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目も見えず耳も聞こえず、話すことも出来ないでこの世に生まれてたら、どうやって『自分』を認識したらいいんだろ。

誰かに言葉を教えてもらったからこそ、『自分』ということが分かる。自分より先に、『他者』かもしれない。『母』とか『父』とか、『保護してくれる人』から、話しかけられて、その人を信頼する。

『信じる』っていうことを教えてもらって、『自分』を知って、そこから『疑う』ことも学ぶ。言葉なしには子育てはできない。

わたしの子育てから、だいたいそんな事を思った。息子には、本をいっぱい読んであげたけど、それで情操が豊かになるか、と言えば、分からない。思い出は残るかも、だけど。。

わたしは、母から本を読んでもらったり、そういう事はしてもらえなかった。一番最初に買ってもらった絵本は、ボール紙の幼児絵本で、『バンビ』と『101匹わんちゃん』。自分で字が読めない時は、お話を自分で想像して読んだ。

字は母から教えてもらった。文字がブラスチックで後ろに磁石が付いていて、ボードにつけて遊ぶ知育玩具を母の手に乗せて、何の字か教えてもらった。母は、平仮名は分かっていたから、字の形を指で感じ取ってわたしに教えてくれた。たまに間違えることもあった。『つ』と『し』。
母は指でよーく触って確かめてた。

書き順も母から教えてもらった。マジックペンを母と一緒に握り、一緒に書いて覚えたり、母の背中に指文字で言葉を書いたりした。保育所に通っていた頃だったと思う。

そうやって、教えてもらった言葉の土台で、わたしはものを考えることができるようになった。

ちなみに、夫は4人兄弟の次男で、お義母さんから本を読んでもらったことはないと言ってた。自分の食べたいものとかお菓子など兄弟たちに食べられたくなければ、自分の名前を書いておけ!!、と、お義父さんに言われて育ったとか。親に字を教えてもらったりもしなかったそうだ。きっと、兄弟カオスの中で、悪い言葉をどんどん覚えてそこからいろんな考え方を学んだのだろうなぁ、と、思う。

………
息子が幼稚園の頃、
ブロッコリーを食べさせたくて、いろいろ工夫したのだけど、どうしても食べてくれなかった。
どうして食べられないの?って聞くと、
「木だから、食べられない」と。
ブロッコリーの美味しさを知るまでは、息子にとってブロッコリーは木だった。


4/7/2025, 11:18:43 AM