たやは

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10/17/2024, 7:12:13 PM

忘れたくても忘れられない

前に借りていたアパートは、駅に近く、商店街の一本裏にあり、生活環境はすごく良かった。何より家賃が安く、事後物件を疑うほどだった。始めてアパートの部屋に入居したときは、1DKの狭さを感じさせない広い窓から入る陽の光の暖かさを気にいって住むことにした。

引っ越してきて2ヶ月が経った頃、毎晩のように金縛りに会うようになった。
時間はいわゆる丑三つ時のの2時前後。布団の中で体が動かせなくなり、手も足も力が入らなくて、「どうしょう」、「どうしょう」と思っていると胸の当たりが急に重くなった。苦しさに目を開けると、黒い影に大きな口だけの顔がニカッと口を開けて胸の上に乗ってこちらを見ていたのだ。

「うあっ」

恐ろしさのあまり変な声が出て目を覚ますパターンが1週間続いた。もうアパートで寝るのことが無理だと思い、大家さんに引っ越すことを告げた。

「あら、あなたは口しか見えなかったのね。」

は?口だけって。それでも怖くて、怖くてここに住むのは無理だ。

「そう。あれは座敷童子なのに。怖いなら仕方ないわ。きっと上手く付き合える人がいるはすだから大丈夫。」

何を言っているのか理解できなかった。座敷童子は会うと幸運になると言われる妖怪の一種だ。でも、でも、自分があの部屋で見たのは、口しかない黒い影だ。座敷童子ではない絶対に!

こうして、生活環境に恵まれた場所に建つ格安なアパートを去ることにしたが、あの影のことは、忘れたくても忘れられない体験となってしまった。
それから少しして、あのアパートが火事にあったと聞いた。おのまま住み続けたら命の保証はなかったかもしれない。大家さんのことが気かかるが、関わりたくなかった。火事のニュースでは怪我人がいなかったのが救いだ。

火事の跡地は更地になり再びアパートが建つようだ。あの影はまだ住みつくのだろうか…。

10/16/2024, 1:18:13 PM

やわらかな光


中学校は辛かった。もともとコミ障なのは分かっていたが、友達もできず朝から誰とも話さない日なんてざらだった。だんだん僕の存在はクラスから消え、挨拶さえ返してもらうことはなくなっていた。僕は本当に存在しているのか、自分自身でも分からなくなってしまった。

学校に行かな日が増え、自分の部屋に引きこもり始めた頃、突然僕の部屋を叩く音がした。誰だろう。
でも、僕にとっては誰で関係ない。僕の存在を消すなら消せばいい。僕は本当に消えてもいいのだから。

コンコン。

「こんばんわ。私は北海道で牧場を経営している松田と言います。突然すみません。私の甥はあなたのクラスの松田啓人です。啓人からあなたのことを聞いて来ました。また来ますね。」

松田啓人。誰だっけ。でも何でその人の叔父さんが来たのかな。でも僕に関係ないこと。

コンコン。

「こんばんわ。松田です。僕の牧場では牛を50匹と羊30匹を飼っています。みんな手がかかりますが、どの子も可愛いですよ。でも、その子たちを私は出荷して生計を立ててます。またお話ししましょう。」


コンコン

「こんばんわ。松田です。寒くなってきましたね。北海道の冬はもっともっと寒いですよ。牧場で牛たちが私を待っているので
帰ることにしました。」
「あなたも行きませんか。空港で待っています。持ち物なんていりませんよ。全部手放して来て下さい。大丈夫。待っています。私も牛も羊もあなたを待っています。」

僕を待っている人がいる。
僕を必要としてくれる人が動物がいる。
僕を認めてくれるならここから出たい。
新たな自分になるために全てを手放しても構わない。

やわらかな光を浴びて、飛行機に乗る僕は生きるための一歩を踏み出す。

10/15/2024, 11:33:38 AM

鋭い眼差し

試合の間、ブラジル代表の日本人監督は鋭い眼差しで戦況を見つめていた。

曽祖父じいさんが日本から船に乗ってブラジルに来て80年近くが経っていた。曽祖父じいさんはブラジルで柔道の道場を始めたが、柔道を知るブラジル人は少なく、なかなか生徒も集まらない状況だった。

それでも、柔道の素晴らしさを伝えるために、道場で生徒たちと汗を流していた。
生徒の中に柔道でオリンピックに出場した選手がいたことで、道場は有名となりおじいさんの代になる頃には、たくさんの生徒がいた。

柔道は力任せに相手を投げるたけでなく、相手の力を利用した技や体全体を使ったしなやかな投げ技が魅力だ。ブラジル人は柔道を好み、尊敬する愛好家が増えていった。

生徒たちが成績を残すことで、道場を継いだ自分の名声はどんどん上がり、ブラジル代表の監督として声がかかるようになっていた。

柔道世界選手権。
決勝の相手はブラジル対日本。 
監督としてブラジルを率いている自分。
そして、日本の監督は自分が選手のときのライバルだ。

相手の監督に鋭い眼差を向ける。柔道は日本だけのものでははない。先駆けとして辛い日々を強いられた人のためにもこの試合絶対に負けられない。

10/14/2024, 11:41:56 AM

高く高く

家に茶トラの猫のヨモギがやって来たのは、私が小6の時だった。父親が会社で生後1週間の子猫の里親を探していると聞き、見たら余りの可愛さにそのまま1匹連れて帰ってきていた。

子猫はヨモギと名付けられたが、まだ生まれだばかりで「ミィ。ミィ。」と小さな声で泣いてばかりいた。急に母猫から離され知らない所に連れてこられ、寂しさと不安があったのだと思う。それから毎日、ヨモギにミルクを飲ませ、トイレの手伝いを父と交代でやっていた。ヨモギも徐々に慣れ、ミルクもたくさん飲むようになって大きくなっていった。

今やヨモギは家族のアイドルだ。

ある日。
いつもはヨモギが外に出ないように窓や玄関の扉、勝手口もしっかり閉めてあるが、おばあちゃんが回覧板を持って勝手口から出たと同じタイミングでヨモギがおばあちゃんの足元をすり抜けて外へ出てしまうことがあった。
外で生活をしたことのないヨモギにとって外の世界は危険がいっぱいだ。
私たちは家族総出でヨモギを探したが、なかなか見つからず不安ばかりが浮かぶ。外で野良猫にいじめられてるかもしれない、車に跳ねられたかもしれない…。

ヨモギ。ヨモギ。帰ってきてよ。
お願いだから。

ヨモギは1週間経っても帰って来なかった。もう、自分たちでは探せないと諦めかけた頃、「ニャア〜」庭先に茶トラの猫がいた。ヨモギだ。帰ってきた。
帰ってきたヨモギはご飯をガツガツ食べた。外の世界では猫の縄張りもあるし、ご飯は食べられなかったのかもしれない。そのせいか、ヨモギは少し痩せていた。

ヨモギの家出事件から、家族はより一層ヨモギを甘やかし可愛かった。あの時は痩せていたヨモギも今やたくましくおデブになっていた。月日の流れは早い。


昨日、家族のアイドルだったヨモギは虹の橋を渡った。ヨモギの猫生は私たち家族と一緒で幸せだったたろうか。ヨモギに聞けないけど幸せであって欲しい。

今日はヨモギとお別れの日だ。空は青く澄み渡り、白い煙となったヨモギが高く高く、昇っていく。

ありがとう。ヨモギ。
私たち家族の所にに来てくれて。

ありがとう。
一緒に生活できて楽しかったね。
さよなら。ヨモギ。
また、会おうね。

10/13/2024, 10:37:04 AM

子供のように

秋晴れの今日は自治会の運動会が行われる。コロナ禍から5年。久しぶりの運動会だ。朝から弁当を持って孫を連れて、近くの学校の運動場に出向いた。

「お。三郎さん。おはようさん。今日は何に出るつもりかね。」

自治会の運動会では、誰がどの種目にでるかは決っていない。自分が出たいものに申し込むだけだ。運動会と言っても、大人たちは酒が入れば上機嫌だ。

自治会の運動会は大人たちの運動会と言っもいい。もちろん、子供が出る種目もあるが大人と一緒に出る玉入れや綱引きなどがある。

そして、リレーは大人たちの独壇場だ。

「位置についてー。よーい。どん。」

俺のチームは、三軒隣りの和男さんと向かえの川本さん、いとこの貴ちゃん。そして俺だ。平均年齢65歳前後。目指すは優勝だ〜。

「お〜!貴ちゃん!がんばれ〜。」

「川本さん。走れ〜。三番目だ~。」

「和男さん〜。あ!え!なんで転ぶだよ」


ピーポー。ピーポーピーポー

転んでしまった和男さんは、起き上がれず担架で救護所に運ばれたが、痛みがひかずに足が動かせなかった。そして、救急車に乗って総合病院へ搬送された。

久しぶりの運動会。酒も入り子供のようにはしゃぎすぎた。いい年した大人がはしゃぎすきた結末だ。

俺でなくて良かった。かもしれない。

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