「ねえねえ、聞こえてる〜?」
耳元に聞こえてくる声は少し高めだ。
「…聞こえてるよ」
「よかった!今日も、会いにきちゃった」
「別に駄目だとは行ってないからいいけど…」
彼女と話すとき、僕はいつもより抑えめで声を出している。
窓際に立つ彼女は僕の事を見上げながら話を続ける。
「今日はね、学校行ったんだけどね、」
「……学校とかあるんだ」
「そりゃあるよ!私だって、もう17に、なるんだからね!」
この子は高校生だったのか、もう。初めて会ったときは確かにもっと小さかった気がするような。
「クラスで、イケメンとか、言われてる子、見に行ったの。でもやっぱり、まささんには、敵わないよなぁって!」
「褒めても何もでねえぞ…」
「いいの!私が、言いたかっただけ………ッキャ、」
窓から強い風が吹く。
彼女が飛ばされないか不安になった僕は急いで窓を閉める。
「…ありがとう…」
この子の姿を確認するために、初めて買ったメガネの位置を調節する。
「ねえ、大きくなったらさ、ここに、住んでいいんでしょ?」
「あー、まあ言ったけどさ……」
「ね、私もう、来年成人だよ!いいでしょ?お願い!!」
「…………」
僕はまだ、答えを出すことは出来ない。
この世界は、彼女にとって危険が多すぎる。
「………とりあえず、手のひら、乗っけてよ!」
「…ん、ほらよ」
手のひらに収まってしまう小さな小さな彼女。
小さな彼女は、僕に小さな愛を与え続けてくれている。
小さな愛
どこにも行かないで
私を置いていっちゃやーよ。
あの頃は一生一緒にいるだとか言ってくれたじゃない。
一人でいると、怖くて泣くこともできない。
もし貴方がいなくって、寂しすぎて、死んじゃったりしたらどう責任取ってくれるおつもりなのかしら
どこにも行けないの
私を一人ぼっちにするなんてやーね。
あの頃となんらかわらないだろうとか言っちゃうの?
一人でいると、どうでもいい事ばっか考えてる。
もし私がいなくなって、貴方のせいで、って追い詰めたりしたら私のことを忘れなくなるのかしら。
…わかったわよ。そこまでしてどこかに行きたいって言うのなら、
─こちらが犯行現場である被害者の自宅に残されていたとされる手紙です。
最後の言葉は、紙が汚れていて判読不可能とのことです。
殺害現場からみて、犯人は被害者に強い恨みを抱えていたとされています。
現在、犯人は逃亡中で─
どこにも行かないで
「…結構、冷えてきたね」
独り言のように呟く。
朝から降り続いている雨は未だ止みそうにない。
一粒ひと粒、意思を持っているかのような音色を奏でる。
靴も髪もぐっちゃぐちゃ。
だから雨なんて嫌いだった、のに
「………そろそろなんか言ったらどう?」
せっかくこの中でしか会えないんだから。
「ごめん、久々に会えたから噛み締めてた」
そういうところだよ
私は、絆されてばっか
淡い鼓動を抑えるように彼に話しかける。
「でもさ、これから梅雨だからたくさん会えるよね?」
「………そうだね」
彼は、雨に濡れない。
否、濡れることができない。
水は、生を持つものにしか反応できないらしい。
それでも、わざわざ傘の中のに入ってきてくれると
私は雨に隠されているワンダーランドにでも行けた気分になる。
「…雨、止みませんね。」
貴方が言うのは、すこしずるいんじゃない?
雨が止んだら、私を、おいていっちゃうくせに
傘の中の秘密
「好きになった方が負け、とか言う言葉あるじゃん?」
放課後、彼女と横並びで帰っていた途中の一言。
駅まで徒歩15分程度、夕日が沈みかけた静かな田んぼ道に彼女の声が響く。
「…あ〜、あるかも、ね」
すこしピンとくるようなこないような。
「あれさ、納得いかないんだよね、私」
すこし高い位置にある横顔は、不満げな感情を隠しきれていない。
ほら、まゆ毛が下がっちゃってる。
「なんで?」
「だってえ………
負けってなんか、マイナスな意味じゃない?」
「そうだな〜」
「大切な相手を好きになれたっていうのに、負けはおかしいよね〜って!むしろ勝ちだよね!大優勝!」
「……すこし、ニュアンスが違う気もするけどな。」
「え〜?どういうこと?」
「僕的には…好きになった相手には敵わないから、負けって言葉を使ってるんだと思うけど。」
「あ〜、そうゆうことなの?」
「うん、」
やっぱり彼女と話すのは楽しい。僕にはないような新しい考えを持ってきてくれる。
僕は、一度立ち止まって彼女の顔をまっすぐ見つめる。
「………どうしたの?」
「いや、なんでもない。」
どうしようもなく彼女に惚れ込んでいる僕にとっては、勝ち負けなんてどうでもいいよな、なんて考えていただけ。
もうすぐ、駅のホームに着いてしまう。
勝ち負けなんて
ここまで、ずいぶん長かったように感じる。
僕は何ヶ月、暗く狭いここに閉じ止められていたのだろう。
狭いと言えど、息苦しかったわけではない。
僕に繋がれた1本の管が、生命を繋いでくれていたから。
時折、壁を蹴ったり、身じろいでみたり
どれだけ動いても、この中は崩れることはなかった。
一人ぼっちなのにひどく温かい、そんな所だった。
さあ、もうすぐだ。
僕は、貴方に、会いに行くよ
─オギャー、オギャー…─
2025年5月31日、僕の物語は始まったばかりだ。
まだ続く物語