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9/10/2024, 3:07:32 PM

世界に一つだけ

 人が作ったものでも 機械が作ったものでも
 世界に一つでないものは
 実際どれくらい あるのでしょうか



  昔、誰かのことを「変わってるよねぇ」と半笑いで噂する人を見るたびに、「この人は誰かと同じなのかな」と思っていたことを、久しぶりに思い出しました

9/9/2024, 3:49:47 PM

胸の鼓動

 誰かを好きだと 速くなる
 怖くても 速くなる
 死ぬと 止まる
 安らぐと ゆっくりになる

  できれば いつでもゆっくり
  ときめいた時だけ 速く
  
 誰の鼓動もいつかは止まるのだから
 せめて少しでも 幸せでありますように

9/6/2024, 3:05:39 PM

貝殻

「ひろったかたへ さがしにいきます」

 久しぶりに家に帰る前日に、その貝殻を拾った。大きな二枚貝の片方で、掌くらいの大きさ。外側は緑がかった黒で、磨き上げたようにつるりとしている。
 残念なことにこの文言は、内側の美しい真珠色の部分に書かれて(?)いた。引っ掻いたものではない。試しに擦ってみたが落ちなかった。
 どうやって探すんだろうか。そもそも、普通は「拾った人はここへ連絡を」とか書くんじゃないだろうか。
 二枚貝は自分の片割れとだけぴったり合う、と本で読んだ。そこらを歩き回ったが、貝殻は見当たらない。

 この辺りには幾度となく来ている。だが今までは缶詰めになっているばかりで、海辺に出たのは初めてだった。実は海を見るのも初めてだ。
 真っ白な砂ばかりで、他に貝殻らしいものはない。落ちているのは観光客の捨てた空瓶ばかりだ。宿もレストランもない処だから、景色を見るだけ見て捨てて行くらしい。「絶対にゴミは拾わないでください」と厳しく申し渡されていたので、諦めて帰った。
 貝殻を拾ったことはすぐにバレて叱られたが、「思い出に」と、ものすごく丹念に洗って返してくれた。それでも「ひろったかたへ」の文字は消えていない。「しばらく戻ってこないでくださいね」そう言われながら、家に帰った。

 うちにいる間に、文字は何度か変化した。
「さがしています」
「ずっと さがしています」
「まだ さがしています」

 ある雨の日に、また海辺へ戻ってきた。その前に自分の部屋を念入りに片付けて、いくつかメモを置いてきた。外出は許されず、天気もずっと悪いまま。ただ横になっていた。
 ある晴れた日に外へ出たいと言ったところ、若い医師は困ったような顔で俯いた。
「先生、慣れないといけませんよ」
 彼は頷いて、それでも顔を上げなかった。
 どうか、慣れてほしい。あなたは死を待つ患者たちに対して、いつも誠実に接してくれる人だから。

 海辺、空瓶、空瓶、時々色のついた石。ふと見返すと、貝殻の文字は消えていた。
 突然、「緑なす黒」をした何かが見えた。
 両膝をついて手を伸ばすと、ふいに誰かが自分の身体を支えてくれた。片手に黒い貝殻を握っている。
 振り向くと、彼がいた。
 彼の目は綺麗な空色で、声はとても優しかった。
「貴方を探していたんです」
 たぶん、僕もそうだと思います。

 二つの貝殻は、ぴったりと合った。

8/30/2024, 12:37:24 AM

突然の君の訪問。

 座るのは、電話のそばと決めている。
 いつ呼び出しが来るか分からないからだ。
 電話がかかってきたのは明け方だった。また出ないといけないらしい。仕方ない、風呂も着替えも省略しよう。
 何か言っていたが、生返事をして切る。
 一旦目を閉じた。

「おはようございます」
 目を開けたら、彼がそばにいた。
「鍵がかかっていなかったので、安全確認のため入りました」
「…何で君が?」
 いてくれたらいいな、と常々思っていた相手が本当にいるとびっくりする。
「部長からのご伝言があったと思いますが、お迎えにあがりました。車は待たせています」
「じゃ行こう」
 立とうとすると、「失礼します」と両肩をがしっと摑まれた。力強い。そして手が大きい。
「せめてお顔と、できれば手足も洗ってからにしましょう」
「いいよめんどくさい」
「いえ、小綺麗にして来ていただくように、と言われています」
 そう言えば電話で、オックスブリッジで話せる人間が云々と言われた覚えがある。
「そんなおエラい容疑者いた? 私は記憶にないんだけど、うちの課の仕事?」
「分かりません、ただお迎えに行って困ったことがあればお手伝いするように、とだけ言われました」
 とりあえず、今の自分がかなり小汚いことを思い出した。消えてなくなりたい。
「歯磨きしていい?」
「ぜひお願いします」

 久しぶりに全身を洗い上げたところで、タオルを忘れたのに気付いた。
 恐る恐るドアを開けると、シャワー室から拝借してきたらしいものが差し出される。バスタオル二枚で全身を覆い隠すと、彼は髪を乾かしてくれた。
「着替えるけど、できないことがあるから手伝ってほしい」
 シャツのボタンを全部留めてタイを締めてくれる間、彼は何も訊かなかった。久しぶりにウエストコートも着た。
「帽子は玄関のでよろしいですか」
 そう言えばそんなものもあったな。
 彼は鞄からブラシを取り出すと、埃を被ったものをきれいにしてくれた。
「行きましょう」
 彼はとても綺麗な青い目をしている。まっすぐで、とても優しい。毎日来てくれたらいいのに。
「ご指示があれば伺います」
 願望が口から漏れ出ていたらしい。
「…誰のところでも来てくれるの?」
「必要があり、ご指示があれば」
「いつでも?」
「はい」
 必要というか願望はあるが、それが勝手な欲であることは分かっている。彼が「人間」の命令を拒否できない存在だということも。

 さるやんごとないご身分の方-慈善家で子供好き-が恥ずべき犯罪の容疑をかけられており、その取り調べを手伝った。そう言えば私は実際より若く見えるため、「子供」扱いされることが多い。上目遣いで話を聴いていたらぺらぺらとモテ自慢(つまり自白)を始めたが、婉曲的だが卑猥な言葉を散々かけられた挙句、彼や部下たちのことを「あんな汚い男ども」と言ったので顔面に一発お見舞いしてしまった。
「お怪我はありませんか」
 君が毎朝訪ねてきて、こんな風に心配してくれたらいいのに。

 明け方に呼び出されて変態の相手をさせられ、そのせいで始末書を書く羽目になった。
 自分の相棒であるはずの彼は、誰かエラい奴に連れ出されている。人間より頑丈で人当たりもいいので、弾除けだの不良少年の補導だのに連れ回したがる連中がいるのだ。こちらも誰かエラい奴に苦情を入れなければ。
 タイプライターを睨みつけていると、不意に部下たちの声が飛び込んできた。
「それで、一緒に住むことにした。一年くらいで結婚しようかって言っててさ」
「一年あれば結婚できるの?」不躾だが割り込んでしまった。
 相手が人間なら簡単そうだが、聞いてみると面倒な手続きが山ほどあった。
 相手の合意なし、脈なし、さらに相手は国家の所有物。なかなか難しい。
「まずは頑張って、お相手に気持ちを伝えましょう」
 その通りにした。正確には、必要な書類と金、国との取引材料と新居をじっくり揃えたうえで、彼に「必要性」を訴えた。
「指示」はしていない。たぶん。

 君は毎朝、突然訪ねてくる。つまり目が覚めるとそばにいる。
 世間ではこの行為を「起こす」と呼ぶ。
 私は毎日自分の幸運に驚いて、君が手際よく私を小綺麗にしてくれるのをぼんやり見ている。
 もらうばかりで、何も返せていない。ある晩そう言うと、彼は「指示されてではなく自分で考えたことをすると喜んでもらえる、これは幸せなんじゃないかと思います」と言った。
「君は何でもできるから、することが思いつかないんだよ」
「じゃあ、嬉しい時だけ喜んでください。あと、悲しい時には教えてください」
 これが「嬉しい」という気持ちだと分かったので、思い切りしがみついた。
 また明日、突然の君の訪問が楽しみだ。

8/27/2024, 1:30:17 PM

私の日記帳

「日記」と呼べるものを書いたのは大学の四年間だけだ。
 確か無印良品の厚手のノート(焦茶のカバー付き)に、最初は無印の水性ボールペン(ブルーグレー)、その後は死んだ父の机から出てきたモンブランの万年筆で書いている。ぱらぱらめくってみると、こんな特徴があった。

 ・固有名詞がほとんど出てこない(親戚や友人の名前など)。
 ・咲いている花や気温と暑さ寒さの体感は妙に細かく書いてある。長袖と半袖の境界は気温22°、冷房をつけずに耐えられる限界は32°だったらしい。
 ・夏休み(文系・レポート中心のため何と二ヶ月半もあった)のほとんどで、「今日も何もせず過ごしてしまった」と、どれくらい時間を無駄にしたかがかなり具体的に書いてある。◯時にようやく起床、△時までぼんやりテレビを見て云々。
 ・よほどの場合を除き、「自分の気持ち」もほとんど書いていない。例えば時間を無駄にしたことについても、「どう無駄にしたか」ばかりで「それでどう思ったか」「どうしたいか」は一切ない。意識が低い。極めて低い。
 ・「出来事」もかなり省略されている。「父の法事なのに、両親とは結婚式でしか会っていない祖母のきょうだい(苛烈な性格で皆に嫌われていた)の隣に座らされ、その人の信じる新興宗教の話を延々聞かされた。誰一人止めに入らず、そもそも誰もその席に座ってくれなかった。何故、故人の娘である私が『接待』をしなければならないのか」
 客観的にはこう書くところを、ただ
「とても不愉快なことがあった。あの場にいた大切な人たち(※母ときょうだい、父の母のこと)以外の全員を、多分ほんの少し恨んで生きていくと思う」とだけ書いている。こういう時くらいしか自分の感情を書いていない。

 そして最大の発見はこれである。
 ・「毎年、『今年は秋が無かった』と書いている」(※一九九〇年代後半〜二〇〇〇年代前半)。

「私の日記帳」は残念ながらあまり素敵ではなかった。
 しかし自分がかつてものすごくヒマであったこと、それでも大したことをしていないこと、でもそれなりに幸せだったこと、だからまぁ忙しくて持病もあって、それなりに大変な今、無理に復活させなくてもよい習慣であろうということ、そして二十年以上前から秋という季節は吹けば飛ぶような何かになっていたこと。
 そういったことが分かっただけでも、本日のお題は価値あるものであったと考える次第である。

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