『揺れる羽根』
天使の羽は動かない、という言葉を御存じだろうか?
神に使える天使は、全てを神に捧げており。
どんなことが起きても心が揺らぐ事がない。
だから、動揺して羽根が揺れることはないのだ。
……本当に?
「どうして、どうしてなんだ、兄さん」
「いけない、お前まで堕天してしまうよ」
いつもの優しい優しい兄さんが、天使の中でも一等優等生だと言われた兄さんの羽根が、真っ黒に染まっている。堕天だ。
「ミハエル。お前は神の言葉だけ聞いていなさい。けして、人間の言葉に耳を傾けてはいけないよ……これは、お前の兄として出来る最期の忠告だ」
そう言って兄だった物は落ちていく。
僕が羽根を揺らす事はない。ただただそれを眺めていた。
ただ一言。
「神は人間を救えと教えた。なのに、人間の言葉に耳を傾けるなと仰せなのか」
弱者を助けたいことと、弱者の言っていることに耳を傾けるのは違う事なのだ。彼らには自己理解が足りない。どうすれば自らが救われるのか理解出来ていない。何が救いなのかも自覚出来ていないだろう。
だから、神は正しい。……正しい、が。
「じゃあ、僕ら天使は人間から見たら、一方的に自分意見を押し付けて此方の意見を聞かない存在になるって事ですよね? それなのに、神は人間を助けようとするのか……そこまでして人間に助ける価値などあるというのか……それでも人間を助けることが神への忠信ならば、兄の分も“私”がやらねば……」
私の羽は揺れない。
しかし目の前でふわりと舞う黒く堕天した揺れる羽根を、
冷たい無機質な目をじとりと目に焼き付けつつ、唇を強く血が出るまで噛んだ。
(悪魔のほうが、マシかもな……)
そう思ったとしても、けっして口から出ないように。強く強く、噛み締めた。
私の羽根は揺れない…………まだ、
おわり
『秘密の箱』
秘密の箱には、何が入っている?
私の彼氏は秘密の箱を持っている。
一族の風習のようで、自分の秘密をそこに隠すらしい。
人の秘密を知るのなんて良くない。
しかし私はどうしても気になって、その箱を空けてしまった。
その中身は……。
「あれ、空っぽだわ」
不思議そうに首を傾げる私。
そこに彼氏がやってきて、手に持った箱と私を見て察した様子で口を開いた。
「何も驚くことはないよ。僕は君に対して、何の秘密も無かったってだけの話さ」
そう笑う彼氏に、なんだか気恥ずかしくなった。
真っ赤になる頬を隠して足早にその場を去る。
だから、こそ。
私には彼がその後呟いた言葉が聞こえなかった。
「いやはや。宝箱に宝を隠すほど馬鹿じゃない。隠したい物がある場合は、そもそもソレを持っていると知られない事だ。どんな鍵付き金庫だって場所を知られてたら時間の問題なのだから……」
そう言って秘密の箱の“底の部分”を弄り、中に入っていた自分の秘密をほくそ笑んだ顔でニヤリと笑っていた姿なんて。
おわり
『秋風🍁』
しんなりと萎びたニンジンのようだ、
我輩は秋風をそのように説いた。
その言葉に、眉を上げた輩が口を開く。
「そりゃあ、どういうことだい?」
「森や木々が枯れ落ちるは、命が燃え尽きることなりて」
畏まって我輩がそう言うと、輩は手遅れだというように呆れた顔で肩を竦めた。
……どうやら、我輩のセンスは一日千秋を越えて未来の流行を先取りしてしまったらしい。やれやれ。
終
『予感』
予感がした。
あぁ、きっと行くべきだ、と。
理由なんて無い。
むしろ理性は止めろ馬鹿と、けたたましい警報ベルのように鳴り響いていたが、本能がそれ以上に強く、強く欲した。
きっと、この手を掴まねば欲しい物は一生手に入らないぞ。と、それは砂漠で喉をカラカラにした旅人の前に差し出された草臥れて汚い水袋のように、その時確かに思えたのだ。
だから、こそ。
俺は……手を取った。
「俺、アイドルになります」
予感が、した。
きっと俺は、たくさんたくさん後悔する。
見なくて良い闇を見て、無遠慮に吐き出されるファンの皮を被った悪魔の罵詈雑言の心を使い古されたボロ雑巾のようにされる。
……それでも、それ以上に――今、行かないと一生ずっと後悔し続けるのだ。
やる後悔と、やらない後悔なら、俺は前者を選びたい。
差し出された手を強く握った。
その熱さと、自分の固い手、滲み出る自身の手から出る汗の居心地の悪さを、俺は一生忘れないだろう。
秋なのに、まだまだ熱い太陽の日差しに目を焼いた。
そんなよくある、秋の日だった。
おわり
『君が紡ぐ歌』
世界は大抵、理不尽だ。
いつだって本物の綺麗なモノより、上辺だけのメッキの美しさばかりが賞賛を浴びている。
ほら、今も……大きなステージ上では枕をした大根女優が如何にも清廉な新人ですとばかりに光のスポットライトを浴びている。
逆に、地道に雑用やら何やらとシンデレラの如き下積みを重ねた君は舞台裏でデッキブラシを握っている。
下手くそな調子外れの歌が舞台から聞こえる。
きっとこれも、彼女の愛人のパトロンである評論家が天使の歌声だのなんだのと高く評価するのだ。
下らない。
本物の天上の調べは、舞台の上では行われない。
光の当たらない陰で、誰も居ないところにのみ存在する。
いつもスポットライトを動かす僕は、そう思った。
ほら、まばらなカーテンコールが鳴る。
思っていたのとは違った。
そんな顔の客を見るたびに僕は愉悦に内心ほくそ笑む。
本物の歌が舞台の上では行われない怒りと、そんな本物の歌を自分だけが知っているという仄暗い優越感が僕の中を満たしていた。
ああ、はやく君の紡ぐ歌が聞きたい。
こんな下らない音符の羅列ではなくて。
金色の音色が奏でる本物のハーモニーを。
おわり