行きたい。』
目的地について、薄紫の暖簾をくぐる。
珈琲はとっくに飲み終えて、道中ゴミ箱へ捨てた。
お店のカウンターに1人で座る。
お店のおすすめ定食を注文する。
待つ間に、また彼女の日記を広げた。
『9月9日
体調が悪く、早退してしまった。
私に代わって仕事をしてくれた同僚に感謝。
久しぶりの目眩と、吐き気。
午後から病院行く。』
『9月10日
また心因性の目眩。薬を処方してもらう。
今日も朝からダメで、仕事を休ませてもらう。
明日はノボルが帰ってくるのに。』
ずいぶんゆっくり読んでいたのだろう。
2日分を読んだところで料理が運ばれてきたので、日記を閉まって手を合わせた。また天ぷらが添えられている。
ここの天ぷらは、美味しい。
海老の天ぷら2本と、白身魚の天ぷら。
今日は全部1人で食べた。
早めの夕食でお腹は満たされた。お会計をして外に出ると、少し涼しい風が肌を掠める。
次の目的地は、洋菓子店。
その前に途中にある噴水のベンチに座って休んだ。
『9月11日
失敗した。
無理して仕事、行かなければ良かった。
結局悪化して、寝込んだ。
夜、ノボルが帰ってきた。
なんにも用意できなくて泣いていたら、「何もいらないよ。一緒に寝よう」と優しく抱きしめてくれた。
久しぶりに単身赴任から帰ってきた夫に対して、私は何も出来なかった。自分のこんな所が辛くて、悲しくて、それでも一緒にいてくれるノボルに申し訳ない。もう何年も、定期的に繰り返してる。こんなんじゃ怖くて子どもも望めない。もういい歳なのに…。ノボルはどうして一緒に居てくれるの?』
『9月13日
今日は比較的、気分がいい。
ノボルと散歩に出かけて、噴水の近くで休憩する。
他愛ない話をした。無言でも心地良いから困る。
甘えちゃう。
近くの洋菓子店へ行き、モンブランとマスカットケーキを購入。2人で家に帰って半分こして食べた。』
『9月14日
来年からは、ノボルがこっちに帰って来られるかもしれない。一緒に居てくれるのは嬉しい。でも、私はこのままでいいの?不安でたまらなくて、ずっと避けていた話をしてみた。「私は目眩が時々起こって仕事にも行けなくなる。私のこと気遣っていたら、子どもだって望めない。なんで私と一緒に居てくれるの?」じっくり考えて、怖くて不安で、勇気を出したのに…ノボルはキョトンとしていた。「なんで一緒に居るかって…アキの事が好きだからだよ。子どもが居れば、そりゃ楽しいと思うけど…僕はアキが居ればそれで充分楽しいよ」だって。泣いちゃった。嬉しかった。でも…』
日記はそこで終わっていた。ノートを使い尽くして。
途中で終わっているけど、僕はアキの言いたかった事が、今なら分かる。
僕は日記をしまい、立ち上がる。目的の洋菓子店で、モンブランとマスカットケーキ、いちごのショートケーキを購入した。
部屋を片付けていたら、出てきた日記だった。興味本位で開いて見れば、僕のこと、僕と行った店や言った発言などが書き留められていて、ちょっと恥ずかしかった。
こっちに戻ってきて、3年になる。
アキは今入院しているけど、明日退院する。
朝イチで病院へ迎えに行くつもりだ。
感染症対策とかで、夫でも面会を制限されていて、ほとんど会いに行けてない。
整えた部屋と、ケーキを用意して、そして日記を見たことを素直に謝ろう。
僕は今でも変わらずに、アキが好きだ。
好きだから一緒に居る。
日記を見て、当時の不安定なアキの姿が浮かんだ。
今は近くに居られるから、支え合っていける。
きっと、これからも。
明日、アキは帰ってくる。
僕とアキの、子どもと一緒に。
欲望
「欲望(よくぼう)」とは、何かに対する「不足」を感じ、それを満たそうと強く望む心や、欲しいと思う気持ちのことです。三大欲求(食欲・性欲・睡眠欲)のような本能的なものから、金銭欲や承認欲求など社会的なものまで、人を動かす基本的な心理を指します。
「うーん…」
自宅と学校から2駅離れた町の図書館の隅っこ、本棚に囲われて、少し奥まった場所。長椅子で辞書を広げてつい声を出して唸ってしまった。顔を上げ、キョロキョロ見渡すが、今日は人も少なく誰にも聞かれていなかったようだ。
ホッとため息を付いたのも束の間、突然肩に手を置かれた。
「ひゃっ!」
思わず再び大きな声が出て、それを誰かの大きな手がふさいだ。
「あっぶねー」
「は、羽島くん」
「あんま大きな声出すなよ。びっくりするだろ」
「いつの間に、そこまで来たの!?さっき居なかったじゃない!」
同じクラスの男の子。彼は髪も明るく染めてて、運動も出来て友だちも多い。こんな図書館に来るイメージもないのに(偏見だけど)、図書館の常連である。
初めてここで出会ったときは、中学生や大学生の勉強として、テーブルスペースが埋まっていて、この奥まった長椅子を、たまたま居合わせた羽島くんと共有した。
それ以来、図書館に来るとここはお互い定位置になっている。
棚に並んでいる本も、小難しい歴史書ばかりなので、本棚に隠れて見えないこの長椅子のスペースは穴場なのだ。
「今、本選んでて、来たとこ」
当たり前のように隣に座る羽島くん。少し、ソワソワした。
「…難しい顔して、何読んでるかと思ってたら…辞書…」
少し間を空けて、羽島くんは吹き出すように笑った。
頭2つ分くらい背の高い羽島くんから、私の開いてる辞書が丸見えで、なんだか恥ずかしい。
「わ、笑わないで!」
「ごめん、調べ物か?」
「う、うん、ちょっとね」
流石に、調べていた単語は言えずに濁す。
辞書の、「よ」から始まる単語が並んだページ。
調べるふりをして、単語を指でなぞる。
「ふーん、かして。辞書なんて、奥ゆかしいことしてるよな」
見た目と言葉使いが一致してなくて、ちょっとおかしい。
今度は私が笑う番だ。
「そう?結構、面白いよ」
「いいな、そういうの。何調べてたの?」
「え、う、内緒」
「…言えないこと?なんだろう、欲情とか?」
その太くて長い指で辞書の字をなぞりながら、ニヤニヤしながら聞いてくる羽島くん。
やっぱり高校生男子、選ぶ単語が…。
「ち、違うよ!よ、欲望ってね。尽きないなぁと思って。改めて調べてみてた」
「欲望かぁ。成績優秀で、大学推薦も決まってる宮野さんにどんな欲望があるの?」
「い、言えないよ…」
聞かれて、私は答えられずにいた。
耳から落ちた髪をかき上げて、ふいっと顔を反らす。
卒業まであと数カ月。
卒業すれば、羽島くんとここで会うこともきっと無くなるんだろう。
家庭の事情で、羽島くんは進学せず、知り合いの会社に就職をすると聞いた。
会えなくなるのが寂しいって、そればかり考えてるなんて…羽島くんには言えそうにない。
しばらくの沈黙、ちょっと気まずくなって羽島くんの方を見る。羽島くんは、本を開いて読んでいた。
『日本一短い手紙』という、どこかの誰かのひと言がまとめられている本だった。
「本当は、君の事が大好きなんだ。恥ずかしいから、大きい声じゃ言わないけどね。」
「え!?」
突然、羽島くんが、言った言葉に私は見てわかるくらい動揺してる。
「これ、15歳の女の子が書いたんだって。誰を思って書いたんだろな」
「…好きな人…かな?」
私の動揺は、きっと隠せていない。
じっとこっちを見てる羽島くん。
私は、視線を受けつつも顔を上げられず、羽島くんの手元の本を見ていた。
「俺も、叶えたい欲望あるんだ。」
「そ、そうなの…?」
「うん」
「…なに?」
「…宮野さんと、卒業しても会いたい。なぁ、俺たち付き合ってみない?」
驚いて、固まった私に手を重ね、羽島くんは不敵に笑った。
三日月
もう夜よ。寝れないの?
ほら、目を閉じてごらん。
真っ暗だね、真っ暗だけど、あれ?
ずっと先に、なにか光ってるよ??
なんだろうねー?
一緒に見に行こうか!
真っ暗は怖いよね、それなら…手を繋ごうか。
私はここに居るよ。2人なら怖くないよね。
あ、見て!
光の正体はこれかな?
歩いてる道になにか落ちてる見たい!
小さくて、丸いなにか…何だと思う??
そうだね、石かも知れないね。光る石。
あれ、手を離しちゃったね。
今どこにいる?
…そうだ、その辺に光っている石を集めて…
あ、居たわね。そんなところに居たの?
もうはぐれないように、しっかり手を繋ごう。
え?もう大丈夫だって?光る石のおかげで、この暗闇は真っ暗ではなくなったものね。
いつの間にか、トンネルの前に来たわ。
入ってみる?
うん、一緒に行こうか!
冷たいのに、なんだか温かいね。
見て、うさぎが跳ねてる!
何色?
そうか、灰色うさぎね!
いいね、家に居る猫ちゃんと同じ色ね!
え、猫もいる?ふふ、本当可愛い。
トンネルを抜けたわ。
なんだか、とても幻想的…
ん?
わぁ~、きれいな三日月!
見える?ねえ、◯◯、見える?
目を開ける。
布団の中で、寝息を立てる◯◯。
真っ暗な部屋でに、光が差し込む。
少しカーテンを開けると、淡く優しく、光る船が空に浮かんでいる。
「おやすみなさい、今日も1日おつかれさま」
「木漏れ日の跡」
地面に映し出された、木漏れ日の跡を見つめながら歩く。
足取りは少し重い。
朝、家を出たときは準備万端できれいに着飾っていたはずなのに…。久しぶりに休日に1人で出かけていて、ランチを済ませ、ショッピングを楽しもうとする時だった。運悪く、男の人がぶつかってきて転んでしまった。
「わりー!地味すぎて見えてなかったわ!」
「ふふふ、ちょっと!失礼じゃない。ごめんね〜、私の彼が。ふふ」
若いカップルは、そう言うと笑いながら歩いて行ってしまった。呆気に取られて、言葉も出ずに固まっていると、店員さんが手を取って起こしてくれる。
「ありがとうございます」
「いえいえ、大丈夫ですか?嫌なカップルですね」
足がもつれて、再び転びそうになって気づく。ヒールが折れている…。それに気づいた店員さんは、お店の靴をいつくかおすすめしてくれて、折れたヒールを恨めしく見ながらも買う他に選択肢はなかった。たまたま興味があり見ていた、お高めの店の靴を。
可愛いが、予算を軽く超えてしまったので、本当に欲しかった服を断念した。
「あーあ、ついてない」
良い気分で家を出たのに、こんな思いのまま帰ることになるなんて…。ランチと、購入したのは靴だけ。
自然とため息が溢れる。街路樹の端っこで、足を止めた。
休日の昼間だが、この街路樹に歩いている人はまばらであった。
「どうしたの?」
「え?」
突然後ろから男の人の声が聞こえて、振り向く。
「あ、やっぱりハルネさんだ。」
「山下さん?」
「こんな所で会うなんて、びっくりしたね!昨日仕事で見かけたけど…私服姿は初めて見たね。可愛い」
「え、」
「あー、セクハラになっちゃうか。人を褒めるのも、難しい時代になったよね。」
同じ職場だけど、部署は違う山下さん。毎日挨拶を交わす程度で、こんな風に話をしたのは初めてかも知れない。山下さんは整った顔をしているし、仕事もできて話しやすいと女性社員の中では、良い噂をよく聞く。私より5歳年上だと聞いた。山下さんの同僚に、私と同じ苗字の人が居るからだろう。挨拶をする時に、私のことを名前で呼んでくれるので、山下さん推しの女性社員から、関係を問われたこともあるのだ。
「こうやって話をするのは初めてだね!今からどこか行くの?」
「いえ、帰ろうと思ってます…色々あって…」
今日あったことを、大まかに話して見る。柔らかな風にそよぐ街路樹に合わせて、ゆらゆら、地面の影が揺れている。
「それは災難だったね。…ねえ、良かったら僕に付き合ってくれない?僕も今日は1人で出かけていたんだけど、用事も終わってしまってさ。お茶しようよ!前からハルネさんと話してみたかったんだ。どう?」
「私と…ですか??」
「嫌…かな?」
「い、嫌じゃ、ないですけど…」
なんだか恥ずかしくなり、上げた顔をまた下げる。
木漏れ日の跡と、2人の影がゆらゆら揺れていた。
髪をかき上げる。
「ありがとう」
山下さんの声が、優しく降ってきた。
少し近づいた、山下さんの影を見て、私はそっと顔を上げた。
***********
書き終えたら、山下さんがストーカーみたいになってる。笑
ストーカーじゃないよ、本当にたまたま出会ったんだよ。
『誰も居ない教室』
移動教室の時に忘れ物をして、ひとり教室に戻った。
誰もおらず静まり返るその場所は、なぜかとても不安になった。
「私の机…」
授業開始まで残り3分ほど。慌てて自分の机に向かい、引き出しに手を入れる。焦っているので目当てのものを見つけられず、しゃがんで引き出しの中をのぞき込んだ。
「あ、あった!……え?」
目当てのファイルの下に、見覚えのない封筒を見つける。
取り出して、表と裏を確認するけど、名前は無い。
封が閉じられていないそれは、すぐに中身が確認できる。
どうしても気になってしまい、ドキドキしながら、それでも急いで手紙を出した。
『放課後、〇〇公園で待ってる』
1文だけの、文章。
〇〇公園とは、私の帰り道にある公園。
文字だけ見ても、誰か分からない。男か、女かも分からない、丁寧で綺麗な文字だった。
胸のドキドキが止まらなくて、しばらくぼーっと手紙を見つめてしまった。
授業開始のチャイムが鳴り響き、私は肩を震わせる。
「あ、授業!!!」
慌てて手紙をしまって、移動先の教室へ向かうことにする。
特別可愛いわけでもなく、目立つこともない平凡な私が、こんな風に手紙をもらうのは初めてだった。
少女漫画は好きなので、あらぬ想像力に刈り立てられた。
誰も居ない教室を、私は最後に振り返った。