「あなたのもとへ」
手のひらのふわふわとした感触が不思議だった。
おうちの絨毯みたいだけど、ちょっとだけ水々しくて
ぎゅっと潰しても頭を持ち上げる。
「それ気になるの?草っていうのよ。」
ママの声が頭の上から聞こえてきた。
くさ、くさ、草。
引っ張るとぷちっと取れた。
ママにどうぞしたい。
「ありがとう。パパにもあげようか。」
パパも喜んでくれるだろうな。
もう一度くさを引っ張ってパパを探した。
だがあたりを見回してもどこにもいない。
大変!パパ迷子になった!
ママに急いで伝えようとしてもママはニコニコするだけ。
不安で顔を歪めかけた時、
「おーい!こっちだよ!」と呼びかける声が聞こえた。
声の方を見ると、遠くでパパが腕を広げて座っていた。
パパいた!くさどうぞしたい!
今度こそ見失わないようにパパを見つめて駆け出す。
まだ慣れない靴が重くて、思うように走れない。
しかもかなり遠くて、足が疲れてしまった。
だけどパパにくさを見せてあげたくて、喜んで欲しくて必死に走る。
「えらいなー!よく頑張った!」
パパはそういうと、私を抱き上げぎゅっと抱きしめた。
パパくさだよ。どーぞ!
落とさないように、ずっと強く握りしめていた草はいつのまにかだらん、と頭を下げてしまっていた。
あれ、こんなじゃなかった気がする。
「ありがとう!いい匂いだねー」
パパはそう言って草を受け取った。
そしてまたぎゅっと抱きしめる。
パパが喜んでくれたならまあいっか!
握りしめていた手からは少し苦くて水々しい香りがした。
まるで魔王の前に倒れた勇者のように、横たわる。
まだやれる、と体に残っている力を集めて立ちあがろうとするが起き上がれない。
まだやり残したことがある。
自分を待っている人がいる。
このまま終わってたまるか。
必死に自分を鼓舞するが手足はもう動かない。
楽になってしまえよ、と悪魔が囁く。
しかしこのまま瞼を閉じてしまうと待っているのは地獄だ。
必死に意識を保とうと伸ばした手が触れたのはスマホ。
画面に光が宿り、ブルーライトが魔の力を焼き殺していく。
しかし目に入ったのは金曜日という文字。
そうか、明日は休みか…
じゃあこの世は安泰だ。
急に安堵が広がり、そっと瞼を閉じた。
眠気が泥のように身体中を駆け巡り意識を手放した。
声をかけたのはなんとなくだった。
大学で久しぶりに会った彼女はとてもつまらなさそうな顔をしていた。
いつものようにくだらない話をしても上の空で、反応も面白くない。
だからなんとなく「世界終わらせに行かない?」と声をかけたのだ。
いろんな国を渡り歩いて、いろんな街をドライブした。
どんな国や街でも車の中ではいつもパーティーだった。音楽を爆音で流してお互い助手席で変なダンスを踊った。今という瞬間を楽しんだ。
以前彼女は言った。
「全部が不安なんだ。自分のことも分からなくなるし将来のことも。3分後ですら何が起きるのか分からなくて怖い。」
彼女は雲のように白い髪の毛をいじりながら言った。
きっと本心を話してくれているのだろう。でも彼女の憂鬱はそれだけじゃないような気がした。
だから下手に励ますこともできなくて、
「とにかく私はあんたがいればいいよ。不安に感じたら電話して。」
彼女からの電話の着信音はベルの音に変えた。
世界の果て。
2人で朝日を見に行った。
立ち入り禁止のフェンスを飛び越え、走った。
彼女を失いたくなくて、手を繋いで走った。
真っ白で強い光は体を包み込み、私たちは世界を終わらせた。
※PEAPLE1 『鈴々』MVより着想
大好きな曲です。ぜひ聴いてみてください。
https://youtu.be/7synqOiMORc?si=CwVjC0nNwTqQZWzs
ステージ上のモニターにライブ開始までのカウントダウンが表示されると、ファンの歓声が聞こえてきた。
のどをすり潰すような悲鳴が愛の重さを感じさせる。
髪型を整えてマイクを調整する。
スパンコールがこれでもかと付けられた衣装は、光の少ない舞台裏でも動くたびにキラキラと反射していた。
爆音で登場の音楽が流れ始める。
早いビートが腹を殴る。
始まった…
疲弊した心を腹の奥に押し込めて笑顔を作る。
「みんなー!いくよー!!」
元気よく飛び出して、定位置につきダンスを始める。
視線は真っ暗な客席へ、でも意識は定位置がずれないように床へ。
スポットライトの熱ですぐに汗が流れ、衣装が張り付く。
今日のステージはとても広い。ペンライトの波が視界の端から端までうねる。
数年前は想像にもしていなかったステージに立っているが、心は晴れない。
疲れたのだ。ファンという追い風に。
デビューした頃はファンの応援が力になっていた。
歓声も応援のレターもドーパミンの材料だった。
しかし追い風は強すぎると足元が追いつかない。
日に日に増していくライブ、テレビ出演、雑誌インタビュー、映画出演。
体力の限界だった。ほんの少しだけやる気が出せない時ファンは敏感に感じ取った。
人気が出て天狗になったやつ、ファンは自分をそう解釈した。
追い風は時に向かい風になる。
今やペンライトの波の中に自分のメンバーカラーはほとんどなかった。
「満点の星空」
町中に警報が鳴り響き、人々は家のドアを固く閉めた。
警察が町の出入り口を固め、ねずみ一匹の逃走も許さない。
無線での声と怒鳴り声、そこから少し離れた路地に走り抜ける2つの影。
「おい、どうする?」
肩で息をしながら一人が囁いた。
「全部の門を封鎖された。警察がここまで多いと思ってなかったぜ。迂闊だったな、相棒。」
そう言ってもう一人の肩を叩いた。
「ああ。だが、諦めるにはまだはえーぜ。」
相棒と呼ばれた一人は空を仰いだ。
空は雲が一つもなく、暗い路地からは美しい星が見える。
こいつといる時はいつだって満点の星空だな。声に出して言わないが、これまでの泥棒人生こいつがいなかったら、生きることはできなかっただろう。
最初は生きるために食糧を盗んだことが始まりだった。悪ガキとして町の住人からつまはじきにされ、施設を追い出された。その後、盗むの時のスリルや計画通り盗めた時の興奮が自分たちの唯一の娯楽となり、いつのまにか警察に追われるようになったのだ。
一つ間違えれば死ぬような瞬間を生き抜く中で、悪友や兄弟とかではない、自分の分身としてお互いを信頼しあっていた。
ただ、今回は計算が狂った。
何が原因かは分からない。とにかく答えを間違えた。
この路地は袋小路になっている。2人とも捕まるのも時間の問題だろう。
彼は空を見上げたまま、相棒に伝えた。
「なあ、おれは夜空を見飽きたよ。」
顔を見つめる。
「お前、まさか」
「お前と一緒でよかったよ。」
そう言って彼は思い切り相棒にぶつかり、肩を一瞬抱くと、するりと大通りに走った。
「おい!!!」
手に持っていたはずの宝の袋がない。
そう思った瞬間、銃声がした。