逃れられない
オレはオレを罰する。
握り拳で自分の顔を殴り付ける。
口一杯に血の味が広がった。
お母さん、御免なさい。
もう、赦して。
今は亡き母親に、
オレは何度も謝罪を繰り返す。
オレはオレを罰する。
鞭で自分の背中を打つ。
背中は腫れ上がり、血が滲んだ。
幾ら自分で自分を罰しても、
記憶の中の母親は、
オレを責め続ける。
…お前が悪い、と。
痛みで意識が遠くなっていく。
このまま、死んでしまえば、
楽なんじゃないか、なんて。
冷たい床に倒れ込んだまま、
一人で嗤ってる、オレがいる。
だって。
生きてる限り、母親の影から、
逃れられない、から。
また明日
私の隣で、君は静かに眠ってる。
恋人と会えない寂しさを、
私で埋める事が出来るなら、と。
罪悪感も倫理観も全て無視して、
私は君を抱き締めた。
…君が寂しそうだったから。
君には、そう告げたけど、
私は、君を言い訳にしたんだ。
本当は。
君と仮初の恋に落ちることで、
昔の恋人への未練から、
逃げたかっただけ。
そんな君と二人で過ごす夜は、
悲しくも、温かくて、
何かを求めるように私に縋る君は、
切なくも、愛おしくて。
でも、君が本当に愛しているのは、
私じゃなくて、恋人なんだって。
こんな事、最初から分かってたのに、
その事が、酷く苦しくて。
君にこの台詞を告げる事ができるのは、
もしかしたら、
今夜が最後かもしれない。
そんな寂しさを、押し隠して、
隣で眠る君に、私はそっと囁く。
…おやすみ、また明日。
透明
恋人に会えないのが寂しくて。
その心の隙間を埋めるように、
貴方を求めました。
こんな私を、貴方は温めてくれました。
貴方が私の恋人だったらいいのに、と、
そんな自分勝手な事を思って、
藻掻く様に、貴方に手を伸ばしました。
そんな私の怯えて震える手を、
貴方は、優しく握って下さいました。
余りに不道徳な、二人の時間。
密やかな口付けの間を、
『愛している』という言葉が、
零れて、落ちていきました。
貴方の心の中に、私ではない、
別の誰かがいるのは、分かってました。
だけど、私は。
何も気付かない振りをして、
幻影の恋に溺れるのです。
このまま貴方と、
透明になってしまいたい。
私の恋人も、貴方の想い人もいない世界で、
貴方と二人、透明に溶け合ってしまえば、
私はもう、こんなにも泣かないで、
いいのでしょうから。
理想のあなた
憧れのあなた。
その姿に、密かに心をときめかせて。
でも、
貴方の事を、遠くから眺めてるだけで、
十分なんだって、自分に言い聞かせて。
だって。
俺が憧れてる貴方は、
強くて、優しくて、真面目で、
仕事が出来て。
そして、
…恋人と仲が良くって。
そんな貴方が、素敵だって思うから。
俺が心の中で、そっと。
理想のあなたを思い描けば、
何時でも凛々しい貴方の隣には、
優しく微笑んでる貴方の恋人がいるから。
貴方の隣に立てないことが、
悲しいとも、悔しいとも思えなくって。
俺は、今日も。
ただ。
…理想のあなたを見守るだけ。
突然の別れ
病気や寿命で人が亡くなる。
…これは仕方のないことだし。
事故や怪我でで人が亡くなる。
…これも避けようもない事もある。
戦争や飢えや疫病で人が亡くなる。
…悔しいけど、どうしようもない時もある。
だけど。
誰かに殺される。
それは、遠い世界の出来事だと思ってた。
先輩が殺された。
友達からそう聞いた時。
俺は全く信じられなかった。
だって、あんなに優しい先輩が、
誰かに殺されるなんて、ある訳ないって。
だけど。
先生まで、青ざめた顔をして、
先輩の訃報を告げた。
その瞬間。
俺の世界は暗転した。
突然の別れ。
受け入れられる筈もない。
だって、先輩は。
さっきまで、そこで笑ってたんだ。
俺と、下らない冗談を言ってたんだ。
俺は泣き叫んだ。
狂ったかと思われる程に。
だけど、幾ら泣いても叫んでも。
悲しみが癒える事は無かった。
あれから何年か経った。
俺は、至って普通に暮らしている。
だけど。俺は…。
未だに街中や人波の中に、
探してしまうんだ。
…未だ憧れ続けている、貴方の面影を。