「なんて怖い顔してるんですか。」
穏やかな表情で男はそう言った。
清潔感の漂う部屋の中。傍らには沢山の機械類と今にも泣き出しそうな人達。その中心に男はいた。ベッドの上に横たわって、沢山の管を白い身体に繋げている。彼の生命はもう長くない。
傍で手を握る女はそれを許さないとでも言いたげな顔で男を見ていた。左手の薬指には、揃いの結婚指輪が寂しげに輝いている。
「俺はね、なんにも後悔はしてないんですよ。貴方と出会えたこと、貴方と一緒に過ごせたこと、貴方よりも先にいけること。」
「貴方はいつでも俺より前を歩いて行くんですから、こんな時くらい、先をいかせて欲しいんです。」
ゆっくりと言い聞かせるように、しかし、か細い声で男は身勝手な想いを女に伝える。
「だけどね、これだけは譲れないんです。」
そう言って、男は女の頬に手を伸ばした。
「貴方の最期もその先も、ずっとどこまでも。貴方が想うのは俺だけであるべきだと。」
そう言って彼はにっこりと笑みを深めた。
女性アイドルの命は短いとよく聞く。
若いからこそいいんだって思ったことはないけど、それでも本人が見せ続けたい姿というのもあるのだと思うし、家庭を持ちたいという願望だってあるのだろう。僕はそれもいいと思うが、ファン全員がそう言う考えではない。なんなら僕は少数派の人間だと感じている。
アイドルの命は短いからこそ、いつか君との別れが来ることもわかっている。僕は君を応援している人間の一人だから、君の未来に寄り添い続けることはない。そもそも、君は僕を知らない可能性だってある。
君と僕との関係に永遠なんて、ないけれど。それでも君がずっと輝いている限り、僕は君を応援し続けたいんだ。
だから、最後まで輝いていて。僕の神様。
僕のお母さんはおかしいらしい。お祖父ちゃんがそう言っていた。
お父さんは昔事故で亡くなって、それからお母さんは女手一つで僕をここまで育ててきてくれたのに、お祖父ちゃんはどうしてそんなことを言うのか、不快に思ったし、不思議に思った。だから、あんまり悪く言わないで欲しいと、その時は怒ったんだ。
「お母さん、僕はお母さんの味方だからね。」
お祖父ちゃん達が帰ったあと、お母さんにそう言うと、お母さんは嬉しそうに笑いながら涙を浮かべる。それから、ありがとうって僕を抱きしめてくれた。
その話を仲のいい友達に話したんだ。お父さん同士が昔から仲が良かったらしくて、そこからずっと付き合いがある、なんでも話せる関係の友達。彼は僕の話を聞くと、難しい顔をした。それから、意を決したように僕に語りかける。
「おばさんはおじさんと一緒に事故で亡くなっただろ。本当にあれはお前のお母さんなのかよ。俺にはそうは見えない。」
君まで僕のお母さんを悪く言うのか?と思わず声を荒げた。しかし彼は堂々とした態度を崩さないまま、「ちょっと待ってろ。」と一度部屋を出ていった。戻ってきたと思ったら、新聞紙を持って来て僕に投げつける。
「信じられないならこれを見ろ!」
投げられた新聞紙は僕のお父さんが事故で亡くなった日の次の日に発行された地方新聞で、そこにはお父さんの事故のことが載っている。
「俺の父さんと母さんはそれを見る度に悲しそうな顔するんだよ。でも捨てられないんだ。おじさんとおばさんがいた証拠だからって。」
彼は一か所を指差して教えてくれる。そこにはお父さんとお母さんの名前が載っていた。事故についての記事だ。
助手席に乗っていたお母さんは致命傷で、お父さんより酷い損傷だったらしい。駆けつけたときにはもう二人とも亡くなっていたと書かれている。
僕は記事を信じる事が出来なかった、だってお母さんは朝も一緒にご飯を食べて、僕を見送ってくれたのだ。
もしこの記事が本当なら、僕の今までの環境がおかしかったのなら、それなら、僕と一緒にいるあの人は一体誰なんだろう。
最近会っていない友人に、メッセージを送る。
「元気してる?」「悩みとかあったら話聞くからな。」「またメシ食いに行こうぜ。」「こっちはいつも通り変わりないよ。」
なんの変哲もないメッセージだ。今までだって何度も送ってきた。日常的な会話。
だけど、既読は一向につかない。いつもスマホ触ってるのか?ってくらい、すぐに既読をつけるような奴だったのに、最近はブロックでもされたのかと思うくらい既読がつかない。
最後にあった時もいつも通りだった。学校からの帰り道で、また明日って言って、それぞれの家に帰っていった。ケンカをした記憶もないし、気を悪くさせた覚えもない。でも、その日から既読はつかなくなった。
俺は深いため息をついて、スマホをベッドへ放り投げる。スマホは柔らかいベッドの上で少しだけ跳ねて、すぐに落ち着く。そんなベッドに頭を預けて、見慣れた天井を見上げた。
それから、行方不明になった友人を思い、祈るように目を瞑る。せめて、無事でいてくれ、と。
ほつれた靴紐を見下ろして、ムカついてくる。なんでこんな時に靴紐ほつれるの?とか結び直すの面倒くさいとか色んな気持ちの上でムカついてくるのだ。
押してた自転車を停めてしゃがむ。学校の意味分かんないルールの元に生まれた可愛くもないしすぐ汚れる白いスニーカーもムカつく。私は可愛いパンプスとか、あのメーカーのスニーカーが履きたいの。スカートが地面についちゃうのも嫌。他の学校の制服は可愛いのに、私の学校の制服はすっごくダサい。
なんだか、学校での嫌なことも思い出しちゃって、ムカついてくる。誰が見てるかわからないから泣きたくないのに、段々と視界がぼやけてくる。結び直した靴紐から手を離してむりやり袖で拭う。目が腫れるとか知ったことじゃない。誰かに泣いてるって思われるのが嫌だから。
停めてた自転車を動かして乗り出す。早く家に帰って部屋に戻りたい。耐えきれない。
すぐ泣いちゃう自分なんて大嫌いだ!