視界が突然、明るくなる。
瞼を開けたから、目に光が入ってきたのだ。しばらくの間、瞼の裏を移していたせいでその眩しさに目が眩む。眩しくて、目を細めて。そのまま再び、瞼を閉じた。
まだ、微睡みから抜け出せていないようで、欠伸のような深い呼吸をひとつ。酸素が身体を巡って、少しずつ意識が覚醒していく。
「んんー............」
重たい瞼を持ち上げたら、身体をぐいーっと伸ばして、また、欠伸。すると膝の上でも、小さな欠伸が聞こえて視線を移す。そいつは、欠伸の後に身体をうんと伸ばして、太ももに柔く爪を立てた。
目の前にある机には、飲みかけのココアと閉じられた本。栞が挟まれていないそれは、眠気に勝てなかった証拠だった。
膝の温もりが、ゆっくりと離れていく。あまりにポカポカとしていたせいか、触れる空気が冷たく感じる。けれどそれも、数分あればすぐに馴染んだ。
なんの音も無い静寂の中、開けたままの窓から風だけが優しく入り込む。それは、カーテンをふわふわと靡かせ、その様子をぼけーっと眺めながら、これから何をするか考える。
そういえば、居眠りをする前は何をしていたっけ。本を読んでいた、けれど、それだけではない気がして、辺りをぐるりと見渡した。
「そうだ、......帰ったんだ」
先程まで、このソファの上。隣には、人が居た。その人は、一緒に居ると落ち着く、安心する、猫のような雰囲気で、長くいればいるほど犬みたいな一面が見られる。そんな人だった。その人を家に呼ぶ時は、一人になりたくない時で。寂しくて、話したくて、けれど話したくなくて。そんな、曖昧で複雑な心情の時、メッセージをひとつ。
『ココア入れて』
それを送るとすぐに来てくれて、何も言わず隣に座る。声をかけることはしない。が、ぽつり、と会話が始まると、隙を見て温かいココアを入れてくれるのだ。その優しさに、温もりに、いつもお礼を言えず甘えている。そんな素直じゃない性格の自分が、その度に嫌いになった。
ぼんやりとして、まぶたが重くなってくると、優しく頭を撫でられる。そして、そのまま眠りにつくのだった。だから、起きた時にはいつも姿はない。寝かしつけるのが、目的だからだ。
寝ている間に帰られると、引き止めることすら出来ない。再び呼び出すことさえも、出来ないから。いつも、狡いと思いながら、その狡さはきっと受け止めるべきもので、呼び出す変わり、なのだろう。だから、目が覚めても隣に居て欲しい、なんて、そんな贅沢は言えなかった。
これで、いいんだ。
むしろ、これがいいのかもしれない。
続くのなら。
続けていいのなら。
肌に触れる風が、冷たい。この季節ではまぁ、当たり前のことかもしれないけれど、今日の風はいつもよりも冷たい。温度が、明らかに違っていた。
凍らせてやる、とでも言いたげに、何度も何度も前髪を揺らし、服の隙間から芯まで冷やす。マフラーで口元を被っても尚、隠れきれずにいる目元や耳の温度が痛いくらいに下がっていて。我ながら馬鹿だな、と心の中で呟いた。
視界には、地平線。こんな、雪雲で濁った暗い海を、何故か寒い思いをして見に来ている。
何故、ここに来たくなったのか。それは自分でも分からなかった。ただの、気まぐれというやつだ。そして偶然、それがとてつもなく寒い日で、今にも雪が降りそうな天気の時だった。ただ、それだけ。
冬の海が好きだ。暑くて、キラキラと眩しい夏の海も好きだけれど、ひねくれた性格のせいか、季節外れのこの時期の方が綺麗だと自分の中で言い張って、毎年絶対にこの景色を眺めている。しかも今日はもっと綺麗になるはずだ。だって、これから『白』が増えていくのだから。海は青が似合うし、それが当たり前かもしれないけれど、白だって有り得ないほど似合う。それを、きっと知っている人は少数だろう。そうだと、良い。
眠れない夜、瞼を閉じてもぐるぐると思考が巡ってしまう日。そんな時は、なんの宛もなく家を出て、月明かりの下を歩く。
自分の体温で温まっていた布団と、外の気温の差が大きすぎて、ドアを開けた瞬間身体が小さく震えた。それでも、家に戻ろうとかそんな事は思わない。とりあえず、温かい飲み物を手に入れたくて、近くの公園を目的地に足を一歩一歩進めた。
手袋をしながら、小銭を掴むのは割と難しい。目の前の自販機は悪くないけれど、少しだけ鋭い目つきを向けながらなんとか飲み物を購入する。
コーヒー、を買ってしまえば本当に眠れなくなってしまうし、ココアやミルクティー、はちみつレモンは深夜のこの時間には甘すぎる。だから一番シンプルで、優しいお茶を両手で包み、頬まで近づけた。
「あったか.........」
次は中も温めるべく、一口をゆっくり身体に流し込む。ゴクリ、と喉を通せば、それが流れていく感覚がハッキリと分かるくらいあたたかくてホッとする。
ふぅ、と白い息を吐き出して、溶けていくのを見届けてからまた、足を進めていく。ここの公園はとくに大きいわけでもないし、特別凄いものがあるわけでもない、普通の公園だ。けれど、ココには池があって、その近くにはベンチがある。そこで、ひなたぼっこしながら本を読むのが好きだった。時折、池の中を覗いては、鯉を目で追っていた。そう、お気に入りの場所、なのだ。
コトン、とベンチにお茶を置き、先に池を覗きに行く。と、寒さからだろう。池には薄らと氷が張っていて。月の光でキラキラと輝いている。そこに移る真上の月が、まるで氷の上に落ちているみたいに近く感じた。
先程まで澄んでいた空の色が、少し目を離した隙に濁った雲で隠れていた。
冬らしい雲の色。この景色を見たあとはだいたい、白くて冷たい、雪が降る。
初めはゆっくり、ハラハラと、見惚れる程に綺麗なそれも、時間が経つにつれて、目で追うのも大変なくらいたくさん降ってくるものだから、降り始めだけは眺めていたかった。
急いで玄関まで行き、靴のかかとを踏み潰しながら外へ出る。どれだけ冷たい空気が肌を撫でようと、白い息を吐きながら空を見上げて、頬に触れるその冷たさを時折マフラーで撫でながら楽しむ。
「………さむっ」
夜でも、空は澄んで見える。昼間とは少し違う、透き通った空だ。月や星が、それをより引き立たせてくれる、のだけれど。雪雲によって濁る今の空は、綺麗、とは言い難い。だがそれは、あくまで『空』の話。上が濁っている代わりに、下では儚げに淡く光る雪が目立っていた。暗くても、よく見える。まるで自分から光を放っているかのように、よく、見える。それはあまりにも、綺麗な景色だった。
しかしこれは、太陽が登れば綺麗ではなくなる。土の色、踏まれた時に移る色、などが、雪の色と混ざっているのがハッキリと見えてしまうから。