貝殻
「ひろったかたへ さがしにいきます」
久しぶりに家に帰る前日に、その貝殻を拾った。大きな二枚貝の片方で、掌くらいの大きさ。外側は緑がかった黒で、磨き上げたようにつるりとしている。
残念なことにこの文言は、内側の美しい真珠色の部分に書かれて(?)いた。引っ掻いたものではない。試しに擦ってみたが落ちなかった。
どうやって探すんだろうか。そもそも、普通は「拾った人はここへ連絡を」とか書くんじゃないだろうか。
二枚貝は自分の片割れとだけぴったり合う、と本で読んだ。そこらを歩き回ったが、貝殻は見当たらない。
この辺りには幾度となく来ている。だが今までは缶詰めになっているばかりで、海辺に出たのは初めてだった。実は海を見るのも初めてだ。
真っ白な砂ばかりで、他に貝殻らしいものはない。落ちているのは観光客の捨てた空瓶ばかりだ。宿もレストランもない処だから、景色を見るだけ見て捨てて行くらしい。「絶対にゴミは拾わないでください」と厳しく申し渡されていたので、諦めて帰った。
貝殻を拾ったことはすぐにバレて叱られたが、「思い出に」と、ものすごく丹念に洗って返してくれた。それでも「ひろったかたへ」の文字は消えていない。「しばらく戻ってこないでくださいね」そう言われながら、家に帰った。
うちにいる間に、文字は何度か変化した。
「さがしています」
「ずっと さがしています」
「まだ さがしています」
ある雨の日に、また海辺へ戻ってきた。その前に自分の部屋を念入りに片付けて、いくつかメモを置いてきた。外出は許されず、天気もずっと悪いまま。ただ横になっていた。
ある晴れた日に外へ出たいと言ったところ、若い医師は困ったような顔で俯いた。
「先生、慣れないといけませんよ」
彼は頷いて、それでも顔を上げなかった。
どうか、慣れてほしい。あなたは死を待つ患者たちに対して、いつも誠実に接してくれる人だから。
海辺、空瓶、空瓶、時々色のついた石。ふと見返すと、貝殻の文字は消えていた。
突然、「緑なす黒」をした何かが見えた。
両膝をついて手を伸ばすと、ふいに誰かが自分の身体を支えてくれた。片手に黒い貝殻を握っている。
振り向くと、彼がいた。
彼の目は綺麗な空色で、声はとても優しかった。
「貴方を探していたんです」
たぶん、僕もそうだと思います。
二つの貝殻は、ぴったりと合った。
9/6/2024, 3:05:39 PM