「冬の足音」
会社にいると風や天気、気温が分からないという休日家に引き篭もった時と同じ体験ができる。特に窓が少ない工場なんて、たとえ雷が鳴っていたとしても停電にならない限り分からない。
外にいるはずなのに外のことが分からない。
心身ともにくたびれて会社のドアをくぐって初めて地面が濡れているのに気付き、雨が降ったことを知る。
天気や気温を感じることができないだけで人間の本能的にまずいのではないかという一抹の不安を覚える。
季節を知るのはやけにテンションの高い液晶の中と帰り道に感じる太陽の残り香だけだ。桜の開花宣言も海開きも紅葉もどこか別の世界のようだ。
しかし冬だけは別なのだ。
冬は太陽が沈んでからゆっくりと歩みを進める。
つまり帰り道俺が夜に向かって歩いて行くのと同じ歩幅で冬も寄り添ってくれるのだ。
「冬になったんだな」
頬を切るような風を感じて少し嬉しくなる。
温かいスープを作ろう。こたつを出そう。みかんはそろそろ売られているだろうか。
他人事ではない季節が私は一番好きだ。
「贈り物の中身」
気まぐれに天使が自分の羽を下界に落とす。
それを見つけた人間は願いが叶ったり、いい気分になったり、ちょっとした奇跡につながる。
そんな羽を1人コツコツと集めて隠し持っている者がいた。
彼女は美しい鳥で、美しい天使に憧れていた。天界こそが自分の居場所だと信じて疑わなかった
「こんなにも羽が集まるということはやはり天使になるのにふさわしいということね」
不遜な彼女はこれまでに落ちた奇跡を眺めて天界に行くのを待った。
そしていざ天寿を全うし神の審判の場で申した。
「これまでこんなにも天使の羽を集めてまいりました。天界で一番美しい天使になりたいのです!」
神は少し考えてこう告げた。
「お前は羽を集めるだけで天界に来ようとしなかった。夢を叶えるのは少しの奇跡でも掴み取ろうとしている者だけだ」
子供の姿をした天使たちが悪戯っ子のようにクスクスと笑った。
「凍てつく星空」
土星のホッキョクグマは空にかかる大きな橋を見上げた。
他の星々のホッキョクグマは温かな太陽のそばでのびのびと暮らしているというのに、どうして僕だけこんな裏寂しい冷たい大地に生まれてしまったんだろう。
大きなリングのせいで太陽も見えない。
たまに顔を見せてもすぐにリングに隠れてしまう。
なんて不幸でツイてないんだろう。
水星ではのんびりバカンス、金星では陽気に踊っているし、地球は何も考えなくても生きていける。火星はどれだけ走り回っても構わないし木星はふわりふわりと優雅に過ごしているそうだ。
土星のホッキョクグマは悲しげにうずくまった。
彼は氷の美しくきらめく世界を憂鬱そうに眺めた。
「君と紡ぐ物語」
「糸って曲あるじゃん?」
「名曲だよね」
「若い時は名曲すぎて嫌いだったんだよね」
「あー思春期によくある逆張りね」
「でも最近聞いてみたら歌詞が良すぎて普通に感動したんだよな」
「分かる。ふとした時に聞くと沁みるよな」
「そういえばあの曲初めて教えてくれたのお前だったよな」
「そうだっけ?」
「俺ら昔からいつも一緒で、学生の時悪さするのも、仕事帰りに飲むのも、趣味のバンドも」
「そうだな」
「お前という糸に出会えて幸せだったよ」
「俺もだよ」
「安らかに眠ってくれ」
老人と呼ぶにはまだ若い写真の彼が頷いたように見えた。
「失われた響き」
クリスマスが輝きを失ったのはいつからか。ありがとうと言われても心が潤わなくなったのはいつからか。
芸能人の名前が出てこなくなったり、同じ話を何度もしてしまったり、若い頃疎ましいと思っていた年寄りに近づいているようで少し悲しい。
だけど仕方ないことだ。
若い頃に戻りたいとは思うけれど、忘れることはまた新しい感動を再体験できることと同義だ。
悲しく思う必要はない。
ある日のことだ。旦那を風呂へ、子供をベッドに追い立てて今日一日の最後の家事をしていた時だった。
ぼんやりと明日のスケジュールを考えて、冷蔵庫の中身を確認しなきゃなあと思っていると、ふと名前が呼ばれた。旦那が風呂場からタオルを取るように私を呼んだのだ。
一瞬誰のことか分からなかった。いつもは子供と一緒になって「ママ」と呼んでいたから。
けれどその瞬間、私はぎこちなく初めて名前を呼ばれた時のクリスマスデートにタイムスリップしたのだ。
体中の血液がドクリと音を立てた。
「はいはい!」
いつも通り大きな声で返事をする。しかしいつもより少しだけ赤と緑が鮮やかな世界はその日寝るまで続いた。
私の名前が失っていた輝きを取り戻した瞬間であり、ときめきを再体験できた瞬間だった。