二人だけの秘密
私の掌の上には、
傷だらけの指輪が一つ。
鈍く光る指輪の内側には、
懐かしい君のイニシャルが、刻まれてる。
まだ、君と私が恋人だった頃の、
ペアリングの片割れ。
私と君の関係は、世間的には、
決して褒められる事ではなかったから。
お揃いの指輪を買っても、
堂々と指に嵌める事は出来ない。
それでも良いからと、
無理に買ったペアリング。
それは、切なくて甘い、二人だけの秘密。
だけど。ある日、君は私の元を去り、
私と君は、只の同僚に戻った。
あれから、年月が経って。
今は、あの頃と違って、
お互い立場もあるし、守るべきものも出来た。
だから。
私が幾ら、あの頃の関係に戻りたいと願っても、
叶わない事は、嫌という程分かってる。
それでも。私は。
今でも『二人だけの秘密』の片割れを、
棄てられずにいるんだ。
優しくしないで
ボクは、別にお前なんか、
好きでも何でもないし。
ホント、マジでウザいんだけど。
だって。
ボクが仕事に飽きて、サボろうとすると、
目敏く見つけて、説教するし。
ボクが、ちょっと掃除の手抜きをしただけで、
やり直せ、と文句を言うし。
ボクが、つまみ食いしただけで、
めちゃくちゃ、怒るし。
どうせ、真面目なお前は、
こんなボクの事が嫌いなんだろ?
だけど。
ボクが具合悪くして、寝込めば、
こっそり、看病してくれるし、
ボクが仕事でミスれば、
こっそり、フォローしてくれる。
何だよ。お前。
ボクの事が嫌いなら、
優しくしないで。
そんなふうに優しくされたら、
ボクはお前の事を、
本気で、嫌いになれないじゃないか。
頼むから。
お前の事を、嫌いにさせて。
そうじゃないと。
ボクは何時迄も、お前のコトを、
諦められないから。
カラフル
キラキラと輝く5月の光が、
新緑萌える木々の葉を輝かす。
花壇には、春を待ち侘びた、
色取り取りの花が咲き乱れる。
そしてまだ冷たさの残る5月の風が、
枝を、葉を、花を、
そよそよと、揺り動かす。
そんな、思わず浮かれてしまいそうになる、
爽やかで、少しだけ愉しげな風景も。
俺なんかには、眩し過ぎて。
暗い部屋の中の窓辺に立ち、
窓から、爽やかな景色を眺め、
深い深い溜息を吐く。
空の蒼。木々の葉や草の緑や翠
花々の朱、紅、黄、橙、白、桃色…。
余りに、カラフルで。
灰色にくすんでいた俺の心は、
ますます掻き曇り、
灰色から黒へと沈んで行くばかり。
そんな、カラフルな風景の中を、
何の屈託も衒いもなく、歩く君は、
俺には余りに眩しくて。
憧れを抱く事さえ、烏滸がましいって。
半ば身を隠す様に、そっと窓から、
カラフルな世界を歩く君を見つめる。
灰色の世界から、
カラフルな世界に居る君を、
そっと見つめている俺に、
気付いてくれないかな。
…なんて。
楽園
綺麗に飾り立てられた街。
馬車が走りやすい様に敷かれた石畳。
着飾った貴婦人達が行き交う、
華やかな大通り。
しかし。そんな華麗な街も、
路地一本隔てれば、
舗装もされない、でこぼこな細い道に、
吹けば飛ぶような、建物と言えない小さな小屋が、
ひしめき合う様に立ち並ぶ。
そんな狭く光も碌に射さない路上には、
痩せ細った人が、半ば倒れ込む様に座り込み、
垢に塗れ襤褸を纏った子供が、
今日を生きる為に、犯罪に手を染める。
見せ掛けの華やかな表通りも。
暗く汚れた裏通りも。
何一つ良い所なんて無い。
人の怨念や悪意が渦巻くだけの、
欲望の街。
そんな汚泥の中で、
溺れそうになりながら、
オレは必死に藻掻く。
そして、力尽き、
そのまま底へと沈んで…。
だけど。
闇に沈んだオレを、
誰かが、力尽くで光の元に引き摺り上げた。
…酷く強引に。
溺れたまま、闇に取り込まれる事を、
受け入れてしまったオレを、
陽のあたる場所に、連れ出したんだ。
オレは…死ねなかった。
なら。もう一度藻掻いて見ようかと思った。
…楽園を求めて。
風に乗って
少し暖かくなってきたから、と、
仕事の合間に俺は、
部屋の窓を開けて、大きく息を吸う。
窓の外は、新緑が萌え、
疲れ切った俺の心が、
少しだけ軽くなった気がした。
耳を澄ますと、小鳥の鳴き声に混ざって、
風に乗って、微かな歌声が聞こえる。
きっと、あいつが、
掃除をしながら、歌っているのだろう。
恥ずかしがり屋のあいつは、
人前では歌わない。
一人で掃除をする時には、
こんなに愉しげに歌うのに。
風に乗ってやってきた、
あいつの本当の姿。飾らない歌声。
何時か俺の前で、歌って欲しい。
着飾らず、構えず。
自然体のあいつを見たいんだ。
窓から少しだけ顔を出し、
あいつへの想いを呟く。
面と向かっては、告げられない想いを。
俺の言葉が、風に乗って、
あいつの元に、届いてくれないだろうか。