嵐が来ようとも
小さいころのこと、大きな台風が住んでいる地域に上陸したことがあった。
夜が深まるにつれ、川が増水してあっという間に氾濫してしまった。私の家は平屋だったので、気がついた時には家の家中まで水が入り込み、避難を余儀なくされた。
しかし父は消防団として外に出ていて、家には母と兄弟2人たったこともあり、母はどうやって避難したら良いのか悩んでいたらしい。
この時は、隣の家の人が声をかけてくれて、私たち兄弟をおんぶして高台にある近所の人の家まで連れてきてくれた。
私はその時のことをよく覚えでいないが、近所のおじさんがザブザブと歩く水の音やおじさんのピンク色のシャツの肩に小さな葉っぱが付いていたことなど所々覚えていることがある。
近所付き合いなんて希薄にになっている昨今だけど、少し昔は嵐が来ようともみんなで助け合う風景がたしかにあった。
台風や地震などの自然災害の時だけでなく大切にしていきたい絆だ。
お祭り
久しぶりに実家に帰ってきた。
都会に憧れていた私は、高校を卒業してから地元を離れ都会の大学に進学した。就職も都会でしたため、実家に帰ってくるのは6 年ぶりになる。
駅に降り立つと昔と変わらない田舎のの風景が続いていた。実家に向かう道すがら、神社の境内からお囃子が聞こえ、夜店のイカ焼きのいい匂いがしてくる。浴衣を着た人、お面やりんご飴を買ってもらった子供たちが神社の境内へぞろぞろと歩いて行く。
昔は私も父さんに連れてもらって神社に行った。父さんは金魚すくいが得意で何匹も取ってくれたし、中学生のときは、友達と浴衣で出かけ下駄が痛かっことを思い出した。
私の田舎は小さな町だけど、この時期だけは華やかで、たくさんの人の笑顔で溢れる。
もっと早く帰ってくれば良かった。ちよっとだけ後悔するが、私の決めた人生だから真っ直ぐ歩いていきたい。
「ただいま〜」
家の玄関を開けると家の中からも大勢の人の笑い声が聞こえ、町と同じように賑わっているようだ。
リビングから「おかえり〜」の声はまだないのは、人が多くて母さんも気がつかないのだろう。
リビングを覗けば…
飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。
まさに「お祭り」騒ぎとなっていた。
カオス!
神様が舞い降りてきて、こう言った
「あーあ。いいなぁ~」
ここは神様が住まわれている世界。
神様はここで、人間界の秩序を守るために仕事をしながら暮らしている。
「か、神様〜! 神様はどちらにいらっしゃる。お前たちが着いていながら行方が分からないとはどういうことだ。」
神様はいつものように昼すぎに私室に戻り休憩を取っていたが、時間になっても姿を見せないため、従事の一人が様子を見に行ったが部屋はもぬけの殻だった。
慌てた従事が従事長に報告、従事長が騒ぎだし神様が行方不明だと大騒ぎとなった。
その頃、神様は人間界を覗いていた。なぜ覗いていたかと言えば、人間界から笛や太鼓、人間たちの声が聞こえたからだ。
祭りだ。
祭りと言っても盆踊りに縁日、七夕、お囃子やお神輿、夏祭りに秋の豊作祈願祭など、数え切れないほどあるが、神様が見ていたのは、小さな村の稚児舞。
稚児舞は、神事の場で演じられる踊りで5才から7才くらいの子供たちが伝統を引き継いでいく。
神様は子供たちが自分に奉納するために毎日、毎日一生懸命に練習していることを知っていた。
そして今日は子供の晴れの舞台だ。
あんなに練習していたのだから大丈夫、必ずやり遂げられると神様は信じていた。
そう、今日は仕事などしている場合ではない。あの子供たちの成果を見届けなければならない。
上手い! 上手い! そうだ。そうだ!
神様は身を乗り出し神事を見ているうちに人間界に降りて来てしまった。近くで見る稚児舞は子供たちの熱気に溢れ、見ごたえもあったしお囃子に合わせて踊る姿は皆が立派な舞踊家のようだった。
「あーあ。いいなぁ~。みんな上手く踊れているじぁないか」
稚児舞を見終えて戻ってくれば、従事長からさんざん怒られたが、「来年も見に行ってみようかな」と神様は今日見た稚児舞に心を寄せていた。
きっと来年も神様は人間界を覗き見しているはず。
誰かのためになるならば
日々の生活が自分のことで一杯な私にとって誰かのために何かをするなんて、なかなか難しい。
誰かのためになるならば自分を犠牲にしてもやり遂げる。なんて無理だ。
漫画の世界の話しかな?
イヤ!
この前見たバレーボールの国際試合で献身的にボールを拾い続けるリベロは、アタッカーが点数を取るため、ひいてはチームが勝つために体を張ってレシーブをいていた。
チームのためになるならば、どんなに強烈なサーブも高い位置から叩きつけられるスパイクもふっ飛ばされながらも拾う姿はまさに自己犠牲。
ちよっと違う気もするがバレーボールの試合を見て感動したのは事実で、感動した理由はお互いの力を信じてボールを繋ぎ、攻撃参加はしないがチームを支えたリベロがいたからだと思う。
地味なポジションでも重要なポジションのリベロ。私も縁の下から誰かを支えられるようになりたい。
鳥かご
東南アジアの都市に旅行に行ったとき、お土産物屋さんに置いてあった鳥かごを自分用に買った。鳥も飼っていないのになぜか欲しかった。
その鳥かごは、日本の空港の税関で袋から出し中を改められる位の大きさがあり、スーツケースの上に乗せて運んだが、自宅に着くころには買ったことを後悔していた。
自宅のリビングに鳥かごを置く。
東南アジアの町角でよく見る竹でできた鳥かご。アンティーク調でクラシカルな雰囲気もあり、現地で見た時よりもインテリアとして問題はない。
鳥かごを見ているとあの東南アジアの町並みが思い浮かび、鳥かごを作ることで生計を立て、たくましく生きている彼女たちの笑顔が忘れられない。
鳥かごは鳥を閉じ込めて飼うためのかご。
でも、鳥かごを作る彼女達は鳥かごを通して日本や世界とつながりを持ち、視野を広げて飛び立つ機会を得ようとしているのかもしれない。
自分用に買った鳥かごだけど、良い買い物をしたと思っている。