パソコンの再生ボタンを押す。
心臓のドクンドクンという音が耳に届く。
ロードの円を見つめて深呼吸をする。
緊張で全ての感覚が研ぎ澄まされてるからか、見なくても父親が固唾を飲んでこちらを見つめている様子がわかる。
画面が切り替わり、一人の女性が映った。
「初めまして…だね。あなたのママです。」
堪えていた涙があふれだす。
ただ、その姿を焼き付けたくて、涙なんかで邪魔されないよう目を見開く。
「20歳のお誕生日おめでとう。どんなふうに成長してるのかな…。きっとママに似て美人なんだろうね。勉強も得意かな?もしかしたらパパに似て苦手かもね。彼氏とかもいるのかな。」
ふふっとはにかむ。
「あなたが元気でいてくれればママは幸せです。
生まれてきてくれてありがとう。直接言えなくてごめんね。改めて20歳おめでとう!」
ママが死んだのは自分のせいじゃないか。
20年間ぐるぐると渦巻いていた黒い感情が消えた。
会ったことない。話したこともない。他人のように遠い存在だけど、これほどまでに愛を感じたことがない。
父親が頭をなでる。
「ママに似て良かったな。」
アメリカ留学推薦の合格通知を握りしめる。
各大学の成績優秀者のみが参加できる長期プロジェクト。2週間後、私はそれに参加する。
「いつでも帰ってきていいからな。」
声が震えていたような気がした。
「隊長!SOSを検知しました!」
「うむ、場所はどこだ?」
「近くのアパートからです!」
「よし行くぞ!!」
怒号、食器が割れる音、女のすすり泣く声。
小学生くらいだろうか、部屋の片隅でうずくまる少年。昔買ってもらったであろうヒーロー人形を握りしめている。
時間を止める。
少年の背中に希望の粉を降り注ぐ。
悪者を倒せるわけではない。すべての人を助けられるわけでもない。
どうせいつか忘れ去られる存在だ。
ただ、絶望に堕ちる寸前に心の支えになるために。
少しでも希望の種となるように。
大丈夫。まだ諦めるな。
どんなに辛い状況でも希望を持ち続けろ。
ヒーローはいつもすぐそばにいる。
「逆さま」
栗色の髪をいつものようにくるんとさせて、ピンク色のリップを塗る。ほんのりチークを乗せてカラコンをつける。
そしてミサンガをつける。
高校に入学してから仲良くなったグループ。
青春らしい青春が始まったと思った。
グループの中心メンバーが言い出したのが始まりだった。
「うちらだけでミサンガつけようよ!」
「毎日つけてこようね!おそろいね!」
それ以来、ただでさえ息苦しい学校という世界の中で首輪を付けられたようだった。
一度ルールが決まった組織は仲間はずれを許さない。
ミサンガは左手につける。
班を決める時は必ず同じグループ同士で集まる。
カラオケで歌う順番…
明言されない、暗黙のルール。お互いの理解を前提とした超えてはいけない曖昧なライン。
それを守ってさえいれば弁当をみんなで囲んで食べたり、放課後買い食いしたり、理想的な青春が送れるのだ。
ただ、ふと思い出すのが中学の穏やかな時間。
ルールなんて何一つなかった自分の好きな人、好きなこと、好きなものだけで生きていた時代。
今じゃ自分の好きなものが分からない。
こんな面倒くさいルールから抜け出したいという思いがちらつく。
鏡の中の女子高生と目が合う。
頭に声が響く。
ミサンガ逆じゃない?
ベッドに滑り込みスマホを見る。ブルーライトが目を焼くけれど触っていないと、世界に置いていかれそうで不安になる。
SNS、動画サイトを順番に巡っていく。私の好みを完全に理解したアルゴリズムの船に乗ってネットの海を駆け巡る。
私には夢もやりたいこともない。これまで特に頑張ってきたことも、得意と言えるようなものもない。
他人から評価されるリアルの世界において、私のような空っぽな人間は無価値だ。求められるのは現状を維持するために動き続ける歯車か金の卵を生むニワトリだ。
生産性のない人間は好きなものを動けなくなるまで貪り食うしかない。
なんて怠惰で最高な人生だろう。
あなたの活躍をお祈り申し上げます。この度は縁がなかったということで…。
世間からお前は無価値だという烙印を押されるたびに感情が消えていく。
好きなことだけで生きていけるほど世の中は甘くないらしいが、厳しかろうとなんだろうと好きなものに囲まれて生きていけるのなら幸せではないか。
誰に言うわけでもないが、言い訳をぶつぶつと考える。
分かってる。好きなものにしがみついていたとしても一寸先は闇だ。明日、明後日、来週、来月、1年後の不安が一生付きまとうのだ。
涙が溢れる。みんなと同じように足並みを揃えて普通に生きてきただけなのにどうして私だけこんなんなんだろう。
鳥の声が聞こえる。カーテンから光が漏れ出す。
涙が重すぎて瞼を閉じた。
彼女が振り向いて顔を近づける。
絹のような黒髪がさらりとしなる。
「ねえ、今日一緒にかえろ!」
あ、これ夢だな。
彼女はいわゆる学年のアイドルで人気者だ。
こんな冴えない俺みたいなやつに話しかけるわけないし、ましてや一緒に帰るだなんてカップルみたいなことを提案してくるわけがない。その証拠に彼女以外の景色が水たまりに張った油のようにぼやけている。
あー現実だったら嬉しかったのに。
「おい、寝てるやつ誰だ。」
マッハで瞼を開ける。教壇の上からまっすぐ俺を見つめる先生。背筋の毛が逆立つ。
教室の全員に注目されて何も言えなくなってしまった俺を察したのかすぐに授業を再開させた。
前の席に座る彼女は身動き一つせずに下を向いている。今更になって顔が熱くなる。怒られたのも、授業中に寝ていたのも、寝てたのがバレたのも全部ダサくて恥ずかしい。
存在を消したくて必死に下を向いた。
チャイムが鳴り1日が終わる。
かえろー、部活行くぞー、どっか寄って帰る?みんなそれぞれの放課後に走り出す。俺は彼女をチラ見しながらカバンを取る。急に廊下が騒がしくなったと思いきや、違う色の学年バッチをつけた背の高い男が教室を覗き込んだ。
「あ、いた。帰るぞー。」
男は爽やかに笑った。あれは噂に聞いたことがあるバスケ部のエース。あんなやつと付き合っているやつがうちのクラスにいるのか。
「先輩!」
目の前の彼女が飛び跳ねるように席を立つ。
おい、マジかよ。
クラスの女子がキャーッと騒ぎ立て、男が口笛を吹いて囃し立てる。
あー夢だったらよかったのに。