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私の日記帳

「日記」と呼べるものを書いたのは大学の四年間だけだ。
 確か無印良品の厚手のノート(焦茶のカバー付き)に、最初は無印の水性ボールペン(ブルーグレー)、その後は死んだ父の机から出てきたモンブランの万年筆で書いている。ぱらぱらめくってみると、こんな特徴があった。

 ・固有名詞がほとんど出てこない(親戚や友人の名前など)。
 ・咲いている花や気温と暑さ寒さの体感は妙に細かく書いてある。長袖と半袖の境界は気温22°、冷房をつけずに耐えられる限界は32°だったらしい。
 ・夏休み(文系・レポート中心のため何と二ヶ月半もあった)のほとんどで、「今日も何もせず過ごしてしまった」と、どれくらい時間を無駄にしたかがかなり具体的に書いてある。◯時にようやく起床、△時までぼんやりテレビを見て云々。
 ・よほどの場合を除き、「自分の気持ち」もほとんど書いていない。例えば時間を無駄にしたことについても、「どう無駄にしたか」ばかりで「それでどう思ったか」「どうしたいか」は一切ない。意識が低い。極めて低い。
 ・「出来事」もかなり省略されている。「父の法事なのに、両親とは結婚式でしか会っていない祖母のきょうだい(苛烈な性格で皆に嫌われていた)の隣に座らされ、その人の信じる新興宗教の話を延々聞かされた。誰一人止めに入らず、そもそも誰もその席に座ってくれなかった。何故、故人の娘である私が『接待』をしなければならないのか」
 客観的にはこう書くところを、ただ
「とても不愉快なことがあった。あの場にいた大切な人たち(※母ときょうだい、父の母のこと)以外の全員を、多分ほんの少し恨んで生きていくと思う」とだけ書いている。こういう時くらいしか自分の感情を書いていない。

 そして最大の発見はこれである。
 ・「毎年、『今年は秋が無かった』と書いている」(※一九九〇年代後半〜二〇〇〇年代前半)。

「私の日記帳」は残念ながらあまり素敵ではなかった。
 しかし自分がかつてものすごくヒマであったこと、それでも大したことをしていないこと、でもそれなりに幸せだったこと、だからまぁ忙しくて持病もあって、それなりに大変な今、無理に復活させなくてもよい習慣であろうということ、そして二十年以上前から秋という季節は吹けば飛ぶような何かになっていたこと。
 そういったことが分かっただけでも、本日のお題は価値あるものであったと考える次第である。

8/27/2024, 1:30:17 PM