「時々、このまま終点まで行ってしまいたくなる」
電車の揺れに紛らわせて言ったつもりだった。
「椋、起きて。もう次で降りるよ」
しばらく乗っていた電車も人がまばらになり、数駅前から空っぽになった座席に座っていた。
大した時間は経っていないが、椋は眠ってしまっていたらしい。
夏油は、後輩の小さな肩を優しく揺らす。
……起きない。
「椋?大丈夫かい?」
そもそも椋は人前で無防備に眠れるような人間ではないのに、声をかけても起きないということは、相当疲れているのだろうか。
心配になり、夏油が顔を覗き込むも、その瞼はぴくりともしない。そう、不自然なほど全く動かない。
「……椋、起きてるね?」
「…ねてまぁす」
「起きてるじゃないか」
心配して損をした。
背もたれに体重をかけて座り直すと、右腕に重みがかかる。
「終点まで行っちゃおうよ、センパイ」
聞こえてたのか、と夏油は数十分前の自分に恥じる。
「ぼくは寝てる」
「起きてるけどね」
「センパイも寝てる」
「流石に無理があるかな」
「ふたりとも疲れて居眠りして、そのまま終点に着いちゃうんだよ」
椋は目を閉じたままだ。
あくまで寝ているというスタンスらしい。
「だめだよ、早く帰って報告書も出さないと」
「そんなのは後で考えようよぉ」
「行ってしまいたいなら、一度行っちゃおうよ。
それで、終点の景色を見てから、いっしょにかえろ」
椋の指は、夏油の袖を掴んで離さないつもりらしい。
この手綱があるなら、帰りは迷うことなく一本道だろう。
「…なら一度くらいは、いいか」
「でしょお?はい、げとーセンパイも寝ますよー!」
「はいはい」
夏油は右腕に寄り添う温もりを自らも掴んでから、目を閉じた。
【終点】
校舎からも寮からも利便性が悪く、普段学生たちがあまり使わない自販機。
その隣に設置されているベンチに七海は座っていた。
背にもたれ、上を向いているその目にはタオルをかけているが、椋が来たことは気付いているだろう。
「ななくん、おかえり」
「……ただいま戻りました」
体勢を一切変えず挨拶だけするのは、拒絶。
しかし椋は意思を汲まず、七海の隣に腰掛けた。
しばらく両者黙っていたが、根負けした七海がぽつりと声を溢す。
「今日の任務で、二人、子どもが犠牲になりました」
「うん」
「俺が、上手くやれていれば…助けられたのに」
七海の性格からして、懺悔したいわけでも慰めてほしいわけでもない。
きっと、ただ大きすぎる感情があふれて、こぼれた。
なら、椋も思ったことを、ただ返すだけ。
「ぼくらの任務は、上手くいかなくったっていい、なんて言えない。上手くいかなかったら死に直結する。第一何をもって『上手く』いったと言えるのかもわからない。
それでも、」
この言葉は目を見て伝えたくて、七海の目を覆うタオルを攫う。
「ななくんがぶじに帰ってきてくれて、よかったよ」
【上手くいかなくたっていい】
「ぼくらの地獄は、最初から決まってた。
この世界に進む以外の選択肢は、生まれた時から…どころじゃないねぇ、母親のお腹の中にいる時からなかった」
椋は悲壮感もなく、いつものなんてことない表情でそう言った。
五条が同じことを言葉にしても、同じようになんの感情も出ないだろう。
なにせ前述の通り、自分たちにこの世界以外存在しないのだから、思うことなどなにもない。
「それでも、泣き喚いて、引きこもって、吹っ切れて、自分の意見を通すため交渉して、ここに来た。センパイもきっとわがまま言ったから、ココにいるんでしょ?
ぼくらがこんなところで出会ったのは想定されてない未来だと思うから」
「だから?」
一度、大きな瞳を伏して言葉を溜めた椋に、わかりやすく乗ってやる。
すると、朝顔が華やぐように笑顔が開いた。
「センパイと打算もなしになかよくなりたいなぁ」
「…あっそ」
「あ、でも打算なしは無理かなあ…家の人たちにも運命にも、ざまぁみろって言ってやりたいもん」
言い終わると同時に、椋は咽るように咳をする。
止まらない咳に、せっかく開いた朝顔が早々に閉じていく。
椋の中身は、朝顔のように慎ましくも清廉でもない。
でも、
「そういうのは嫌いじゃねぇよ」
咳で弾む椋の肩は、笑っているようだった。
いや、実際に笑っていた。
生意気だぞ、後輩。
【最初から決まってた】
はーくんは太陽みたいって言われそうなタイプだよねえ。
え?突然どうしたって?
ほら、このマンガで「キミはこの街の太陽だ!!」って言われててさあ。
元気で、ポジティブで、みんなを照らしてくれるように明るくって、いつもキラキラな笑顔で、情熱のある人のことをそんな風に表現しがちだよね。
でもぼくははーくんは太陽じゃないと思うなぁ…そんな大それたものじゃないって?ちがうちがう、はーくんは大それてるからぁ!自信持って!
そうじゃなくって、太陽みたいだーって言うのはいい意味の例えとして使われがちだけどぉ、結果的に光を注ぐだけで、ぼくらを照らすためにやってるんじゃないし、照らしてほしくないところまで明るみに引きずり出してくるもん。
それに太陽ってずーーっと遠いところにあって、近付こうものなら焼かれて溶かされちゃうでしょ?イカロスの羽根みたいに。
はーくんはそんな無責任で無慈悲なものじゃないもん。
そうだなぁ、はーくんを例えるなら、ライト…電球!
ぼくの近くで必要な時に、ぱって照らしてくれる電球みたい!
【太陽】
あぁ退屈や。
直哉は暇を持て余していた。
否、暇な訳ではない。それでも、分家のアイツも傘下の家のアイツの相手もつまらない。
怯えた目で頭の回らない会話も、上辺だけ媚びた脳足らずな存在も、直哉にはただただ退屈でしかなかった。
最新のゲームや憂さ晴らしの暴力は、最初は楽しいが、それもすぐに飽きてつまらなくなる。
しかし今日からは違う。
「こんにちは、なおやくん」
鈴を鳴らすような声が呼ぶ。
あれは、昨日自分が捕まえた小鳥だ。
さて、今日は何をして遊ぼうか。
遊び飽きたシンプルなボードゲームを教えてやるか、まずは昨日のように縁側に座って言葉を交わすところから始めるか。
普段なら絶対つまらないことでも、想像しただけで胸の中が躍るのはなぜだろう。
わからないが、こんな珍しい玩具は初めてだ。
大事に、大事に、すぐに鳥籠へ戻せる距離で遊んでやろう。
直哉は小鳥の腕を掴んで、己の鳥籠へ招き入れた。
【つまらないことでも】