友情
幼い頃、兄についてスポーツクラブに行ったときに、初めて彼女に出会った。彼女はその頃から才能があり、県代表、日本代表、そしてオリンピック代表へと成長して行った。わたしは、彼女と同じスポーツをしていたが同じレベルに行くことはなく地元の仲間の1人だったけど、なぜか彼女とは気が合い、スポーツクラブの帰りに一緒にアイスを食べたり、彼女の家に遊びに行ったりもした。
そんな彼女とも、彼女がオリンピック代表になる頃にはテレビで彼女を応援する程度には疎遠となっていた。それでも彼女は地元のスターであり、わたしの憧れだったし、誇りてもあった。
つき日は流れ、彼女がオリンピックから帰ってきて2年が経つ頃には、彼女も競技でのピークが過ぎ引退の文字がちらついくほど追い詰められていた。
ある夏の日、わたしに突然彼女から電話がかかってきた。
「私。引退する。あなたには私の言葉で直 接伝えたくて。」
その3日後に彼女は本当に引退した。
彼女のこれまでの競技人生は栄光や挫折、楽しさや苦しさが入り乱れ、わたしには想像もできないものだったはずた。
でも、引退したこれからの人生は、彼女にとっては未知なる平凡な人生となるはず。
平凡な人生を歩んでいる友達としてズッ友でいたい。
大丈夫。平凡な人生だって楽しいことも辛いこともたくさんあるけど、私達の友情を持ってすればどんな人生だって最高の人生とすることができる。
私達の友情がズッ友である限り大丈夫!
花咲いて
小学生の頃は、田舎のおばちゃんの家に遊びに行き、そのままずっと田舎にいることが夏休みの恒例となっていた。
田舎では川に行き、橋の上から川に飛び込んだり、従兄弟達と花火もやったし、スイカを食べ、良く遊び、笑い、40日近くあった夏休みを謳歌いていた。
そんな夏休みの一番の思い出は、ひまわり畑の迷路だ。自分の背丈以上もあるひまわりが何万本と咲き乱れ、正規のルートを覆い隠す。歩いている道の角を曲がった先も見えない状態だ。
この迷路は、花が咲いていないと緑の草木のな中を歩いていくことになり、いまいちパッとしない。なんなら虫がでたり、地面がぬかるんでいるのが気にだしたりとかなりハードだ。
だか、黄色の大きな花が顔を上げると燦々と輝く陽の光に照らされ、鮮やかに咲くひまわり畑は黄金の海となる。
私達は、黄金の海に出た海賊だ。財宝を求め航海に出れば、ひまわりが行く手を塞ぎ迷路となる。
まさに花が咲いて巨大迷路が完成する。
もしもタイムマシーンがあったなら
過去に戻りたいか、未来に行きたいか。 過去に戻ってもう一度小学生からやり直すなんて大変そうで気力がない。テストにマラソン大会、友達との関係なんて面倒くさ過ぎる。
じゃあ未来はどうか。
地球の温暖化や自然破壊が進み、宇宙船に乗って地球から出ているかもしれない。新しい冒険は楽しそうだか、そんなテクノロジーの進んだ世界で、XやTikTok、SNSすら満足に使いこなせない自分が普通に生きて行けるだろうか?
無理そう。
過去も未来もいろいろなことで混沌としているなら、自分の足で確実な一歩一歩を築いていきたい。
明日も頑張ろう。
今一番欲しいもの
隣の家から歌が聞こえてくる。聞いたことのない昭和歌謡曲がテレビから流れ、それに合わせて歌う隣のおじさんの歌声が聞こえる。
カモメよ〜
カモメよ〜♪
なんの歌か知らないけれど、窓を開けた夏の夜の歌にしては、いささか大きな声で正直うるさい。
もう少し美声なら許せるが、低い声でしかも音痴だ。自分の部屋の窓を閉めてみたが、音の大きさが少し小さくなっただけでおじさんの歌声は変わらず聞こえてくる。歌番組をやっているテレビが悪い訳ではもちろんないが、早く歌番組が終わらないかと祈っている。
できることなら防音のガラスが欲しい。
隣から歌が流れる時にだけ防音になる窓ガラスが欲しい。
お題が届いた時に浮かんだのは、ブルーハーツだったのに…。
あれも欲しい これも欲しい
もっと欲しい もっともっと欲しい♪
今は…
カモメ〜♪
が飛んでいる。
私の名前
私の名前を決めたのは母だ。
6月生れになるからと「ジュン」に決めていたらしい。「ジュン」は英語で6月のことで「ジューンブライド」なんて言葉もあり、6月の花嫁は一生幸せになると言われてる。
母にとっては、ちょっとした憧れや子供の幸せを願ってのことかもしれない。
なのに私の名前は「ジュン」ではない。
私が生まれる2週間前に生まれた従兄弟の名前が「ジュン」だと聞き、急遽変更されたのだ。
母の憧れは2週間というタッチの差で、惜しくも破れてしまった。
まあ、そんなに思い入れもこだわりもなかったのだろう。
今は別の名前だけれどそれほどイヤな名前ではない。
むしろその当時の流行りの名前だったのだろう。中学生の時、同じクラスに私も含め同じ名前の子が4人いた。人気の名前だが困ることもあって、名前を呼ばれたら、それが自分のことなのか別の人のことなのか分かりづらく、返事をしていいのかダメなのか悩む場面が何度もあった。それもだんだん慣れていき、呼ぶ相手の声で自分に用事があるのかないのかが判断できるようになっていった。慣れとは恐ろしいものだ。
私の名前は母がつけたちょっと昔に流行った名前。この名前は私に馴染み、私を形成するものも1つになっている。
これからもよろしく!