香草

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7/19/2025, 8:12:46 AM

「special day」

チョコレートを溶かして魔法を少々。
生クリームを入れてガナッシュに。
私特製のジャムを注いで。
切り立てのドライフルーツをふりかけて。
アイシングで愛の言葉を書いたら粉砂糖で隠して。
そっと袋に入れてリボンを掛けたら眠りましょう。
もちろんあなたの夢を見るのよ。
夢の中でもきっとあなたは気付かないでしょう。
あなたの周りにはキラキラした可愛い女の子がいるものね。
わたしなんて霞んじゃうだもん。
でもね、明日は特別special day
1年に1度のチャンスなの。
こんな地味なわたしでもあなたの視界に入れるの。
わたしの気持ちを伝えられるの。
それでも目立たないかしら。
あなたは気付かないかもね。
でもわたしには特別な作戦があるのよ。
ワインのように赤い夕陽。
赤い顔がバレないように手渡すの。
「ありがとう!」
そう言われて別れる前にそっとキス。
あなたの頬に柔らかく触れるの。
そしたらあなたも気付くでしょ?
明日は1年に1度のチャンス!
おまじないを込めたチョコレートで、あなたを虜にできたらな。
そのために身を削って頑張ったのよ。
ああ!はやく渡したい!
明日になるのが楽しみね。

7/18/2025, 4:52:33 AM

「真昼の夢」

気付けば大きな赤紫のダリアと向かい合っていた。
針金でも入っているかのように真っ直ぐ頭を伸ばして僕を見つめている。
畳の部屋とは縁がないほど豪奢でかしましいはずなのに、部屋の静謐さを壊さないよう身動き一つしないその様子はどこか気品と並々ならぬ覚悟が見える。
僕はいつもその様子に気後れしていた。その大きな華で僕を包んでほしかった。甘い香りで癒してほしかった。
けれどたった一人で空気を繋ぎ止め華を添える彼女にはそんな余裕はなかったのだろう。
今なら分かる。
きっと彼女からは微かな愛情は感じられていたはずだ。だから僕はここに残ったのだ。
竹林を越えて風が吹く。
ちりんと風鈴が鳴り、静寂が沁み渡る。
ダリアを支えるようにして菊を刺す。

久しぶりに母の夢を見た。
狭いワンルームアパートは涼やかな風とは縁遠く、サウナのように暑い。
母親譲りの金髪が夕陽に透けてきらりと光っているけれど、それよりも頬を流れる涙がほろりと輝き落ちた。
滅多にない実家からの知らせが訃報になってしまう前に帰ればよかった。
こっちが白昼夢ならよかったのに。
ダリアを思い出しながらまた一つ涙がこぼれた。

7/16/2025, 10:30:50 AM

「二人だけの。」

図書館を出ると蜜色の夕陽は消えてしまった。
その代わり仄暗い藍が逃げるような僕の背中を押してくれた。
栞が汚れてしまうので、ポケットには手を入れなかった。汗ばんだ手はぶらぶらとどこかおさまりが悪かったけれど、なんだか心は晴れていた。
盗んだのに。いや盗んではいない。落ちたものを拾っただけだ。それに落とし主は分かっている。わさわざ図書館職員の手をわずらわせるほどのことでもない。また会えたら自然に声を掛けたらいいだけだ。
いつもよりお喋りな心のせいか心臓がドクドクと音を立てている。

香華女学院。美しいお嬢様。
本当に興味本位なのだ。このまま生きていたら決して交わらない人間と話してみたいだけなのだ。
このチャンスを逃したらおそらく僕は彼女たちの世界を一切知ることなく死んでいくだろう。
何不自由なく生きているお嬢様と言葉を交わすだけで、僕の人生は10億円くらい価値が跳ね上がる。本当にそれだけの理由だ。
部屋に帰りポケットからそっと栞を取り出す。真鍮だろうか。ポケット内の熱気で少し曇ってしまった栞は図書館に落ちていた時に比べて輝きが落ち着いている。
「香華女学院 第26回文芸大賞 佳作」
栞を眺めながらベッドに倒れ込む。
彼女はどんな作品を書いたのだろう。
どんな作品が最優秀賞となったのだろう。
一体どれくらいの規模で行われるイベントなんだろう。
とても美しかったなあ彼女。
陽の光に照らされた黒髪がさらりと本に落ちる。顔は見えなかったけれど緑のチェックのスカートとのコントラストがとても美しかった。

蜜色の 
秘密を見たし 
本の園 
はらりと落ちる
闇夜の髪

感動した時に心の一句の詠んでしまうのは小さい頃からの癖だ。国民的アニメの影響だろうと思うけれど、我ながらいつもレベルの高い短歌が詠めている気がする。
勇気が出ないから誰にも言ったことはないけれど僕の唯一の特技と言っていい。
いや特技というほどでもないか…。どうせ僕なんて誰かに勝てるようなものなんて持ってないのだ。
佳作か…。さらにすごい人がいるとはいえ、こうやってきちんと「あなたは素晴らしいです」と証明されるほどの才能を持っているということ。
やはり僕とは違う世界の人だ。

けれどこうやって彼女の所有物が僕の手の中にある。背徳感と優越感、そして拭いきれない劣等感。
どんな人なんだろう。
きっと清らかで優しくて、地味だけれど気品がある人なんだろう。
そしてこの栞を通して僕と彼女のやり取りが始まったりして…
いや、さすがにこれは妄想が過ぎたかな。
けれど栞を落とした人と拾った人。これは僕と彼女二人だけしか出てこない物語だ。
すぐに終わる小説。
1ページにも満たない物語。だけどこんなに胸が高鳴るのはきっと僕の毎日がつまらないからだろう。
そう思っていた。





7/14/2025, 8:04:34 AM

「隠された真実」

どうして無視されなきゃいけないんだろう。
クラスの人たちはみんな私が見えないかのように過ごしている。
先生だってそう。
私の席がないのに何もしてくれない。話しかけても変な顔をして行ってしまう。
私だって普通の子どもなのに。
毎日悲しくて泣きながら帰る。私もみんなみたいに遊びたい。
でもだれも誘ってくれないし、私から話しかけても「うわあ!」と逃げられてしまう。

「ただいまー」
今日も何も起こらないまま家に帰る。
父さんは目がとても悪くて私がほぼ見えない,
「あれ、どこだ?」
「ここだよ、父さん」
「ああ、声がしないからどこに行ったのかと思っていたよ」
「学校だよ。今日も何もなかった」
「そうかい。勉強熱心でいい子だね」
ふわふわと手がさまよって私の頭をなでる。
こうやって触れられるたびに私はまだ存在していると思えるのだ。
「さて父さんは仕事に戻るよ」
「うん。行ってらっしゃい」

父さんは光の研究をしている。
全ての物体は光を反射させてそれぞれの色を出しているのだ。まったく反射しない物体なんて存在しない。しかし父さんは新たな物質を作りだした。
世界的大発明で自慢の父さんだ。
でもあまり家にいないのが寂しい。
ずっと頭を撫でていてほしい。
家が退屈なので公園に行ってみた。
「今日も聞こえた?」
「うん!聞こえた」
「やっぱいるよね!」
「うんいる」
クラスメイト数人ががなにやらひそひそと公園の片隅で集まっている。
「今度返事してみようかな」
「え?やめときなよ」
「絶対悪い奴じゃないって!」
「でも教室にすむ幽霊なんて怖いじゃん!」
へえ。教室に幽霊がいるのか。少し気になるな。
話しかけてみようかな
「ねえ、それ!幽霊じゃなくて透明人間かもよ!」




7/13/2025, 10:15:24 AM

「風鈴の音」

太陽の焼き印を背中に受けながら草をぷちぷちともぎ取る。乾いた土はなかなか雑草を離してくれず、すっきりしない。
帽子の縁から真っ青な空と小さな太陽が嘲笑っていた。
「お前のために抜いてやってんだよ」
なんだか自分が女王様に跪く惨めな奴隷に思えて、つい棘のある言葉が出てしまった。
ひまわりは分かってるよ、とでも言うように小さく揺れた。
見えるものは爽やかで清々しいのに、ずっとぬるま湯に浸かっているようで茹で上がりそうだ。
本当に風呂に入ってる方がずっといい。どろりとした汗が背中を伝い、どんどん汚れていくような気がする。
ふいにひまわりがぼやけ尻もちをついた。
これはまずい。よろよろと家に引っ込み、麦茶を飲み干した。

縁側を備えた昔ながらの家だ。
障子を大きく開ければ小さな庭とひまわりの花壇が見える。
これで風が吹いてくれたらどれだけ素晴らしいだろう。
しかし近頃の殺人級の暑さのせいで懐かしい景色もノスタルジーをまったく感じさせてくれない。
保冷剤を首元に当てながら風鈴をぼんやりと眺める。
去年亡くなった妻が「この部屋には風鈴が似合うでしょ」と言って吊るしたものだ。
妻のセンスはなかなかのもので、この和室以外にも私の書斎や客間などこだわりの家具やインテリアを置いていた。
訪問客は見事な家だと必ず褒めてくれるが、それは妻のおかげなのだ。
くらげの形をした風鈴は微動だにしない。
もし妻がいてくれたら、ちりんと鳴ってくれるのだろうか。

するとふわふわとくらげの足が揺れ動いた。
天井近くで弱い風が吹いているのか。
ガラスのくせにまるで生きているかのように滑らかに動き、足をこちらになびかせている。
ひまわりと太陽の光ガラスに反射してきらきらと金色に輝いている。
優雅な動きを見ていると、うとうととまぶたが重くなってきた。完全に閉じるそのとき、くらげの頭がふわっと息をした。
とたんに障子の網目が魚の群れに変わり、ひまわりが珊瑚に変わる。
太陽はゆらゆらと弱くゆらめいて、メガネを外した時のようにすべてぼやけている。
慌てて起き上がり目をこするが、夢のような景色は消えない。夢じゃないことを確認させるようにくらげがふわりふわりと目の前を横切った。

ガラスの透明はそのままでひまわりの珊瑚がゆがむ。ぽわんぽわんと頭を揺らしながら目の前を遊ぶ。くらげの向こうに何か見える。
波のゆらめきではっきりしないが、あのピンク色のエプロンのようなヴェール。
妻だ。
「おーい!おーい!」
縁側から落ちかねない勢いで手を振る。それはヴェールをひらめかせてまるで魚のように泳いでいく。
「待ってくれ!!」
ああ水が邪魔だ。もっと光が強ければはっきり見えるのに。泳げるだろうか。
飛び出そうと足に力を込めた時くらげがまたふわりと目の前にやってきた。
ちりん。
涼しげな音で目を覚ました。
ひまわりも暑い太陽も何も変わっていない。保冷剤はすっかり溶けてTシャツの襟元をぐっしょりと濡らしていた。
まだぼーっとする頭で風鈴を見上げると、くらげの足がゆらゆらと揺れていた。


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