"貴方はできる子ね"
"貴方は頭が良いから大丈夫よ"
"貴方は何でもできるわね"
なんて褒め続けられた主人公がどん底まで突き落とされ、そこから這い上がる、なんていう物語を何度も読んだことがある。
世間は『可哀想』だとか『すごいな』とか思うのかな。
私はこういう話に共感も感動もしたことがない。
はぁ、とため息をつき本を閉じる。窓の外には、今日も自身の光を誇らしげに見せびらかす太陽があった。
ああいう人たちは、褒められ続けて自分に誇らしさを覚えたから、どん底で苦しくなるのだ。
端から、期待なんてしなければいいのに。
なんて、昔の栄光を引きずったまま、その誇りだけでズルズル生きてしまっている私に思われたくないか。
扇風機の首振りを眺めながら考えていた。
夜の海に来ると、寂しくなるのは何故か。
暗闇の中にぽつんと独りぼっちになってしまったかのような、勘違いをしてしまう。
夜の凪いだ風を感じていると、ふと思ってしまう。
………いや、そもそも凪いだの意味もわからず使っているな。
まるで詩人のようになってしまうのも、夜の海の効果だろうか。
朝は地平線から太陽が登り、夕方になると日が落ちていく。
ここはそんな動作を何十、何百年と続けている。
彼は地平線を見つめ、宇宙やらなんやら普段は考えないような思考に耽っていたが、そうさせてしまうのも、夜の海のせいだろう。
足元には少し冷たい塩水がぶつかってくる。
耳には波のさざめきが刺さってくる。
こんな薄汚れた感情さえ、夜の海のせいにできれば良かったのに。
自転車に乗って坂道を下る。
ギアはいつも2だ。少し錆びついたベルに指を乗せ、どこまでも降りてゆく。
チャリでニケツなんて夢見た頃があったっけ。結局、校則違反やら交通法違反やら理由をつけてやらなかったな。
彼女を乗せた自転車は悪路に入ったようで、ガタガタと揺れている。
昔見た映画の主人公は、男の子が改造した自転車で空を飛んでいた。この自転車でネバーランドにでも連れて行ってくれればいいのに。
なんてくだらないことを考えてしまうような真昼の午後2時だった。思考すらも溶かしてしまうような暑い暑い天気だ。
自転車とネバーランドを夢見た私が向かう先は、いつも通りの日常。
せめて、自転車ぐらい買い替えたいな。
自転車は最後の登り坂に入っていた。
君の奏でる音楽は、私に安らぎを与え、時には感動をもらい、そして優しく寄り添ってくれる。
私にとって貴方は、何物にも代えがたい一番星なんだ。
たとえその光の強さのあまり目が眩んだとしても尚、私は貴方のメロディーを、歌声を、輝きを欲するだろう。
私の奏でる音楽は、醜く、時には私を救い、落ち着かせ、そして激しく焦りを覚える。
星が眩しければ眩しいほど、夜空の暗闇は深くなるばかりだ。
私は星空の存在を知っているが、星々は私の存在など知る由もない。
君の奏でる音楽は、私を救う讃歌であると共に、私を地獄へと誘う焦燥曲だ。
終点……すなわち終わりの点、だろう
それは当たり前のことか。
彼は生き急いでいるかの如く、忙しなく走る電車を見て、ふと思った。
ガタン、ガタン─ガタン、ガタン─
この電車たちも終点へ向かっている。そしていずれ着き、また廻っていくのだ。
そんな喧騒も落ち着き、終電を迎えた頃。無人駅は心地よい静寂に包まれていた。
「…………………」
彼の瞳の中に、暗闇の中の銀の棒が映る。
夜明けを希望の象徴と捉えた先人は、何を思っていたのだろうか。
夜が終点で朝は出発点、になるのか。
こんな沈みこんだ出発点があってたまるか。
いや、思い込みだな。
─もうじきに、夜は明けてしまうだろう。