きょーは、やばい。夫が会社から帰って来て、「なんかさー、」
はじまった…、
「おふくろから昼休憩に電話があって、あんちゃんと今度本家の墓参りに行くらしいんだけど…」
要は、
お義兄さんとお義母さんのふたりで、御義父さんの、ご両親と親戚などが眠るお寺へ、墓参りに行こうとなって、それなら、ということでお義母さんが、『あんたの分の宿代も交通費も出すよ』と、なったまでは、よし。
なぜだか、お嫁さんと孫3人も同行することになり、なぜだか、その4人分の宿代と交通費もお義母さんが出す…と話しがなっちゃったらしい。
お義母さんとしては、『嫁らの分までだすの?私が?』と、思ったけど、お義兄さんはお嫁さんに頭があがらない…事を考えると、息子には強くは言えない…モヤモヤモヤモヤ…
しかも、お義兄さんは会社辞めて無職中だし…モヤモヤモヤ…
そしてなにより、家のローンの残額全てを嫁様の実家に出してもらうことになって、
お義母さんとしては、息子を取られたような気分に…モヤモヤモヤモヤ…
『孫も上2人は社会人なのに、金出させないんかい!!』…って気持ちになったらしくて、モヤモヤモヤモヤ…
おもしろくない気分を電話で、うちの夫に吐き出したらしい。仕事の休憩時間だ、と、いうのに…
最初は、ふーんふーんと聞いていた夫も、モヤモヤモヤモヤ…そして帰宅。
オラとしては、
お義母さんにもお義兄さんにも、その件について電話するな、と言っといたけど、どうだか。
『次男が反対してる』とか『横槍が入った』とか、うちのせいで、墓参り旅行が中止になったら大変なことになってしまうがな…。
「あんちゃんがさぁ…」
夫は、優しいんか、バカチンなのか、
グレーすぎる。夫が考える必要は1ミリもありゃないのに、何かモヤモヤ考えてて、なんか、やだ。
嫁にガツンと言えないあんちゃん、よく考えもせず会社辞めておいて、嫁様にガッツリ抑え込まれたあんちゃんが一番よくないんだよ。それも、そうとは夫は言えないんだろう。
ちゃんとした事を言えたお義父さんは、
もう居ない。パワーバランスが崩れ始めたんだ。
目も見えず耳も聞こえず、話すことも出来ないでこの世に生まれてたら、どうやって『自分』を認識したらいいんだろ。
誰かに言葉を教えてもらったからこそ、『自分』ということが分かる。自分より先に、『他者』かもしれない。『母』とか『父』とか、『保護してくれる人』から、話しかけられて、その人を信頼する。
『信じる』っていうことを教えてもらって、『自分』を知って、そこから『疑う』ことも学ぶ。言葉なしには子育てはできない。
わたしの子育てから、だいたいそんな事を思った。息子には、本をいっぱい読んであげたけど、それで情操が豊かになるか、と言えば、分からない。思い出は残るかも、だけど。。
わたしは、母から本を読んでもらったり、そういう事はしてもらえなかった。一番最初に買ってもらった絵本は、ボール紙の幼児絵本で、『バンビ』と『101匹わんちゃん』。自分で字が読めない時は、お話を自分で想像して読んだ。
字は母から教えてもらった。文字がブラスチックで後ろに磁石が付いていて、ボードにつけて遊ぶ知育玩具を母の手に乗せて、何の字か教えてもらった。母は、平仮名は分かっていたから、字の形を指で感じ取ってわたしに教えてくれた。たまに間違えることもあった。『つ』と『し』。
母は指でよーく触って確かめてた。
書き順も母から教えてもらった。マジックペンを母と一緒に握り、一緒に書いて覚えたり、母の背中に指文字で言葉を書いたりした。保育所に通っていた頃だったと思う。
そうやって、教えてもらった言葉の土台で、わたしはものを考えることができるようになった。
ちなみに、夫は4人兄弟の次男で、お義母さんから本を読んでもらったことはないと言ってた。自分の食べたいものとかお菓子など兄弟たちに食べられたくなければ、自分の名前を書いておけ!!、と、お義父さんに言われて育ったとか。親に字を教えてもらったりもしなかったそうだ。きっと、兄弟カオスの中で、悪い言葉をどんどん覚えてそこからいろんな考え方を学んだのだろうなぁ、と、思う。
………
息子が幼稚園の頃、
ブロッコリーを食べさせたくて、いろいろ工夫したのだけど、どうしても食べてくれなかった。
どうして食べられないの?って聞くと、
「木だから、食べられない」と。
ブロッコリーの美味しさを知るまでは、息子にとってブロッコリーは木だった。
『飽き』、『秋』、『開き』、『空き』…
それらから何かを連想したとしても、元々の言葉は神様が作ったものだから、自分が見つけたオリジナルだー!! なんて、言えない。自分の、なんてどこにもない。
新しい『地図』は、自分で歩き回って見つけたとしても、新しいんじゃなくて、もとからそこにあった場所。もとからそこにあった言葉。
みんな、誰もが誰かの屍の上に立って生きている。血を吸ってない、争いがない、穢れてない、清らかな…ニンゲンが願うような、そんな土地はない。
パワースポット…そこにあやかろうとか、浮かれてたら、お狐さんだったとか、よくある話し。ニンゲンを有頂天にさせるから気をつけて。惹かれるような可愛いお守りとか、…笑っちゃう。あれ、何も入ってない。よく考えてみれば誰でもわかるのに。。
サボテンに、『すきだよ、あいしてる、かわいいね、』とか言い続けてると、トゲが無くなってツルツルにって、それは、ニンゲンを敵だと思わないから、愛情に応えた姿だから、と言っていた信仰団体のかなり立場のある人…大ッキライだった。
サボテンのトゲは、砂漠で生き抜くために、ああなったんであって、食べられたくないからとか身を守るためとかじゃない。なんでもかんでもニンゲン視点でモノを見て、ニンゲン本位の考え方に当てはめて、なんでもかんでも神様に繋げた考え方なって、自分は愛情深いニンゲンだと勘違いする。
サボテンはストレスでトゲを失ったんだ。トゲを失ったら死んじゃうのに、そんな事も気づかないで、次から次へとサボテンを買って、次々にツルツルにすることに喜びを感じるとは、おぞましい…。
サボテンはトゲがあるから可愛い。愛されたいとも思ってないし、思うはずもない。そもそも『思う事』なんて、ない。
ただそこに生きている、それだけ。
『思う』って事があるとすれば、
『トゲがあって食べづらくてごめんね』。
なんだーかんだー、ああ言われたい、こう言われたいと言葉に囚われるのは、ニンゲンだけょ……、
忘れられないほど感動した桜って、ないんだよね…
「桜かぁ、春だね、」くらい当たり前になっていて、スマホで写真を撮ろうとする時点で、もうそれは感動してないから。
上を見上げて、根っこ踏んづけながらスマホで花を撮ってるのを見ると、なんかもぉいいや…って、思う。誰も感動してない。
景色の一部として見てるだけだよね。
ボーっと、顔の筋肉まで緩めて、黙って静かに浸りたい。もっと人間が静かになれば、桜も散り急いだりしないんじゃないの?